元暗殺者と錬金術師
「お兄さん、特殊部隊ってこんなに仕事がないの?」
書類仕事をしているエクスの傍らで、フィスがそう聞いてくる。
フィスがエクスの配下になってしばらく経ったが、これといった任務はなかった。隊長であるエクスは書類をまとめる仕事があるが、隊員にはこれといった仕事がなかった。
有事に備えての訓練は怠っていないが、逆にそれしかやることがないとも言えた。
当然のことだが、室内で訓練などできないので四人は外で訓練をしていた。
「特殊部隊なんか、暇な方が平和でいい。毎回お前達のような手練れと戦うのは、正直言って勘弁願いたいな」
「そうかもしれないけど、ボクは本当にやることないんだけど」
フィスは不満というよりは、戸惑いの方が強いといった感じだった。暗殺組織にいた頃は、こんなにゆっくりとした生活をしていなかっただろう。
訓練に参加せても良かったが、フィスが武器を持つことをシャリアとセロルが激しく拒絶したので、丸腰のままでエクスの傍らに置いていた。
「退屈は嫌いか?」
「正直、わからないよ」
フィスはゆっくりと首を振った。
「そういえば、フィス。お前は短剣しか使えないのか?」
本当に何となくだが、エクスはフィスが短剣以外を使えるのか気になっていた。暗殺に短剣が適しているのは間違いないが、状況に応じて他の武器を使うことも十分に有り得る話だった。
「ん? 一応、剣を使えないことはないよ。まあ、シャリアには到底及ばないけどね。下手したら、お兄さんにも勝てないんじゃないかな」
「そうか。なら、俺の部隊にいる間は短剣でなく剣を使ってくれ。特殊部隊だから剣以外を使っていても怪しまれないだろうが、万が一を考えて、な」
エクスは少し思案してから、そう言った。
さすがに騎士団、しかも特殊部隊にいる人間がいつまでも丸腰というのはよろしくない。
「あの二人が、それで納得するかな。確かに短剣のように、不意を突くようなことはできないけど。剣だって、その気になればいくらでも暗殺できるよ」
「だが、今のお前にそのつもりはないだろう」
「まあ、ね。お兄さんは、ボクのことを人間として扱ってくれているのがわかるから」
フィスは照れくさそうに言う。
「……それが普通のこと、なんだがな」
エクスはフィスが想像を絶するような環境で生きてきたことを察して、思わず息を吐いた。
「同情、してくれるのかな」
「同情して欲しいのか?」
「お兄さん、変なところで現実的だね」
エクスの返答がある意味で予想通りだったこともあって、フィスは思わず笑みを浮かべてしまう。
そこで、扉をノックする音が響いた。
「ノックをするということは……あいつらじゃないな。そうなると、アレクシアか?」
「入っても、いいですかぁ」
だが、聞こえてきたのは間延びしたような、それでいて聞き覚えのある声だった。
「ヴィオか、構わないぞ」
「お兄さん、元気してますかぁ」
エクスが許可を出すと、ヴィオが顔を出した。フィスと面会した時に雑に切り落とした髪は丁寧に切り揃えられている。
幾分中性的な印象もあるが、それでも男だと思う人間はそう多くないだろう。
「フィスちゃん、具合はどうかな」
ヴィオはフィスと話す時だけは、いつもの間延びしたような口調ではなかった。
「ヴィオちゃん。ボクはもう、問題ないと思うけど」
フィスは小さく首を振った。ヴィオがこうしてフィスの元を訪れているのは、暗殺組織で何かしらの薬を盛られていたのではないかと危惧してのことだった。
ヴィオに言わせると上の人間に盲目的に従わせるために、そういった薬を使うことは決して珍しいことではないらしい。
「駄目だよ、フィスちゃん。こういうのは、本人が一番気付かないものだからね」
ヴィオはそう言って、懐から薬の瓶を取り出した。
「その薬、苦いから好きじゃないんだよね」
「はいはい、文句言わないで」
フィスは文句を言いつつも、ヴィオから薬を受け取って飲み干していた。
「それにしてもぉ、お兄さん。本当に凄い人だったんですねぇ。おかげさまでぇ、うちも王都で商売できるようになりましたしぃ」
フィスがしっかりと薬を飲んだのを見届けて、ヴィオはエクスにそう言った。
「ん? 駄目元で頼んでみたらあっさりと通ったからな。むしろ、俺の方が驚いているくらいだ」
ヴィオがフィスの様子を定期的に見たいと言い出したので、エクスは一時的にでもヴィオが王都で活動できるようにあちこちで頭を下げて回っていた。
数か月でも王都で活動できれば御の字、くらいに思っていたのだがヴィオがそのつもりなら王都に永住することもできるようになったのは予想外だった。
「なんていうかぁ、お兄さんの知り合いってだけで、皆さん親切にしてくれるんですよねぇ。お兄さん、本当に何者なんですかぁ」
「俺はあくまできっかけを作っただけだ。皆が良くしてくれるのは、ヴィオが誠実に商売しているからだろう」
ヴィオにそう言われて、エクスは笑い飛ばすように答えた。
確かにお膳立てはしたが、ヴィオが誠実な商売をしているからこそ、だろう。
「それはそうですよぉ。下手なことをしたら、お兄さんにも迷惑かけますからねぇ。フィスちゃんを助けてもらったのにぃ、これ以上迷惑をかけられませんからぁ」
ヴィオは穏やかな笑みを浮かべていた。
「でも、ヴィオちゃん、本当に良かったの。向こうでもお得意様とか、いたんじゃないの」
そんなヴィオに、フィスが申し訳なさそうな顔をしていた。
「お得意様ってほどのお客様はいなかったよ。それに、錬金術はあまり広く知られていない技術だからね。むしろ、王都の方が錬金術に詳しい人がいるからやりやすいかな」
ヴィオはゆっくりと首を振った。
「俺もあれから軽く錬金術について調べてみたんだが、思っていたよりも秘匿された技術というわけでもなかったな」
「お兄さん、いつの間にそんなことしてたの」
エクスの言葉にフィスが驚いたような、それでいて呆れたような顔をしていた。
「それで、ヴィオ。俺が今から錬金術を習得することはできるか」
「……お兄さん、錬金術を甘く見てませんか」
エクスの質問に、ヴィオが鋭い視線を投げかける。いつもの間延びした口調でなかったことからも、エクスの言葉を良く思っていないことがわかる。
「あくまで、可能性を聞いているだけだ。その様子だと、簡単にできることではなさそうだな」
「そうですねぇ。お兄さんが今の仕事を辞めて、生活の全てを錬金術の勉強に注げば、ってところでしょうかねぇ」
「そうか、不愉快なことを聞いて悪かったな」
エクスはヴィオに謝った。
ヴィオの態度からしてエクスが思っているよりも、錬金術というのは難しい技術のようだった。
「お兄さん、複数の武器に加えて魔法まで使えるのに、更に錬金術まで覚えようなんて欲張りすぎじゃないかな」
エクスが錬金術にまで手を出そうとしていたことに、フィスは呆れたように言った。
「いや、俺が錬金術を使えれば、部下が怪我をした時にも対処できるかと思ったんだが……そこまで甘くはなかったか」
エクスは自分の考えが甘かったことに、たまらず苦笑してしまう。
いくら四人の技量が優れているとはいえ、任務で怪我をしないということはまずありえない。そう言った時すぐに対処できれば、と考えていたがそう上手くいくものでもなかったようだ。
「お兄さん、それならうちを頼って下さいよぉ。お兄さんの頼みならぁ、いくらでも薬を卸しますよぉ」
「だが、お高いのだろう?」
「そうですねぇ。でも、お兄さん相手なら勉強させてもらいますよぉ」
エクスが冗談半分で言うと、ヴィオはわざとらしくもみ手をして見せた。
「商売上手だな、全く」
「褒め言葉としてぇ、受け取っておきますねぇ。と、そう言えばぁ、お兄さん。あれから具合はどうですかぁ」
ヴィオはそこではっと思い出したかのようにエクスに聞いた。
「具合? ああ、あれから特に問題はないと思うが」
「そうですかぁ。ただ、あの毒は厄介ですからねぇ。フィスちゃん、あれは自分で調合したものじゃない、って言ってたけど」
「ボクに薬や毒の知識はないからね。ただ、組織にはそういった毒の研究をしている人はいたかな」
ヴィオに聞かれて、フィスは小さく首を振った。
「なるほど。とはいえ、暗殺組織なら下手に毒を広めるといったことはなさそうかな。自分達の存在を秘匿するためにも、ね。ということで、お兄さん」
ヴィオはエクスに薬を差し出した。
「俺にも飲め、と」
「念のため、ですよぉ。それとも、うちが飲ませた方が良いですかぁ」
「全く」
エクスは観念して薬を受け取ると、瓶の中身を一気に流し込んだ。以前治療を受けた時もそうだったが、どういうわけかこの手の薬は味がよろしくない。
「ヴィオ、薬は大抵こんなに飲みにくいものなのか」
「そうですねぇ。元々の材料からして、あまりおいしくないですからねぇ。それにぃ、味を改善しようと思ったこともあったんですけどぉ。そうするとぉ、どうしても効果が落ちちゃうんですよねぇ」
「身体能力や魔力を向上させるものもある、と聞いたが?」
「ああ、それはお勧めしませんねぇ。それって結局、体に無理をさせているのと同じですからぁ。寿命が縮むくらいで済めば御の字、ってところじゃないですかねぇ。最悪、命の危機に陥りますよぉ」
「そうか。中々上手くはいかないものだな」
エクスはセロルの訓練相手がいないことを気にしていた。もし錬金術で一時的にでも魔力を向上させられるのなら、セロルの相手もできるだろうと考えていたのだが、寿命を削ってまでやるようなことではない。
というよりも、そんなことをしたらセロルが激怒するのは目に見えている。
娘に心配をかけてまでやるようなことではない。
「さすがにぃ、その手の薬を扱う錬金術師はいませんねぇ。基本的には人を救うための技術ですからぁ。余程の外道でもなければぁ、それに手を出そうなんて思いませんよぉ」
ヴィオは相変わらずの口調だったが、表情からは真剣なのが見て取れた。
「それも、そうだな」
セロルのことは、他の手法でどうにかしよう。
エクスはそんなことを考えていた。




