第0話 運命の祝福は、唯一人の少女へ
2040年にあらゆる生命を喰らい尽くさんとした異形の存在――魔物が生まれ落ちてから、既に25年は経過し、時は西暦2065年。
今では、魔物が存在しなかった時代の事を知らない者達もおり、ジェネレーションギャップを感じ始めている時代。
この世界では、魔物と戦う為に、魔物を喰らい、力を奪う事で人を辞めた者達、【人獣】が存在する。
だがしかし、何のデメリットも無く、魔物の力を奪える訳が無く、彼ら人獣は数日から数ヶ月、ある程度の差はあれど、決まって魔物の力が暴走し、周囲に甚大な被害を齎してしまう。
しかし当時としては、人獣は暴走するとしても魔物に対抗できる生物兵器としての扱いであり、万が一暴走すれば体内に埋めた爆薬で自爆させて処理するという非人道的な、しかしそれ以外に有効的な方法が無いために、そのような方法を取っていた。
人的コストも、人命も無視した、精神的ストレスの強すぎる方法しか無かった、そんな時、暴走しない人獣が現れた。
そして、人類は、人獣という魔物へ対抗できる存在を出来る限り犠牲が出ないように、そして人道を無視した特攻を取らなくても済むように、研究を続け、数年の歳月を掛けることで、あらゆる人獣が絶対に持つ、ただ一つのルールを見つけ出した。
それが、人獣と人間は、お互いの同意の元に魔法の契約を行える事だった。
契約を行った場合、人間は受けたダメージを契約した人獣に対して八割ほど転嫁することが出来、ある程度は生命の安全が約束される。
そして人獣は、暴走すること無く人として生きられ、その上、契約した人間との相性が良ければ通常よりも強くなれる。
正真正銘、お互いにWin-Winのものであり、人類の求めていた以上の成果だった。
それから、契約の方法が判明した後の人類の動きは早かった。
即座に、残っていた銃火器で倒せた時代の、保存していた魔物の死骸を、自衛隊や警察へと与えて、人獣としていった。
同時に、魔物の素材から防具を作り出す技術も確立したため、契約する人間と人獣へ防具を提供し、共に戦っていった。
死と隣り合わせで人獣と共に戦う、只の人間である彼らに敬意を表し、人々は彼らを【獣魔士】と、そう呼び始めた。
そうして―――世界は少しずつ、過去を取り戻し始め、未来に向けて進んでいった。
そんなある日、魔物によって廃れた場所で奇跡が起こるのだが、それが世界を大きく変える出来事になるとは、まだ、世界の誰も…そして当事者たる少女も知ることは無かった。
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ここは日本の中国地方に存在する中国山地を跨って存在する、棄てられた家屋やビル群が残り、人の手が無くなって事で鬱蒼とした森が幾つもある場所。
そして、そこは既に人が住める程のまともな環境でも無く、犯罪等によって世間から追われる者や、そもそも人権を持たない者達が隠れ潜みながら生活している。
一言で表せば、その地域一帯の事はさながら『スラム街』と呼称するのに相応しい、日本と言う場所の場末、日本国憲法が殆ど通じないもう一つの世界となってしまっている。
そんな、一般人は存在しない場所を、荒い呼吸をしながら、肩から血を流している少女が、呼吸を整えながら何かから逃げるように物陰に隠れていた。
(ここなら…まだ、見つからない筈…)
息を殺し、出来る限り気配も殺す。そうして、目に見えない化け物から隠れ潜む。
自分の生命が殺されないように。
心の内で神か仏に祈りながら。
「! ぐぅっ!」
そうして隠れていた時、突然、低空飛行をしていた何かが勢い良く風を切って飛んでいった。その何かが飛ぶ衝撃は凄まじく、勢いだけで少女も吹き飛ばされてしまい、その際に僅かだが、うめき声を出してしまった。
だが、幸いな事に、この衝撃を出した存在は、風を切る音によってかき消されたようで、うめき声を聞き取る事は無かった。
(まだ、バレてない…早く、逃げないと…)
その、何かに吹き飛ばされながらも、視界に収めていた少女は、飛び去ったそれを傍目に、その場から足音を立たないように離れていった。
遠目に見て、翼を持ったような、しかし朧げにしか認識できない鳥のような《《それ》》を意図的に無視して。
―――3日後
スラムで数少ないインターネットに繋がっている喫茶店らしき場所のテレビから、この近辺に突如として現れた何かが、魔物の、それも上から数えた方が早い程の強さを持った、『竜』である事が放送された。
そして、『竜』は現在、致命傷になり得る程の傷を負っており、その状態からスラム街の方面へと逃走したため、近くの生物を喰らおうと普段よりも凶暴になっていると、追加で情報が公開された。
「いやー、怖いねー…これ、どう思う子猫ちゃん?」
この喫茶店らしき場所の店長…マスターらしき人物が、目の前に座ってカフェオレを飲んでいる、子猫ちゃん…もといスラムでは偶によく居る名前を持っていない少女に声を掛ける。
「その竜に追われて、殺されかけた人にそれを言うんですか?
まぁ、僕はくたばれって思いますけど…」
「あー、まぁそう思うよね。殺されかけたんだし」
「当然ですねー、逆にそれ以外に何を思うんだって話ですけど」
「んー…あ、殺してやるー的な感情は抱くんじゃない? 或いは、喰ってやるぞ!とかかな」
「それ、言葉変えただけで、くたばれって事では無いでしょうか?」
「あ…そうかもね」
他愛無い、しかし確かにそこにある日常が、時間と会話と共に過ぎてゆく。
何時もと変わらない場所で、変わらない人と、中身が有ったり無かったりする雑談を繰り広げるだけ。
そんな日常。
もうすぐ、崩れる日常。
二度と、同じ日常は、同じ風景は得られない。
だが、それに今、気づく事は出来ない。
何故なら、気づくのはこれから暫くの時間が過ぎてからだと、そう未来が決められているのだから。
そしてさらに数日程、時間が進んで、とある日の路地裏。
いつも通り、路地裏に発生する自然の魔力が澱んだことで固形化した物、魔力結晶を集めていた時の事だった。
「ん? この死骸は…何?」
目の前には、何処となく見覚えがある、異形の存在が死に絶えた後の骸がそこに鎮座していた。
恐らく、此処に落ちたかしたのだろう、落下の痕跡も僅かに残っていた。
―――世界が変わる、歯車の音が聞こえる。
(これは…魔物? でも死んでる…もしや、あの時迷惑掛けてくれたクソ…竜の死骸なのか?)
その死骸は、数日前に自分を殺そうとして、逃亡する事にした原因でもある竜であると断定できた。
家屋よりは小さなものの、それでも成人男性を数人は並べられる大きさであり、口には鋭い牙、全身は血に塗れた鱗、特徴的な尻尾と翼。
これだけ証拠が並べば、魔物博士で無くとも断定できるのは道理である。
―――軋んでいるのか、不愉快な音を立てながら回ろうとしている。
(……こんな魔物を喰えたら、どんな魔法が……あ、いや、そもそも食べて良いのか、この魔物は…)
竜の死骸を見て直ぐに、魔法という力に思い至る。魔物の核たる心臓を喰らう事で、魔法と一括りにされる超常の力を振るえるようになるのでは、と云う好奇心から来る考えを。
しかし、人を辞める事への躊躇いと、日本国憲法に魔物の死骸の回収を行う法律が有ったことを思い出した為に、実行までは移していなかった。
―――少しずつ、少しずつ、世界からの干渉が、運命と云う歯車への干渉が、現実になろうとしている。
(あー、でもなー………よし決めたっ! この竜は食べてやろう。此方は迷惑掛けられたし食べても竜は文句言わないでしょ。
でも、食べるとなると、この鱗は邪魔だから剥がさないとな)
どういう理屈か、目の前の魔物の死骸に対する考えは飛躍し、何故か食べる方向へと、あらゆる感情も、記憶も、理性も、果ては本能すらも無視するように、知的好奇心のままに突き動かされていった。
最早、別人と思われる程に迷いなく竜の死骸のすぐ側まで移動して。
―――傍迷惑な運命の祝福と、約束された後悔が、目の前まで迫っている。
「…それじゃあ、頂きます」
ガッッッ! ガリッ! バギッッ!!
凡そ人間が食べる物では立たない異音と共に、少女は歯を立てて死骸を噛み砕いていく。
普通の人間は勿論、本来の少女自身の思考ならば、万が一にでも決して行わない行為を成してしまった。
それ即ち、人間からの卒業。
故に成るのは、人と魔物の中間の化け物。
獣魔士が居なければ、容易く暴れ、大きな被害を齎す不可逆の存在。
―――【人獣】となったのだった。




