初任務
「なぁ、おっさん」
書類をパラパラと眺めていたエクスに、リュケアが声をかける。
近くにいたシャリアとセロルが厳しい視線をやるが、リュケアはさして気にもしていなかった。
最初こそこの呼び方で揉めることもあったが、エクスが全く気にしていないことやカトルの方はそう呼ばないこともあって、この程度で済むようになっていた。
「何だ」
エクスは書類から目を離さなずに答えた。
「いや、オレらがここに配属されてから、仕事らしい仕事してねえんだけど」
「特殊部隊が駆り出されるような大事なんか、早々あるものじゃない。平和でいいことじゃないか」
エクスは書類を簡単にまとめると、引き出しの中にしまい込んだ。
「でもそれって、あなたが依頼を突っぱねてるからでもあるよね。全く、いくらあなたの方が立場は上とはいえ、お貴族様の依頼を突っぱねるなんて強心臓にもほどがあるよ」
それを聞いて、カトルが呆れたように言う。
カトルの言うように、何度も貴族出身の騎士が面倒な仕事を押し付けには来ていた。
「いつから騎士団は口頭だけで仕事のやり取りをするようになったんだ。仮にも依頼なら、きちんとした書面で持ってくることだな」
あからさまに見下したような態度で依頼を押し付けにきた相手に、エクスは毅然とした態度で突っぱねていた。
「おい、特殊部隊だかなんだか知らんが、平民の分際で調子に乗るなよ」
「その平民にできる仕事を、まさか貴族様ができないなどとは言わないよな。それに、俺に直接命令を下せるのは団長だけだ。文句があるなら、直接団長に申し出ることだな」
相手は脅すように詰め寄って来たが、それでもエクスは一歩も引かなかった。
「はっ、お高く止まりやがって」
相手は舌打ちすると、エクスを一瞥して去って行った。
以来、口頭で任務を押し付けるようなことはなく、先程エクスが眺めていた書類で送ってくるようになっていた。
「その書類だって、こちらに依頼されたものだよね。こんなこと言いたくないけど、まともに仕事するつもりあるかい」
カトルが怪訝そうな顔でエクスを見る。
言葉こそ発さなかったが、リュケアも同様だった。
「俺は、この部隊を安売りするつもりはない。どういう経緯でこの部隊を結成できたかわからないが、周囲から相当の反発があったことは容易に察せられる。だから、最初の任務で黙らせないと後々面倒だ」
そんな二人に、エクスは不敵な笑みを浮かべて言った。
「そこまで考えてるなら、もう何も言わないけど。でも、いつまでも貴族連中を抑えられるとは思えないから、早い方がいいんじゃないかな」
「あいつら、何考えてるか知らんが簡単な依頼しか持ってこない。本当にこんなのしかないのか、それとも」
エクスはそこで言葉を止める。
単純に仕事を押し付けたいだけなのか、それともこちらに手柄を立てさせたくないのか。
「なら、押し付けられたの一気に片付けちゃわない。一つ一つは簡単でも、まとめて片付ければ違うんじゃないかな」
シャリアはいいことを思いついた、というように手を打った。
「俺もそれは考えたんだがな。逆にそれだけできるならと余計に押し付けられるかもしれん」
エクスは腕を組んで天井を見上げた。
以前、与えられた待遇が気に入らず仕事を一か月放置しており、それを咎められて一か月分の仕事を僅か数日片付けた男がいたという逸話を聞いたことがあった。
その男はそれを評価されて待遇が良くなったが、この騎士団で同じことになるとは限らない。むしろ、余計に仕事を押し付けられるような感じすらある。
「そっか、中々難しいね」
セロルがそう言った時、勢い良く扉が開かれた。
「今日こそ仕事を受けてもらおうか」
ずかずかと足音を立てて入ってくると、エクスの胸元に指先を突き付けた。
「まともな仕事を持ってきたんだんだろうな」
その勢いに押されることもなく、エクスは淡々と対応する。
その様子を見て苛立ちを隠そうともせずに、騎士は書類を突き付けた。
「こんな簡単な仕事もできないのか」
エクスは書類を軽く流し読みすると、何度口にしたかわからないその台詞を言い放った。
「この野郎、毎回毎回同じことばかり言いやがって。簡単な仕事と言ってくれるが、お前はそんなに偉いのかよ」
相当頭に来ているのか、騎士は机を大きく叩いた。
「いや、実際に偉いぞ。何せ団長の次だからな。少なくとも、お前よりはずっと偉いが」
シャリアとセロルが動きそうになっていたので、エクスは視線を送って二人を制した。
「言わせておけば」
エクスに馬鹿にされていると感じて、騎士はわなわなと震えていた。今にも飛び掛かりそうな勢いだった。それでも飛び掛かったりしないのは、貴族としての矜持だろう。
「何だ、取込み中か」
その場の雰囲気にそぐわない落ち着いた声が響いた。
「ふ、副団長?」
その声に振り返った騎士は、アレクシアの姿を見て驚きを隠し切れずにいた。
「エクス、仕事を頼みたいんだが」
そんな騎士に構うことなく、アレクシアはエクスに書類を差し出した。
「お前が依頼を持ってくるなんて、珍しいな」
エクスはそれを受け取ると、先程よりもゆっくりと書類に目を通す。
「いいだろう、この依頼を受けよう」
「そうか、助かる」
エクスが依頼を受けると、アレクシアは僅かに表情を緩めたように見えた。
「おいおい、こちらの仕事は受けないくせに、副団長様の仕事は受けるってか。そういや、お前は副団長のことを名前で呼んでいるようだが。まさか、取り入ろうとか無駄なことを考えてるんじゃないだろうな」
「なら、お前がこの依頼を受けるか」
馬鹿にしたように言う騎士に、エクスは書類を突き付けた。
「はっ、どうせ大したこと……」
その内容を見て、騎士の顔色が途端に青くなっていた。
「どうした、受けないのか」
「こ、こんな無茶な……そ、そうか。副団長も人が悪い。できもしない依頼を押し付けて貶めるってことですか」
騎士はエクスに問い詰められて答えに困っていたが、はっとしたようにアレクシアの方を見る。
「いや、これは難しい任務だからな。下手な相手には任せるつもりはない。それに、私はできもしない相手に依頼するほど馬鹿じゃないつもりだが」
だが、アレクシアから発せられた言葉は騎士が望んでいたのとは全く違うものだった。
「くっ、精々死なないようにすることだな」
騎士は捨て台詞を吐くと、苛立ちを隠すことなく部屋から出て行った。
「全く、あれでも貴族だというから呆れるな」
その様子を見て、アレクシアは心底から情けないというように言った。
「騎士団にいるのは食い扶持目当ての跡を継げない奴らだ。それでも貴族だということが忘れられないんだろう。お前のように割り切っているのが珍しい」
成り上がることを考えていたエクスと違って、貴族出身の騎士達には全くやる気が感じられなかった。最初は平民の騎士達に仕事を押し付けたり、手柄を横取りできるせいかと思っていたが、それだけではないことに気付くのにそう時間はかからなかった。
そう考えると、しっかりとした目標を持っていたアレクシアが副団長になれたのは自然なことだともいえた。
「褒め言葉として受け取っておくよ」
アレクシアはふっと笑顔を浮かべる。
「それにしても、助かった。これくらいの任務をこなせば、周りも文句を言わないだろう」
「そうか。こちらもこんなのを回されて少し困っていてな。そこでお前達のことを思い出したわけだ。心配はしていないが、よろしく頼む」
先程の騎士とは対照的に、アレクシアは静かに部屋から出て行った。
「パパ、どんな依頼なの」
全ての依頼を断っていたエクスが引き受けたことに、シャリアが興味津々というように聞いてくる。
「正直、俺一人だった受けたいとは思わないな」
エクスはシャリアに書類を差し出した。
「えっ、これ本気なの」
それを見て、シャリアは驚いた声を上げる。
「どうしたの、お姉ちゃん……って、これは」
シャリアの背中越しに書類を見て、セロルも驚きを隠せずにいた。
「おいおい、そんな厄介な依頼なのか」
リュケアがそう言うと、シャリアは黙って書類を差し出した。
「は? あんた正気かよ」
その内容に、リュケアはエクスの方を見やった。
「へぇ、確かに厄介な依頼だね。でも、あなたが受けたってことは勝算があるってことかな」
カトルは書類を覗き見るが、他の三人とは違って前向きな反応だった。
「確かに難しい仕事だが、これくらいじゃないと周りを黙らせることはできないからな。アレクシアも言っていたが、俺はできないような仕事はしないさ。シャリア」
エクスはシャリアに向けて手を差し出した。
「本気、なんだね」
シャリアはエクスに書類を返す。
「もちろん」
エクスはここに来て初めて、書類にサインをした。
「さあ、もう後には引けないぞ。泣き言は聞かないからそのつもりでな」
エクスは僅かに目元と唇を釣り上げる。
その様子を見て、四人はやるしかないと覚悟を決めていた。




