副団長
「聞いたか? 今度入ってくるっていう団員の話」
エクスが最初に騎士団に入ってすこし経った頃、同僚にそんなことを言われた。
「別に誰が入ってきてもさして変わらんだろ。俺らが気にしたところでどうにもならんよ」
エクスは半ば聞き流すようにして、自分の訓練を続けていた。
「はぁ、お前も良くやるよ。俺らのような平民出身がいくら頑張ったところで、全部貴族様に持っていかれるのによ」
同僚は投げやりにそう言う。騎士団といえども一枚岩というわけでもなく、貴族出身の団員と平民出身の団員ではあからさまに格差があった。
平民出身の団員の手柄を貴族出身の団員が横取りするのも、珍しい事ではなかった。
「それなら、誰にも文句を言わせない圧倒的な結果を出せば良いだけだ。俺はそのための努力は惜しまない」
エクスは剣を振るう手を止めることなく、そう答えた。
「お前には敵わんな。で、その新しい団員なんだが、結構いいところのお嬢様らしいぜ」
「そうか」
「おいおい、気にならないのか。いいところのお嬢様がわざわざ騎士団に来るなんて、何か事情があるんだろうよ。まーた、俺達がこき使われるわけだ」
エクスが興味なさそうに訓練を続けているので、同僚はやる気なさげに言う。
「そうかもしれないが、お前も最低限は鍛えておいた方が良いな。貴族様にこき使われた挙句、任務で死ぬのは割に合わんだろう」
訓練が一段落したところで、エクスは額の汗を軽く拭った。
「そうかもしれんが、俺はお前ほどやる気になれんよ。死んだらそこまでだったってこった」
「それなら、俺は競争相手が一人減ることになるな。ありがたいことだ」
「お前はそういうことを真顔で言うからな」
同僚は呆れたように言うと、剣を構えて素振りを始めた。
「どういう風の吹き回しだ」
「少しだけ、長生きしてみようと思っただけだ」
「それは良い心掛けだな」
エクスは同僚に並ぶと、再度素振りを始める。
「訓練中にすまないが、挨拶をさせてもらえないか」
背後から凛とした声が聞こえて、二人は素振りを止めて振り返った。
そこには小柄な少女が立っていた。短く切り整えられた金髪のせいか、中性的な印象も受ける。落ち着いた佇まいではあったものの、騎士団にいるのは場違いともいえた。
「今日からここに勤める事になったアレクシアだ。よろしく頼む」
アレクシアは丁寧に一礼した。
「エクスだ、こちらこそよろしく。あいにく礼儀作法には疎くてな、そちらほど丁寧な挨拶はできないが、勘弁してもらえるか」
「お、おい、エクス」
エクスが普段通りの口調で挨拶すると、同僚が慌てたように脇腹をつついた。
「ふふっ、面白いな、お前は。別に私もそこまで礼儀作法にこだわっているわけでもない。他の貴族連中はどうだか知らんが、私には普通に接してくれて構わないぞ」
アレクシアは気にするどころか、面白そうに笑みを浮かべていた。
「そうか、それは助かる。不躾で申し訳ないが、俺と一戦交えてもらえないか」
エクスは同僚の模擬剣をすっと奪い取って、アレクシアに差し出した。
「別に構わないが……別に、私以外にも使い手はいるだろう」
「いや、俺の見立てではお前が一番だ」
「そこまで言われたら、断れないな」
アレクシアは模擬剣を受け取ると、両手で真っ直ぐに構えた。その構え方だけでも相当に訓練を積んできたことがよくわかる。
「悪いが、お前には俺が成り上がるための踏み台になってもらう」
「また面白いことを言うな。私程度を踏み台にしたところで、成り上がれるかどうかはわからないが」
アレクシアは真正面から模擬剣を振り下ろした。
エクスがそれを受け止めようとした直前で、アレクシアは横に薙ぎ払った。
予想外の動きだったこともあって、エクスはそれに対処できなかった。アレクシアの模擬剣はエクスの脇腹を打つ直前で止まっていた。
「勝負あり、だな。では、これで失礼させてもらう」
アレクシアはエクスに模擬剣を返すと、そのまま踵を返して行ってしまった。
「とんでもない技量だな。あの体躯を補うために、相当に修練してきたに違いない」
エクスは自分が負けたことよりも、アレクシアの技量の高さに驚かされていた。エクスよりも頭一つは小さい体だったが、最初に見た時の佇まいや物腰からして只者ではないことはわかっていた。
だから、身体つきを見て油断していたということは全くない。
それでもあそこまで圧倒されたのだから、アレクシアはエクスのはるか上に行っていることは間違いなかった。
「お前、何やってんだよ。あれが例のいいところのお嬢様だぞ。あんな無礼を働いて、無事で済んだだけ御の字だと思え」
「そうだったのか。だが、そういった雰囲気は……いや、確かに高貴な感じはあったが。だが、性格的には他の貴族よりずっとまともだと思うが」
「そうかもしれんが、あんないかにもお嬢様って感じのが騎士団に来るなんて、おかしいとは思わないか」
「別に、俺は他人の事情に興味はない。ただ、あれは俺が超えるべき壁だということは間違いないな」
エクスは模擬剣を同僚に返すと、素振りを再開した。
「そうか、お前が新しい部隊の隊長か。団長も中々に人が悪い」
「まさか、お前が副団長とはな。いや、実力的には申し分ないが。てっきり、どこかに嫁いでいるとばかり思っていたんだが」
初めて出会った時のことを思い出して、エクスは懐かしさを感じていた。それと同時に、アレクシアがまだ騎士団にいたことを少し妙に思っていた。
「結婚相手には『私よりも強いこと』を求めたからな。そうしたら、ほとんどの男は尻込みしてこの有様だ」
アレクシアは苦笑する。
「お前、団長の第二夫人にでもなるつもりか。お前より強い人間なんか、団長くらいしか思い当たらないんだが」
「さすがに私の家柄で第二夫人は認められんよ。それに、団長のことは一人の剣士としては尊敬しているが、団長としてはあまり評価していない」
「手厳しいな」
アレクシアの辛辣な言葉を聞いて、エクスはそれしか言えなかった。
「お前を引き留められなかった時点で、団長としての手腕に疑問符が付くのは当然だろう。全く、お前が辞めてから私がどれだけ苦労したか」
そこで、アレクシアは大きく息を吐いた。
「どういうことだ?」
「お前が辞めた時、平民出身の団員の大半が辞めると言い出したんだ。それだけの人間に辞められたら、騎士団として成り立たなくなってしまう。だから、必死になって説得したんだが……」
「まさか、そんなことになっていたとはな」
さすがにこれにはエクスも驚きを隠せなかった。よもや自分が辞めたことでここまでの大事になっていたとは思いもしなかった。
「待遇を改善することを団長に飲ませて、それでどうにか説得した。それでも、半数はいなくなってしまったよ。お前が騎士団を変えてくれると思っていたのに、いなくなったのなら残る理由はないと言われてしまっては、もう説得のしようがない」
「一体、俺に何を期待していたんだ。俺は自分が成り上がるためだけに行動していたに過ぎないんだが。少なくとも、騎士団をどうこうしようとは全く考えていなかった」
少なくない団員が自分に期待を寄せていたと知って、エクスは複雑な気持ちになっていた。自分のためだけに行動していたのは間違いないし、それを堂々と公言していた。
そんな自分に期待を寄せる理由が全くわからなかった。
「パパは昔っからそうだったんだね。自分のためとか言いながら、結局人助けしちゃうのは」
困惑しているエクスに、シャリアが笑いかけた。
「わたし達を拾ってくれた時も『自分のためだから気にするな』とか言ってたしね」
セロルも同様だ。
「お、お前……い、いつの間に結婚、い、いや、そもそも年齢的に合わないじゃないか。よもや、いかがわしいことをするために!?」
二人がエクスを父と呼んだのを聞いて、アレクシアはエクスに詰め寄っていた。
相変わらずエクスの方が頭一つ以上背が高いこともあって、見上げるような形になっている。
「勘違いするな。実の娘じゃないし、お前が言うようないかがわしいこともしていない。それでも、本当の娘のように思っているのは間違いないが」
エクスはアレクシアを宥めるように言った。
やはり、事情を知らない人間からしたらそう受け取られても仕方ない。人前では父親と呼ばせないようにした方がいいのかもしれない。
「そ、そうか。だが、お前の口からそんな言葉が出るとはな。なるほど、どうりで人間的に大きくなったように見えるわけだ。人間、子育てすれば変わるものだな」
アレクシアは優しい笑顔を浮かべていた。
「俺だけじゃ、とてもまともに父親なんかやれなかった。娘達の協力あってこそ、だ」
「そうか。それなら、この二人のこともよろしく頼む。カトル、リュケア」
アレクシアはカトルとリュケアの名前を呼んだ。
「はい」
二人はほぼ同時に返事をする。
「不安に思うかもしれないが、エクスのことは信頼してくれないか。私が信頼できる数少ない相手だ」
「わかり、ました」
「了解、です」
完全に納得はできなかったのか、カトルとリュケアの歯切れは悪かった。
「俺はともかく、娘達とは仲良くやってくれ。同じくらいの年頃だしな。お前達もだぞ」
「はーい」
「わかった」
エクスがシャリアとセロルに言うと、対照的な口調で返って来た。




