手合わせ
「依頼してから三日程度で片付けてくるとはな。お前に頼んで良かったよ」
ミノタウロス討伐を終えた後日、アレクシアがエクスの元を訪れていた。
「部下が優秀だからな。おかげで俺は見ているだけだったよ」
「そのことなんだが、報告書にもそう書いてあったが……本当に、お前は何もしなかったのか」
淡々としているエクスに、アレクシアは疑念の目を向ける。
「あいつらに経験を積ませるには程よい相手だったからな」
リュケアが何か言おうとしたので、エクスはそれを視線で制止しつつ答えた。
「ミノタウロスが程よい相手、か。そんな馬鹿げたことを言えるのは、お前くらいだろうな」
「よく言う。お前なら一人でもやれたんじゃないか」
口元に僅かな笑みを浮かべながら言うアレクシアに、エクスはそう言った。
今のアレクシアの実力はわからないが、エクスが騎士団を辞めた頃と変わっていなかったとしてもミノタウロス程度なら簡単に倒せるだろう。
「やってやれないことはないが、立場上一人で討伐に行くこともできなくてな。かといって、足手まといになるような団員を連れていって犠牲を出すわけにもいかない。どうしたものかと困っていたところに、お前のことを思い出して頼んでみたというわけだ」
アレクシアは小さく首を振る。
その様子からして、今の騎士団はエクスがいた頃よりも質が悪くなっていることが察せられた。
「そうか。こちらも大きな成果を上げる必要があったからな、おかげで助かった」
「しかし、お前が手を出すまでもなかったとはな。ひょっとして、田舎暮らしで鈍ったか」
「はは、そうかもしれないな」
エクスが笑いながら言うと、アレクシアの目がすっと細くなった。
「久々に、手合わせでもするか。そうだな、今回は負けた方が勝った方の言うこと一つ聞く、という条件で」
「おいおい、そりゃお前の言うことを聞けって言ってるのと同じだが」
アレクシアがそんなことを言い出すと信じられなくて、エクスは冗談を言っていると思っていた。
先の戦いで、エクスは自分が思っていたよりも鈍ってはいないことは実感していた。だが、あくまで鈍っていないだけでアレクシアとの実力差が縮まったわけではない
「有体に言えば、そうだな。私はお前が騎士団を辞めたことを、まだ許したわけじゃない」
「それに関しては、迷惑をかけたと思っている。だが、俺が辞めた後のことまでは予想できなかった」
アレクシアの表情が真剣なものだったので、エクスは少しだけ申し訳ない気持ちになっていた。だが、自分が辞めたことで騎士団が揺らぐほどの大騒ぎになるなど、予想すらできなかった。
「違う」
「違う?」
アレクシアが聞こえるかどうか、くらいの声で呟いたのでエクスは思わず同じ言葉を口にしていた。
「お前が辞めてから、騎士団は大変なことになった。だが、それはお前だけのせいじゃないから責めることはできない。私が許せないのは、お前が一言の相談もなく辞めたことだ」
「それは……」
エクスは上手く言葉に出来ずに言い淀んでしまう。
アレクシアに何も言わなかったのは、騎士団を辞めることに一切の迷いがなかったからだ。もし少しでも迷っていたら、間違いなく相談していただろう。
「お前を友だと思っていたのは、私の独りよがりだったのか」
「そんなことは、ない。俺もお前のことは友だと思っていた」
「なら、どうして」
「それは……いや、何を言っても言い訳にしかならないか」
感情を必死になって抑えているアレクシアに、エクスはかける言葉が見つからなかった。
「良いだろう。こんなことで詫びになるかはわからんが、お前の言うことを聞いてやる」
だから、立ち上がってアレクシアを真っ直ぐに見据えた。
「良い表情だな、昔を思い出す」
それを受けて、アレクシアは不敵な笑みを浮かべる。
「パパと副団長が手合わせ、か。面白いものが見れそうね」
「そうだな、おっさんがどこまで副団長とやり合えるのか、気になるところだな」
新しく創設された特殊部隊の隊長と副団長が手合わせをするという話は、あっという間に騎士団全体に広まっていた。
物珍しさからか、それとも他の理由からかはわからないが半数近くの騎士が見物に来ていた。
「みんな、暇なのかな。滅多に見られるものじゃないから、気持ちはわからないわけじゃないけど」
「お父さんなら、暇なのは平穏無事だからいいことだ、って言いそうだけど」
エクスはかつて騎士団にいた時のように、背中に槍と斧を背負い、懐に短剣を忍ばせていた。
「おいおい、何だよあれ」
「まさか、全部使うつもりか」
さすがにエクスのことを知っている団員も少なくなっていたようで、その出で立ちに驚く騎士も少なからずいた。
「先手は譲ってやる」
対して、アレクシアは普段通りに剣を構えていた。
「なら、遠慮なく」
エクスは右手で剣を抜くと、横薙ぎに斬り払った。
「鈍ってはいないようだな」
アレクシアは剣を逆手にしてそれを防ぐ。
エクスは左手で背中の槍を引き抜いて上から叩きつけた。
「いつ槍を抜いたんだ」
それを見た外野から、そんな声が上がった。
アレクシアはエクスの槍を真っ向から受け止めた。
「簡単にはいかないか」
エクスは槍を納めると、今度は懐から短剣を引き抜いて薙ぎ払った。
エクスが短剣を持ったのを見て、アレクシアは軽く飛び退いて間合いを取った。
それを見て、エクスは短剣を納めて槍で突き付ける。
アレクシアはエクスの使う武器に応じて間合いを調達し、エクスもその間合いに応じて武器を持ち替えていた。
「へぇ、隊長は左利きか」
一連の流れを見て、カトルがそう呟いた。
「あなた、今のを見ただけでわかったの。あたし達だって、一緒に生活してすぐにはわからなかったのに」
エクスが左利きなことにカトルが気付いたことに、シャリアは感嘆したように言う。
ミノタウロスを倒した時も、エクスは右手で剣を使っていた。今は複数の武器を使うから両手を使っているが、それだけで利き手を見分けるのは難しい。
「剣は右手で、他の武器は左手で使っているみたいだからね。騎士団が左利きの剣技を教えるようにも思えないから、仕方なく右手で剣を使うようにしていたんじゃないかな」
「中々器用なことをするもんだな、うちの隊長は」
「両利きの君には言われたくないだろうけどね、リュケア」
「オレは生まれつきだけど、おっさんは違うだろ」
カトルにそう言われて、リュケアはエクスを褒めるような言葉を口にする。
「相変わらず、こちらの間合いでは戦ってくれないか……凍り付け」
エクスはアレクシアの足元を凍らせるべく、魔法を放った。
「速い? 前よりも詠唱速度が上がったか」
アレクシアは完全に反応できずに、左足の一部が凍り付いていた。地面に足が凍り付いてしまい、かなり動きが制限されてしまう。
「その足で、これを受けられるか」
エクスは両手で斧を持つと、力任せに叩きつける。
剣や短剣はもちろん槍も片手で扱える程度の長さだが、どういうわけか斧だけは両手で構えないと持てないような大きさだった。
「容赦がないな、そこまでして私の言うことを聞きたくないか。だが」
アレクシアは動きが制限されているにも関わらず、半身をずらすだけで斧を回避していた。
エクスは咄嗟に斧を手放すと、地面を蹴って間合いを取った。
間合いを取っていなかったら、アレクシアの剣がエクスを捉えていた。
「らしくないな、そんな大物で私をやれないことくらいわかっているだろう」
アレクシアは凍り付いた足元を軽く剣で払う。
詠唱速度を重視したから威力はそこまでではないとはいえ、それだけで簡単に氷が砕かれていた。
「だから意表を突けると思ったんだがな」
「確かに、お前が斧を使うことなど数える程しかなかったな。意表を突くなら申し分はない。だが、如何せん大振りすぎる」
「あの状況であんな冷静に対処するのは、そうできることではないと思うが」
間合いが離れたこともあって、エクスは槍を構え直した。
「何なんだよあれは、副団長とまともにやり合えるってだけでも大変なのに、いつ持ち替えたかわかんねえぞ」
「最初はふざけてるかと思ったが、あそこまでやるならな」
二人の白熱した手合いに、一部はかなり盛り上がっていた。
対照的に忌々しい、といった感じで見ているのは貴族出身の団員だろう。
「どう思う、お姉ちゃん」
「パパ、勝てないわ」
セロルは武器の心得がないこともあって、二人の技量差がわからなかった。対してシャリアは剣をずっと振るってきていたから、二人の実力差を大体把握していた。
「お姉ちゃんはどう」
「……認めたくないけど、今のあたしじゃ敵わないわね。というか、この場で副団長に勝てる人なんていないんじゃないかしら」
セロルに聞かれて、シャリアは小さく首を振った。
アレクシアが並ではないことはわかっていたが、あそこまでの技量だとは思っていなかった。あの体躯であそこまでの剣技を身に付けたのだから、どれほどの修練を積んできたのか。
「そうだね、わたしが魔法で挑んでも全部斬り払って懐に潜られそう」
セロルはエクスと立ち会った時のことを思い出していた。
全く知識がなかったとはいえ、あの時はエクスに一方的に負けてしまった。今は戦い方もある程度はわかっているが、それでもアレクシアを相手にどうにかできるとは思えずにいた。
「お前が鈍っていないことはわかった。むしろ、研鑽も怠っていなかったのもわかる」
「それはどうも」
「だが、それは私も同じことだ」
アレクシアは大きく踏み込んで間合いを詰めた。
「お前は少し鈍るくらいでちょうどいいんだが」
エクスは槍から剣に持ち替えようとしたが、アレクシアはその僅かな隙を狙っていた。
持ち替えようとした槍を簡単に弾き飛ばすと、剣を持つ時間すら与えなかった。
「私の勝ちだな」
アレクシアの剣がエクスの喉元に突き付けられた。
「まさか、持ち替えようとした時を狙うとはな」
エクスはやれやれ、というように両手を上げた。
「約束通り、一つ言うことを聞いてもらうとしようか」
「お手柔らかに頼むよ」
どこか嬉しそうな表情なアレクシアに、エクスは力なく笑うしかなかった。




