三日月君の服装問題
珍しく三日月君が考え事をしている。
「何か考え事?」
「うん、今度イベントでお客さんと囲碁を打つんだけどさ、堅苦しくなりたくないからスーツじゃなくて、カジュアルな服装でって連絡が来たんだ」
「そうなんだ。それで何を悩んでいるの?」
「一緒にそのイベントに出る人から、前回の私服はひどかったから、もうちょっとちゃんとしてきてって言われた」
「へ、へぇ」
「スーツじゃないカジュアルな服でちゃんとしたってどういうこと?矛盾しててよく分からない」
「えっと、前回はどんな服装でいったの?」
「あ、写真ある」
三日月君が見せてくれた写真には、見たこともない変なキャラクターが大きく描かれたTシャツに変な色のズボンをはいている三日月君が写っていた。
「あー、えっとそうだね。もうちょっとシンプルな服装にしたらどうかな?」
「シンプルってどういうこと?」
「キャラクターが付いてない無地のシャツとか…」
三日月君はパッとひらめいたように違う写真を見せる。
「こんなかんじ?」
それはくすんだ水色のTシャツに灰色のズボンをはいている三日月君だった。
イケメンも服装次第でこんなことになるんだな、と美乃は思う。
「うーん、えっと、なんて言っていいのか…そのイベント、ほかの人はどんな服装なのか見せてくれない?」
いいよ、と三日月は写真を探す。みんな清潔感のある服装をしている。
「同じような感じの服を買ったらどう?」
「同じような服ってどこに売ってるの?」
「このシャツならユニクロとか」
「ユニクロってなんか種類多くて行くと何が何だか分からなくなる…。美乃、明日土曜日だし服一緒に選んでくれない?」
えっと思う。
「お昼ご飯おごるから、な、お願い」
三日月が珍しく必死にお願いしてくるので、美乃は迷いながらも承諾した。
二人で出かけるとか美乃にとってはドキドキするイベントだが、たぶん三日月君は服のことしか考えてないんだろうな、と思う。
三日月は美乃の予想通り少し遅れてきた。
「あ、美乃。制服じゃない姿初めて見た」
三日月はなんだか楽しそうだ。
そしてやっぱり私服は微妙だった。
「予算ってどれくらいで考えてるの?」
「服がどれくらいの値段なのかよく分からない」
「いつも服買う時どうしてるの?」
「北海道の兄さんがたまに送ってくる服を適当に着てる」
「あーなるほど」
あの写真を見る限り、三日月君のお兄さんは部屋着目的で送っているのではないか、と美乃は思った。
「じゃあ、無難にユニクロ行こうか」
三日月は無言で頷いた。
とりあえずシンプルな白いTシャツにグレーのカーディガン、そしてボトムスは何と合わせても間違いがないように黒色の細身のパンツを選ぶ。
「試着してみる?」
と聞くと、
「うん」と言ってフィッティングルームに向かう。
「美乃、どう?」
三日月が出てくると、無難な選択にも関わらずかっこよく着こなしている。さすがイケメンだな、と美乃は思う。
「すごくいいと思う」
三日月は無表情だが少し照れている。じゃあこれこのまま着て帰る。そういって店員を呼ぶ。
服装ってホント重要だな、と美乃は思った。
ほかにも普段着を選んでほしいというので、失敗のない無難な色のパーカーなどを選んで三日月は追加で購入していた。
朝とは別人のような三日月を美乃は何度も見てしまう。
「美乃、何食べたい?お礼になんでもおごる」
美乃はこの瞬間にいろんなことを考える。三日月君は自分のお給料で生活してるって言ってたけど、囲碁のプロってどれくらいの給料をもらえるものなんだろうか。三日月君の家計を圧迫してしまわないだろうか。そんなことを考えながらちらっと三日月君を見ると、同時に美乃の方を見る。
「美乃、遠慮しなくていいから。お金のことなら心配いらない。俺、物欲なくてほとんど買い物しないから、お金はたまってる」
心を読まれたのかと一瞬ドキッとする。
三日月君と何を食べようか、美乃は改めて考える。
栄養が足りてなさそうだから体に優しい食事がまず浮かぶがそれは微妙な気がした。
三日月君はいつも囲碁を中心に生きている。囲碁のために小学生で一人で東京に来て、プロになって、生活のほとんどを囲碁に費やしている。それ以外必要ないって思ってるのかもしれないけれど、美乃は三日月君と高校生を楽しみたいと思った。
「マックがいいな。三日月君と、高校生っぽい食事したい」
三日月君はきょとん、とした後、
「高校生っぽい食事、良いね」
と爽やかに笑った。
「今度のイベントってどんなイベントなの?」
美乃がポテトを食べながら三日月に聞く。
「プロ棋士の先輩たちが企画したイベントで、囲碁をもっと気楽に楽しんでもらおうみたいなコンセプトの会。若い人向けにSNSで告知したりしてる。普段、囲碁のイベントはスーツが多いんだけど、今回はカジュアルにって」
「囲碁ってなんだか難しそうでとっつきにくいイメージあるもんね」
「全然そんなことないってことが伝えたいんだ。」
「そういうイベント企画したりもプロがやるんだ」
「うん、棋院が企画するイベントに参加することが多いけど、自分たちで企画する人もいるよ。普及は棋士の大事な仕事の一つだから。俺はそういうの苦手だから呼ばれて手伝いに行くくらいだけど」
三日月君は囲碁の話はよくしゃべってくれるので美乃は嬉しい。
「プロにもいろいろ仕事があるんだね」
「美乃は囲碁に興味ない?」
「三日月君がプロって聞いて興味は持ったけど、どうやって始めればいいのか分からないし」
「俺教えるのに」
「この前日本棋院のHP見たときにね、棋士の指導碁とかプロの先生がやってる囲碁教室の案内があったの見つけたの。それでね、みんなお金払ってプロに教わってるなら、同級生だからって安易に教えてって言えないなって思ったの。それはほかのお客さんにも、プロの三日月君にも失礼な気がして」
三日月は美乃をじっと見つめている。
「美乃はちゃんとしてるよね」
「そうかな」
「うん、そういうところが俺は好きだなと思う」
三日月はさらっという。どういう好きなのかよくわからなくて美乃は動揺してしまう。
「俺、午後から師匠の家で研究会があるんだ」
「そっか、じゃあそろそろ出ようか」
「美乃、今日はありがとう」
三日月君は無表情で大きく手を振って走っていった。