元騎士の侯爵
「いい加減、機嫌を直せ」
エクスはため息交じりに、今日何度目かわからない言葉を娘達に言った。
「別にぃ、機嫌悪くないけど」
シャリアの言葉にはあからさまに棘があった。
「そうだね、お姉ちゃん。わたし達いつもと変わらないよね」
セロルがそう言うと、周囲の温度が幾分下がったようにも感じられた。
「隊長、原因はわかっていると思うけど」
その様子を見かねて、カトルがエクスに耳打ちした。
「原因? まあ、アレクシアと出かけるだけで結構機嫌は悪かったが……ここまで後を引くとは思わなかったな」
あれからずっと二人が不機嫌で、エクスはどうしたものかと頭を悩ませていた。
「はぁ、あの時カフェで思いっきり副団長抱きしめてたよね。しかも、結構長い時間」
「ん、あれはアレクシアが体勢を崩したから、咄嗟に受け止めただけだが」
「副団長が体勢を崩すなんて、余程強くぶつかったみたいだね」
アレクシアが体勢を崩したと聞いて、カトルは驚いたように言った。
「まあ、いくらアレクシアでも四六時中気を張っているわけでもないからな。休日くらいは気を抜いても許されるさ。それに、あの小柄な体だ。子供とはいえ、予想外の所からぶつかれば体勢も崩すだろう」
エクス自身も、あの程度でアレクシアが転びそうになるとは予想外だった。咄嗟に受けとめたからさしたる問題はなかったものの、あんな所で転倒してしまえば大騒ぎになっていただろう。
「まさか、あれを見られて……なるほど、な」
エクスはおおよそを察して、思わず頭を抱えそうになる。
「まあ、仕事に支障が出なきゃいいんじゃねえの。でも、いつまでもこんな雰囲気なのはあれだし、さっさと問題は解決してもらいたいけどな」
リュケアは二人に聞こえない程度の声で言う。
「そうだな、善処するよ」
エクスは背もたれに背中を預けて、天井を見上げた。
思えば、田舎で過ごしていた頃はこうして機嫌を悪くするようなことはほとんどなかったから、こういう時にどうしていいものかわからなかった。
もしかしたら、これも一種の反抗期というやつなのかもしれない。
「カトル、リュケア。すまないが、少し外してくれないか」
「了解」
「じゃ、適当にぶらついてから戻ってくるわ」
エクスがそう言うと、二人は特に文句を言うこともなく部屋を出る。
「何よ、わざわざ二人を部屋から出したりして」
それを見て、シャリアが怪訝そうな顔を見せた。
言葉こそ発しなかったが、セロルも似たような顔をしている。
「思えば、お前達とはあまり喧嘩をしたことがなかったな、と思ってな」
エクスは二人の顔を交互に見やった。
「はぁ、何よ今更」
「喧嘩なんて、しない方がいいに決まってるよ」
「まあ、そうだろうな。お前達は俺が思っていた以上に素直だったから、そこに甘えてしまった部分もあるか。本当にそれはお前達に助けられたと思っている」
エクスが何を言いたいのかわからずに、二人は互いに顔を見合わせた。
「お前達はほとんど我儘も言わなかったし、故郷にいた頃は誰もが良い子だと言っていたな。まあ、少しばかり甘え過ぎるきらいはあったが。ああ、はっきりと我儘を言ったのはお前達を王都の学校に行くように言った時くらいか」
エクスはふっと息を吐くと、ゆっくりと立ち上がった。そして、二人の目の前に立つ。
「お前達には我慢ばかりさせてしまったかもしれないな。俺がちゃんとした父親なら、もっとお前達の我儘を受け入れてやれた。お前達も、そういったことを薄々感じていたんだろう」
「……パパ」
「だから、言いたいことがあるならはっきりと言ってくれていい。俺は察しが悪いから、言ってくれないとわからん」
「……お父さん」
シャリアとセロルは、ばつが悪そうにエクスを見る。
「副団長さんのこと、好きなの」
セロルがエクスを真っ直ぐに見据えて聞いた。
「どうしてそう思う」
そんなことを聞かれるとは思ってもいなかったので、エクスは逆に聞き返していた。
「パパ、副団長さんと接している時は自然体というか、あたし達に見せないような顔をしてるから」
今度はシャリアがそう言った。
「そんなことは……」
エクスはそんなことはない、と言いかけて言葉を止めた。何だかんだで気心の知れた相手なのは間違いないし、余計なことを考えずに接することができる。
二人に対しては義理とはいえ父親だという意識があるから、どうしてもそういった面が出ているのだろう。
「そんなことはない、って言い切れないよね」
「そうだな。アレクシアは俺にとって数少ない友人の一人だ。友人に対する態度と、娘に対する態度が違ってくるのは当然のことだろう」
「でも、副団長さんのことは良い女だって言ってなかったかしら」
シャリアにそう言われて、エクスはふっと息を吐いた。
「確かにアレクシアは良い女だな。だが、俺はお前達のことも良い女だと思っているんだが」
そして、笑みを浮かべてそう言った。
「えっ」
「そんなこと」
エクスにそう言われて、二人は驚いたような顔になる。
「おいおい、俺は何回か言っていたと思ったが。まあ、父親に言われてもあまり嬉しくないか」
「あれ、本気だったの」
「お父さんが、本気でそんなこと言うなんて思わなかったから」
「それに、誰彼構わずこんなことを言っているわけでもない。俺が今までに良い女だと思ったのは、お前達二人とアレクシアくらいだ」
「パパが良い女って言ってくれるのは嬉しいんだけど……」
「比較対象が副団長さんなのは……」
二人は何とも言えないような、微妙というような物言いだった。
「思えば、前に騎士団にいた頃はそういったことに気を使う余裕もなかったな。アレクシアとは付き合いも長かったが、良い女だと思ったのは戻ってきてからだったか。お前達にしても、一緒に暮らしていた時は意識していなかったが……一度離れて、戻って来た時は別人かと思うほど美人になっていて驚いたよ」
エクスは二人に再会した時のことを思い出して、表情を緩めてしまう。
アイルはすぐ二人に気付いたのに、自分は全く気付けなかったのも今となっては恥じ入るばかりだ。
「改めて言われると、照れるわね」
シャリアは少し顔を赤くしていた。
「うん、でも、お父さんがそう思ってくれているのは嬉しいかな」
セロルも同様だ。
「だから、お前達なら男なんぞ選り取り見取りだろうな。今はそういった気になれないかもしれないが、落ち着いたら良い男を探すのも悪くないんじゃないか。お前達が選んだ相手なら、問題ないだろうし」
だが、エクスのその言葉で二人は険しい表情になった。
「前々から思ってたんだけど、パパ。自分の事は過小評価し過ぎてない」
「まだ若いのに、自分のことをおっさんって言うしね」
そして、問い詰めるようにまくし立てる。
「い、いや。俺くらいの男なんかそこら中にいるだろうし、おっさんに片足突っ込んでるのも事実だろう。それに、俺がまともじゃないことは自分が一番よくわかっているからな」
その勢いに押されて、エクスは言い訳するように言った。
「だから、そういうのが駄目って言ってるのよ」
「お父さんは、自分の価値をわかってないから」
シャリアとセロルが、エクスに詰め寄った。
「一応、客観的に見ているつもりなんだが」
二人に詰め寄られて、エクスは心底から困っていた。
「そうだね、他人に関してはお父さんの見る目は確かだと思うよ。でも」
「自分に関しては全く駄目よね」
「そ、そうか」
「だから、今後は自分を卑下するのは禁止、いいね」
「うん、あとおっさんって言うのもね」
「あ、ああ」
エクスはたじたじになりながらも、そう返事をする。
「隊長、そろそろいいかな」
まるで頃合いを見計らったかのように、カトルがドアをノックした。
「ああ、構わないぞ」
助かった、とばかりにエクスは答えた。
「隊長に来客のようだけど、通していいかな」
「来客? 俺に来客とは珍しいな。一体誰だ」
エクスは来客と言われても、全く思い当たらなかった。
「キリス侯爵家当主、ノッシュ様です」
「なっ……」
その名前を聞いて、エクスは一瞬言葉を失っていた。
「隊長?」
エクスから返事がないので、カトルが促すように言った。
「あ、ああ。すまないな、入ってもらってくれ」
「どうぞ」
カトルがドアを開くと、エクスとさして歳の変わらない男が入ってきた。
「久しいな、エクス。お前が前触れもなく騎士団を辞めて以来か」
ノッシュは侯爵家の当主だというのに、一人の共も連れていなかった。
「そうだな」
「何だよ、素っ気ないな。久々の再会なんだからもう少し歓迎してくれてもいいだろうに」
「いや、俺が辞めた後にごたごたがあったと聞いているからな。文句の一つでも言われるかと」
「それについては確かに文句は言いたいが。どうせ、俺に言われる前にアレクシアに散々言われただろう」
「お見通しか」
ノッシュに言われて、エクスは苦笑していた。
「まあ、俺からしたらお前が騎士団に戻って来たことの方が驚きだがな。しかも、ずっと口にしていた成り上がるという目標まで達成しているようだ」
「それに関しては、俺の実力とは言い難いところだ」
「あれだけ自分の力で上に行くことにこだわっていたお前の言葉とは、到底思えんな」
エクスの言葉に、ノッシュは驚いたように返す。
「くだらない見栄よりも、大事なこともあるさ。それで、侯爵家当主様がわざわざ訪ねてくるなんて、どういった用件だ」
「話が早くて助かる。ちょっとばかり、厄介事を抱え込んでしまってな」
「……厄介事、か。わざわざ外部に依頼するくらいだから、相当に厄介なんだろうな」
「そうだな。だが、こうして久々に会ったんだ。お前の作った飯でも食いながら話がしたい」
ノッシュはさりげなく周囲に気を配ってから言った。
「お前も物好きだな、侯爵様ならいくらでも贅沢できるだろうに。とはいえ、無碍にするわけにもいかんか」
ノッシュの意図に気付いて、エクスはそう答えた。




