休日
「じゃあ、行ってくる。今日は遅くなりそうだから、昼と夜は自分達で何とかしろ。お前達もいい歳なんだから、ある程度できるようになっておくに越したことはない」
エクスは玄関先で二人に声をかけた。
「足取りが軽いね、そんなに副団長さんとデートするの楽しみ?」
「だから、そんなに色気のあるものじゃないぞ。俺とアレクシアは」
不機嫌そうなシャリアに、エクスは呆れたように首を振った。
「まさか、副団長さんがあんな条件出してくるなんてね。こんなことなら、お父さんと立ち会いなんかさせるんじゃなかった」
「セロルまで何を言い出すんだ。まあ、俺もアレクシアがこんなことを言い出すとは思いもしなかったが」
アレクシアが出した条件は「今度の休日に一日自分に付き合う事」だった。
てっきり仕事を手伝えとか、配下の団員を鍛えろとか。そういったことを言われると思っていただけに、この条件は予想外だった。
「とにかく、だ。今日は休日だからお前達もしっかり休んでおけ。別に出かけても構わんが、仕事に支障がない程度にな」
エクスは不満げな視線を送る二人を宥めるように言う。
「デートじゃないんなら、そんな小綺麗な服着る必要ないんじゃない」
「気のせいじゃなけば、どこか嬉しそうだよね」
それでも二人は文句を言うことを止めなかった。
「俺がお洒落に無頓着なのは、お前達も良く知っているだろう。それに、休日なのに騎士団の制服で出かけるわけにもいかないしな」
「無頓着、ねぇ。その割には良い服持ってるじゃない」
「着こなしも問題ないしね。それに、わたし達に選んでくれた服も悪くなかったし」
エクスは無頓着とは言うが、成り上がるためには見た目もある程度は必要だと考えていた。必要以上に着飾るのは性に合わなかったとはいえ、最低限の身なりを整えるくらいはしていた。
二人が王都に行く前はエクスが服を見立てたりもしていたが、女の子の服は勝手が違うからこれで良いものかという不安もあった。
だが、意外にも二人はエクスの見立てを喜んでくれていた。
実はアレクシアを参考にしていたのだが、今それを口にしたら面倒なことになるのは間違いない。
時折騎士団の制服以外を着ていることがあったが、貴族ということもあって最低限は着飾っていた。だが、下品さは一切感じられずむしろ清楚な感じすらあった。
「仕方ないだろう、約束は約束だ。正直、アレクシアが何を考えているのか俺にもわからんが、ここで反故にしたら面倒なことになる……お前達、何が望みなんだ」
「今度、あたし達とデートして」
「副団長さんとだけデートって、ずるいよね」
「どこの世界に娘とデートする父親がいるんだ。それに、アレクシアとは……まあいい、それがお前達が納得するならな。待たせると怒られそうだから、もう行くぞ」
エクスは小さく息を吐くと、まだ言い足りなさそうな二人を置いて家を出る。
「お姉ちゃん」
「そうね」
シャリアとセロルは顔を見合わせると、大きく頷き合っていた。
「さて、待ち合わせの場所は噴水前だったか。本当にデートみたいだな」
エクスは待ち合わせの場所に向かう最中、そんなことを呟いた。
アレクシアとデート?
ははっ、有り得ないな。
一瞬浮かんだそんな考えを、エクスは振り払う。
「エクス、ここだ」
噴水前にいた小柄な女性が、エクスに気付いて軽く手を上げた。
「待たせたか……って、アレクシア、か」
普段と、いや以前騎士団にいた頃とも全く雰囲気の違うアレクシアに、エクスは戸惑っていた。
前にアレクシアの私服を見たことはあったが、貴族らしく相応な服装だった。だが、今のアレクシアはどこにでも売っているような服で、全く着飾っていない。
本当に普通の町娘といった感じで、誰もこの少女が騎士団の副団長とは思わないだろう。
「どうした、何か変か?」
「いや、そんな服も着るのかと思ってな」
「似合わない、とでも言いたいか」
「そうじゃないんだが、意外だなと。いや、似合ってないとかそういうことはないんだが」
「ふふっ、そうか。変に着飾ると素性がばれそうだからな。今日はお前とゆっくり王都を回りたいから、目立つような服装は避けたんだ」
アレクシアは笑顔を浮かべると、エクスの右手に自分の右手を重ねた。
「お、おい」
急に手を握られて、エクスは上ずった声を上げてしまう。
「よもや騎士団の副団長が、こんなことをしているとは思わないだろう」
「そうかもしれんが」
「行くぞ」
あたふたしているエクスを面白がるように、アレクシアは手を引いて歩き出した。
「お、エクスじゃないか。いつの間に戻って来たんだ」
少し歩いたところで、不意に声をかけられた。
「あんたは……ああ、パン屋のおっさんか」
よく覚えていたものだと思いつつ、エクスはそう答えた。
「何だよ、いい女を侍らせて今日はデートか。全く羨ましいね」
「おっさん、嫁さんに報告するぞ」
「はっはっは、それは勘弁してもらいてえな。それにしても、戻って来たなら顔くらい出せって」
「無駄に偉くなったもんで、色々と忙しくてな」
「偉くなったって、おいまさか」
そこでパン屋の主人は言葉を止めた。
「最近騎士団に新しい部隊ができて、その隊長を外から引っ張って来たって話だが、お前だったのか」
「ああ、今度時間があったら顔を出すよ。今度ゆっくりと話をしようか。今日はこの通り、連れがいる」
エクスはそれとなくアレクシアの方に視線をやった。
「そりゃいけねえな、お二人さんの邪魔をしたら馬に蹴られちまう。じゃ、また今度な」
パン屋の主人は大きく手を振ると、店へと戻って行った。
「お前、一体どれだけの人間と関わりを持っていたんだ」
目的地にようやく到着して、アレクシアは何とも言えないような顔をしていた。
目的地に着くまでの間に数多くの人間に声をかけられて、中々目的地に着けなかった。
「自分でもあそこまで関わっていたとは思わなかったな。だが、全員の顔を覚えていられたとは」
成り上がるために数多くの仕事をこなし、その過程で多くの人間と知り合った。自分のために利用すると堂々と公言していたので煙たがられるとも思っていたが、意外にも誰しもがエクスに対して好意的だった。
「おかげで、中々到着できなかったな。まあ、丁度良いと言えば丁度良いか」
アレクシアは視線を目の前の食堂にやった。
「この店は」
「久しぶりに二人で食事でもしようと思ってな」
「そうか」
エクスが頷くと、アレクシアは店の扉を開けてエクスに入るよう促した。
「お前がエスコートするなんてな。普通は逆だと思うが」
「悪くないだろう」
「いらっしゃいませ」
二人が店に入ると、店員が声をかけてきた。
「予約していた者だが」
「はい、承っております。こちらへどうぞ」
二人は店員に案内されて、比較的奥の方へと通された。
「お前がこの店を知っているとは思わなかったな」
エクスはアレクシアがこの店を知っていたことに少なからず驚いていた。大衆的な店なこともあり、貴族のアレクシアからすると縁がないようにも思っていた。
「下手に高級な店に連れて行っても、お前が遠慮するだろう」
「それはそうだが」
「本日はご予約ありがとうございます。今日はこのわたくしが料理を担当させていただきます」
予約していたこともあってか、わざわざ料理人が出てきて二人に頭を下げる。
「繁盛しているようだな、店主」
「エクス、か」
エクスが声をかけると、店主が驚いたように顔を上げた。
「久しいな」
「全く、戻ってきたなら顔を出せ」
「もうその言葉は嫌というほど聞いたよ」
「そうか、そうだろうな。まさか今日の予約客がお前だったとは。これは腕によりをかけてやらんとな」
店主は軽く腕を回しながら厨房へと入っていった。
「驚いたな。まさか、ここの店主とも知り合いだったなんて」
さすがにアレクシアも驚いたようにエクスを見ていた。
「少し相談に乗ってもらったことがあってな。その時以来の付き合いだ」
エクスは騎士団にいた頃、野宿する際の食事の質素さに悩んでいた。どうにか少しでもまともな食事にできないかと考えていた時、この店の話を聞いて店主に相談したことがあった。
「全く、お前の顔の広さには呆れるしかないな。だが、店選びを失敗したか。お前も知っている店よりは知らない店の方が良いだろう」
「いや、さっきも言われたが顔を出す機会になった」
「お待たせしました。前菜の煮込みです」
店主が料理を持って現れる。
「あんたに敬語を使われるとむずかゆいな」
「そう言うな、これも仕事だからな」
「そうか。それなら、今日は客として振る舞うとしよう」
エクスはフォークを手に取ると、良く煮込まれた人参を口に入れた。
「久々に口にするが、更に腕を上げたか」
「嬉しい事言ってくれるな」
店主は笑顔を浮かべると、また厨房へと入っていく。
「これは、いいな。決して豪華ではないが、良く煮込まれている。煮込むと味が濃くなってしまいがちだが、程々で抑えられているな」
アレクシアは感心するように口にした。
「この店は調味料が独特だからな」
「良く知っているな」
「まあな。それにしても、今更ながら王都に戻って来たという実感が湧いた。戻ってきてからは何かと忙しかったからな」
エクスはふっと息を吐いた。
騎士団に戻ってからはずっと仕事に追われていたこともあって、王都に戻ったという感じはしていなかった。
それが今日、以前交流があった人間と再会して、更には馴染みの店で食事もできた。
改めて、自分が王都に戻ったということを実感していた。
「なあ、エクス」
「何だ」
アレクシアが真剣な面持ちでエクスを見る。
「今日、こうしてお前と王都に出かけたのは、お前がやってきたことが無駄じゃなかったことを知って欲しかったからだ」
「それは、どういうことだ」
アレクシアが言いたいことがわからずに、エクスは聞き返していた。
「お前は騎士団に限界を感じて辞めたのかもしれないが、今日お前に何人が声をかけてきた。みんな、お前に少なからず感謝している証拠だ。だから、お前がやってきたことは無駄じゃなかったんだ」
「そうか、気を使わせてすまないな。だが、俺は限界を感じて辞めたわけじゃないんだ」
「なら、どうして」
「全てをやり切った、と思ったから辞めた。自分にできることは全部やった。後悔は全くしていないし、辞めることに迷いはなかった。だから、お前に相談することもしなかった。少しでも迷いがあったなら、相談していたとは思うが」
「それでも一言くらい言って欲しかった。お前が辞めたと知った時、私がどれだけショックだったかわかるか」
「すまない、本当に言い訳のしようもない」
アレクシアに責められるように言われて、エクスは頭を下げることしかできなかった。
「だが、お前は戻ってきてくれた」
エクスが顔を上げると、アレクシアは優しい笑顔を浮かべている。
「だから、全部許す。今後は私を手伝ってくれるんだろう」
「ああ」
その笑顔に胸を締め付けられそうになって、エクスは呟くように返事をした。
「そうか。だが、今は料理を楽しもう」
「そうだな」
エクスは自分を落ち着かせるように、ゆっくりと料理を口に運んでいた。




