葛藤
「パパ、おはよう」
シャリアの方が先に目を覚まして、エクスの耳元で囁くように言った。
「お前、そんなことどこで……いや、顔が近い。離れろ」
まるで気のある男を誘うような囁き方に、エクスは少しぞっとしてしまう。それを悟られないように顔を背けて言った。
「お父さん、おはよう」
だが、反対側にはセロルがいることをすっかり忘れていた。しかも間が悪いことに、エクスがシャリアから顔を背けたタイミングでセロルが目を覚ましていた。
セロルと目が合うと、セロルは嬉しそうな笑顔を見せた。
「とりあえず、俺の腕を解放してくれないか。痺れて敵わん」
セロルから顔を背けて、エクスはそう言った。
二人は不服そうな顔をするが、それでも素直にエクスから離れた。
「少し、出かけてくる」
エクスはベッドから起きると、簡単に身支度を整える。
「それから、寝る時は服を着ろ。風邪を引くぞ」
そして、二人を顧みず部屋から出た。
本音を言うと自分が襲いかねないからだったが、さすがにそれは口に出来なかった。
「パパ、女の人に興味ないのかな」
シャリアは床に脱ぎ散らかした服を着ると、冗談っぽく口にする。
「お姉ちゃんの体が貧相だから、手を出す気になれなかったんじゃないの」
セロルも服を着ながら、馬鹿にするように言った。
「は? それを言うなら、あんたみたいな無駄肉が嫌だったんじゃない。あたしはあんたと違って、均整の取れた体付きなの」
一瞬、二人の視線が激しく絡み合った。
「はぁ、こんなことで喧嘩しても仕方ないわね」
シャリアは大きく息を吐いた。
「そうだね」
セロルも同様に溜息をつく。
「やっぱり、お父さんにとってわたし達は娘でしかないのかな」
「そうかも、しれないわね」
二人はもう一度、大きく溜息を漏らしていた。
「ジジイ、悪いがちょっと付き合ってくれ」
「こんな朝っぱらから、何の用じゃ」
早朝訪れたエクスに、ロウメルは驚いた顔をしていた。
「色々と発散させないとやばくてな。悪いが、相手になってくれ」
「全く、こんな老いぼれ相手に発散するんじゃなく、若い子で発散するべきだと思うがのう」
ロウメルは呆れたように言うが、それでもエクスに模擬剣を投げてよこした。
「悪いな」
エクスはそれを受け取ると、今にも襲い掛かん勢いで構える。
「待て待て、落ち着かんかい。ここでおっぱじめるわけにもいかんじゃろう」
そんなエクスを宥めるかのように、ロウメルは穏やかな声で言った。
「さて、始めるかの」
外に出ると、ロウメルは背筋を伸ばして剣を構えた。
「ああ、本気で……」
エクスは思い切り打ちかかろうとして、そこで動きが止まった。
まるで歴戦の達人のような立ち振る舞いに、エクスの高ぶっていた感情は冷水をかけられたように落ち着いていく。
「どうしたんじゃ、来ないのかの」
その様子を見て取ったのか、ロウメルは挑発するように言う。
「ったく、ジジイには敵わんよ」
すっかり気を抜かれた形になって、エクスは剣を下ろした。今の状況で打ち合っても、それは稽古をしているのとさして変わらない。
「お前さん、何があったか知らんが。なりふり構わず打ち込んでくるつもりじゃっただろう。さすがにこの歳でお前さんとまともに打ち合うのは骨が折れるわい」
ロウメルも剣を下ろすと、高笑いをする。
「よく言う。俺が本気で打ち込んだところで、軽く受け流すくせに」
「お前さん、儂を何だと思っとるんじゃ。まだまだ若いもんに負けるつもりはないが、それでも年々体の衰えは感じ取るわい。で、何があったんじゃ」
「俺は、ここまで節操がない人間だったのか、と情けなくなってな」
エクスはゆっくりと首を振った。
「どういうことじゃ」
「昨日、シャリアとセロルが全裸で俺の腕に抱きついていたんだが」
「ま、まさかお前さん、手を出したのか」
エクスが簡単に説明すると、ロウメルは驚いて聞き返してきた。
「誰が手を出すか!!」
エクスは思わず大声を出していた。
「そ、そうか。それはそうじゃの」
エクスの迫力に押されて、ロウメルは狼狽しながらそう言う。
「大体、手を出したら最初からその目的だったんだろう、って白い目で見られるだろうが」
「いや、むしろようやくか、と思うんじゃないかのう」
エクスは熱くなっていたこともあって、ロウメルの言葉は全く聞いていなかった。
「大体何なんだよあいつらは。少し前まで子供だと思ってたのに、しばらく会わなかったら別人かと思うほど美人になってやがって。何だぁ、都会の男共は揃いも揃って根性無か? あれだけの美人が放置されるとか有り得んだろ」
エクスは八つ当たり気味に都会の男達を糾弾していた。
「いや、多分じゃが……言い寄られても、なびかなかっただけじゃと思うぞ」
「シャリアは鍛えてるからか知らんが、あれほど均整の取れた体は見たことねえぞ。俺が彫刻家なら土下座してでもモデルになってくれ、って頼み込むわ」
「そ、そうかの」
「セロルはセロルで、普段はゆったりしたローブ着てるから全然わからんかったけど、何であんなにでかくなってるんだよ。それでいて、引き締まる所は引き締まってるから始末が悪い」
「二人共、良い女になったようじゃの」
エクスが二人の身体的特徴をまくし立てるのを聞いて、ロウメルは生返事しかできなかった。
「大体、あそこまで良い女になってまだ俺に甘えるのがわからん。その気になれば、いくらでも良い男を捕まえられるだろうに」
「お前さん、あの二人のことどう思ってるんじゃ」
ロウメルに聞かれて、エクスは少し考え込む。
「最初は、利用するつもりで連れてきた。でも、一緒に生活するようになって、ずっと娘だと思って接してきた。それは、今でも変わらない……だからこそ、あいつらに欲情を抱いた自分が許せない」
「お前さん、儂が思っていた以上に父親になっていたようじゃの」
エクスが吐き捨てるように言うと、ロウメルは意外そうな、それでいて成長した子供を見るような口調で言った。
「正直、俺がまともな父親とは思えん。それでも、あの子達の前では良き父親であれるようにやってきたつもりだ。だから、欲情してしまうなんてあってはならない、と思っている……それに、血が繋がっていないとはいえ、父親にそんな目で見られたらあの子達も良い気分はしないだろう」
「いや、むしろその逆というか、望んでる節が……と言っても、この親馬鹿は信じんか」
ロウメルはエクスに聞こえないように呟くと、小さく息を吐いた。
「本当に、何で戻って来たんだか。王都にいれば、それこそ良い生活ができただろうに」
「そりゃお前さんが心配だからじゃろ。いっそのこと、嫁でも貰えば安心して出ていくんじゃないかの」
「いや、それは色々とおかしいだろ。あいつらがどこかに嫁いで出ていくならともかく、俺が嫁貰ってあいつらが出ていくのは違う気がするが」
「じゃが、お前さんが嫁を貰えばあの二人もお前さんに依存しなくなるじゃろう。王都にいた時とか、気になった相手とかおらんかったのか」
「そんな相手……」
そう言いかけて、エクスの言葉が止まった。
どうして、あいつの顔が浮かんだ?
エクスの脳裏に浮かんだそれを振り払った。
「何じゃ、良い相手がいたのか」
そんなエクスを見て、ロウメルが心底意外そうに言った。
「あいつは、そんなんじゃねえよ。それに、良い所の貴族様だからとっくに嫁いでるな」
エクスはぶっきらぼうに言い放った。
「そりゃ残念じゃのう。まあ、あの二人も立派に成長したし、お前さんも自分のことを考えても良い頃合いじゃと思うがの」
「自分のこと、か」
エクスは何気なく呟いた。思えば、この村に戻ってきてからは自分がこの先どうするか、といったことを全く考えたことがなかった。
「まあ、ええじゃろ。お前さんはまだ若い、考える時間はたっぷりある」
「そう、だな。とりあえず、これから二人は甘やかさないことにするか。さすがにあの歳で父親に甘えるのは問題があるからな」
「それは結構な心掛けじゃが、いつまで続くかの」
エクスが決意したように言うと、ロウメルは茶化すような物言いをする。
「完全に反論できないのが頭に来るが……それでも、あいつらのためにもやらないとな」
エクスは揺らぎそうになる心を引き締めるように、自分に言い聞かせていた。




