代償
「団長、エクスが騎士団を辞めたのは本当の話ですか」
団長室の扉が勢い良く開くと、小柄な女性騎士が団長に詰め寄った。
「何だ、アレクシア。藪から棒に」
団長は落ち着いた様子でそう答える。
「どうして、引き留めなかったのですか。エクスが騎士団にしてきた貢献は、計り知れないものです。それに、エクスが細々としたことをほとんど引き受けていたことを、知らないわけではないでしょう」
アレクシアは目の前の机を勢いよく叩いた。
「わかっている。だから、あいつは他の騎士よりも待遇を良くしていた。だが、それだけで満足できなかった、それだけの話だ」
「それは、そうでしょう。大した実績も上げていない貴族騎士が上に行き、実際に貢献しているエクスはいつまでも肩書が変わらない。むしろ、そんな状況で良く我慢していたと」
「……まあ、平民のあいつを簡単に上に上げられないというのはある。だが、あいつは少し危ういようなところもあるからな」
団長はそこで軽く息を吐いた。
「どういうことです?」
「上に行くことだけを目指してなりふり構わずやってきた人間が、目標を達成した時にどうなるか。お前もわからないわけではないだろう」
「それは……」
アレクシアは答えられずに言い淀んだ。目標に向けてなりふり構わずやってきた人間が目標を達成した時にどうなるか。
そこで満足して燃え尽きてしまうか、逆に更に高みを目指していくか。
「まあ、あいつに関しては燃え尽きてしまうようなことはないだろう。だが、あまりに貪欲過ぎる。もっと上を目指すのは間違いない。そうなったら……手段を選ばなくなる可能性もある」
「私は、そんなことになるとは思いませんが」
アレクシアはその言葉をきっぱりと否定する。
確かにエクスは上に行くと言って無理なことをしてはいた。だが、「非人道的な行いまでして上に行ったなら、それを弱みとして握られる」と手段は選んでいた。
「せっかく上に行ったのに、自由に権力を振るえないんじゃ意味はないからな」
そう言ってニヤリと笑っていたのをよく覚えていた。
「いずれにしても、もう終わったことだ。俺とて、あいつに残ってもらいたいと思っていた、だが、引き留める術はなかった。団長として、不甲斐ないと思うか」
「……失礼します」
団長の問いには答えず、アレクシアは団長室を後にした。
「アレクシア、とんでもないことになった」
鍛錬をしていたアレクシアの元に、深刻な顔をした騎士が近寄ってきた。
「どうしたんだ、ノッシュ。そんな顔をして」
ノッシュはエクスと交流があった数少ない貴族出身の騎士で、ノッシュに言わせれば友人とのことだった。もっとも、エクスは「貴族様が友人とか有り得ないな」と軽く笑い飛ばしていたが。
「平民出身の騎士の半数近くが辞めると言い出した」
「……それは、本当か」
あまりに信じられない言葉だったので、アレクシアは思わずそう聞いてしまう。
「冗談でこんなことを言えると思うか」
「どうして、そんなことに」
ノッシュの言動からそれが冗談でも何でもないとわかって、アレクシアは思案した。
貴族出身の騎士が平民出身の騎士をいいように扱うのはよくある光景だったが、それでも騎士団自体の給金は他よりも高いし、任務で負傷した時などの補償も手厚い。
だから、不満はありながらも続けているというのが実情だった。
「エクスが辞めたせいだ。あいつ、俺にも何も言わないで辞めやがって」
「どういうことだ」
「いや、エクスは良く他の騎士達と飲みに行っていた。その時にも『俺は成り上がってやる』とか言っていたようなんだが」
ノッシュはそこで言葉を止めた。
「実際、エクスは成り上がるためにそれこそ身を粉にして任務をこなしていた。多分、他の誰よりも働いていたんじゃないか」
「そうだな、私もあまり無理はするなと言っていたんだが」
アレクシアはエクスが相当な無理をしていたのを、何回か止めようとしたこともあった。だが、当の本人が無理などしていないと突っぱねるので、どうしようもなかった。
「エクスがあれだけ成果を上げても、平民だからといって評価されない。そして、それに見切りを付けて辞めてしまった。なら、エクスに劣る自分達はどうなるんだ、と」
「頭が痛い話だな」
アレクシアは思わず目元を押さえてしまう。この問題は解決しなければいけないと思ってはいるものの、そう簡単に解決するものでもなかった。
「で、エクスが成り上がれば騎士団の在り方も変わるかもしれない、そう思っていた。でも、そのエクスが辞めたならもう希望も何もないとまで言われたよ」
「他の貴族はどう対応している?」
「辞めたなら新しいのを入れればいいだけの話だ、と。楽観的過ぎるにも程がある」
ノッシュはやれやれ、というように首を振った。突然平民出身の騎士が半数近くが辞めるようなことになれば、何かしらの問題を抱えていると思われるのは当然のことだ。
そして、そんな騎士団に入団したいという物好きがそういるわけがない。
「団長室に行くぞ」
「わかった」
二人は団長室に急いで向かっていった。
「団長、この状況を放置しておくと、騎士団の存続が危うくなりますが」
「どんな手を使ってでも、辞めると言っている騎士達を引き留めないと」
「わかっている」
二人が団長に詰め寄ると、団長は難しい顔をして答える。
「わかっているなら、早急に手を打ってください」
「給金を上げるなり、待遇を改善するなり、できることは全てです」
「簡単に言ってくれるが、そもそも騎士団の予算も限られている」
「無駄飯喰らいの方々の給金を削ればいいでしょう」
アレクシアはきっぱりと言い切った。そもそも、貴族出身の騎士が必要以上に給金を貰っているから、平民出身の騎士が割を食っている。まともに仕事をしているのなら問題ないのだが、実際はそうではない。
「そんなことをしたら、騎士団の存続すら危うくなる」
団長は苦渋の表情をしていた。団長とて、現状がよろしくないのは理解している。だが、下手に貴族出身の騎士を冷遇すると、その実家から文句を言われるのは目に見えていた。
文句を言われるだけならまだしも、どんな圧力をかけてくるのかわからない。
「そういえば、この前貴族の騎士がとんでもない醜態を晒してくれましたよね。それこそ、隠蔽をするのすら難しいくらいの」
ノッシュが思い出したように手を打った。
「あんだけやらかしといてお咎めなしって、世間体もよろしくないんじゃありませんか」
そして、畳み掛けるように続けた。
「何が言いたい」
「簡単なことですよ。それを理由にして来季の昇給はなし、代わりに辞めると言っている騎士達を昇給する。それだけです」
「確かに、それには一理ある。だが、全員を昇給するのは難しいのではないか」
「恐らくですが、全員を引き留めるのは無理だと思います。半数でも残ってくれれば御の字といったところです。だから、そこまで問題にはならないでしょう」
「わかった、その線で行くことにしよう」
団長はノッシュの案を受け入れた。
「一時はどうなることかと思ったが、何とかはなったな」
一連の処理を終えて、アレクシアは一息ついていた。
ノッシュの予想通り、辞めると言った半数はどうにか引き留めることができた。それでも結構な人員が抜けてしまったので、その穴を埋めるのは中々に大変なことだった。
「だが、あれだけ辞めるとさすがに色々詮索はされているようだ。もっとも、おかげでしばらくは貴族の騎士もまともに仕事をせざるを得なくなったがな」
ノッシュはそこで笑い声をあげる。
「しかし、よくあんなことを思いついたな」
「まあ、な。俺もエクスに感化されて、色々と考えるようになったから、その産物だ。ま、たまたまやらかしてくれてたのは本当に助かった。あれがなかったら、どうなっていたか」
「あの件は私も呆れるしかなかったな。エクスなら……いや、ある程度の騎士なら簡単にこなせるのにあの大失態は、中々お目にかかれるものじゃない」
アレクシアは心底から呆れたように言う。
「でも、意外だったな」
「何がだ」
「俺に何も言わなかったのは、仕方ないところもある。エクスが辞める一か月くらい前から遠征に行っていたからな。だが、お前にも何も言わないとは思わなかった」
「……本当に、な。私はエクスのことを、友人だと思っていた。でも、エクスからしたらそうではなかったのかもな」
アレクシアは呟くように口にした。騎士団を辞めること自体は、本人が決めることだからとやかく言えることではない。
それでも、辞める前に一言くらい言ってもらいたかった。友人だと思っていたのだからなおさらだ。
「それは違うと思うな。あいつは妙に決断力と行動力があるから、思い立ったら即行動ってな感じだろ」
「そうかもしれない。だが、私に一言もなかったことは許せそうにない」
アレクシアは自分でも驚くほどに低い声でそう言っていた。
それだけ、エクスのこと友人として大切に思っていたのだろう。
「その恨み言、再開した時にでも言ってやればいいさ。お前ほどじゃないが、俺も文句の一つは言ってやりたい」
ノッシュは僅かに驚いたような顔を見せたが、すぐに取り繕っていた。
「そんな機会が、あればの話だがな。いっそのこと、あいつの故郷にでも文句を言いに行ってもいいかもしれないな」
「そんな暇があればいいが」
「そうだな、あいつがいなくなった穴埋めはかなり大変そうだ」
数年後、ノッシュは兄が急死してめ後を継ぐために騎士団を辞めた。
そして、アレクシアは順当に出世していき副団長になっていた。