タンネルブ6~奴隷商人イシュタルト3
イシュタルトはどこかから酒を取り出してきて、座り直し、無言のまま、グビグビと飲み始めた。
も、もう帰りたいよお、お母さーんー
もう一つ、獣人がヒト族に蔑まされる理由があるが…
そうだな、お前に理解できるかは知らないが、知識として知っておくべきか。
お、お願いします。
獣人が差別され、軽蔑される理由の中で、最も重要なのは、発情期の存在だ。
発情期?
一年中発情している人間たちに言われたくはない、と獣人たちはよく言うが、
あの激烈な発情具合を見るとな。
獣人たちに発情期に何が起こっているのか、を聞いたことがある。
身体の内側が塗り替えられて、別の生き物になるような気がするらしい。
そのことしか考えられないし、願いが叶った時の快楽は、何物にも代え難い、ということであった。
魅惑の術など比べものにならないとも言っていた。
そうは言ってても、あいつら、魅了術に全く耐性がないけどな。
ふん。
獣人は奴隷契約で縛られている者が多く、主人からは離れられない。
発情期だからと解放したら、二度と戻らないし、何をしでかすかわからない。
ゆえにその時期になると、獣人たちは主人の館の厳重に警備された一室に閉じ込められることになる。
万が一にも脱出され、町にでも逃げ込まれたら、一大事だ。
男の獣人なら、動く女全てに襲いかかり、腰を振る。
女の獣人なら、老若男女を問わず、誘えるものなら、誘いをかけ、
隙を見せたら、巣穴に引きづりこまれ、徹底的に搾り取られる。
そうなった場合、主人は獣人奴隷の犯罪に対して、全面的な賠償をする必要がある。
誘いに乗ったものが悪い、なんて理屈は、一切、通らない。
全ては獣人に逃げられ、町に解き放った主人が悪いのだ。
豊かな者しか獣人の主人になれないのは、こういう事情による。
一定の財産がないと、オークションに参加もできない。
はーなるほど。
お前は見た目からして、そういう事がわかるようになるまで、まだしばらく時間があるだろう。
しかし、何年か経って、成長した時に、どうするかを一度、ご主人様と話した方が良いな。
子供の頃に拾われたというなら、お前は獣人にしては、かなり特殊な育ち方をしている。
獣人は子供を手放さないからだ。
そして、他の獣人と会ったことがないと言うのなら、
お前のご主人様は、きっと知恵があり、金もあるのだろうが、
世を厭う隠者なのであろうとも推測される。
人間が嫌いであるか、一人で研究、行動する必要がある方であるはずだ。
そうだな、幼少期から育てられ、一人で研究する隠者の生活を支えるというのは、
獣人に向いてるかもしれない。
他の獣人と接触する機会がない。
そう、発情期は薬で抑えられると聞く。
それなりに高額だし、健康には良くない、とも聞くが、
そもそも子孫を望まぬなら、気にすることもないかもしれぬ。
お前の主人が薬で発情期を抑えてでも、お前との生活を望むのか、
それとも成長したら、獣人の里にでも戻すつもりでいるのか、お前にとっては重要なことになるだろう。
オレに聞いたと言って構わないから、一度、自分の将来をどうするつもりか、主人と話し合うのだ。
きっと、お前ならできる。
イシュタルトは、徐々に自分の思考に耽り始めた。
私に語っているというより、だんだんと独り言を言ってる感じになっていく。
そうだ、捕虜の中から選ぶ必要などないじゃないか。
集落で子供を買いつけて、俺が育ててみるという手もあるのか…
すると、扱いやすくて、賢い獣人ができあがる可能性が…
いや、獣人の個性が問題か、獣人の種族の方が重要か?
チラとわたしを見る。
ケハンに向かってみるか…
白黒熊の獣人は、ここ何年かオークションにも出てこない。
白黒熊の凶暴さを子供の頃から育てることによって、抑えることができるのなら…
現地の集落から子供の段階で手に入れることができたら…
しかもそれが賢く、忠誠心のある個体に育ったとしたら…
王侯貴族が争う事態になりかねんか…
オレには扱いきれないか…
いや、そこで諦めていたら、いつまで経っても…
イシュタルトは完全に思考に沈んでしまった。
私は少し悩み始めた。
毒を食らわば皿まで
という言葉が脳のあちこちから飛び出してくる。
この町で、イシュタルトよりも獣人である私のことを大切に考えてくれる人間などいないだろう。
例え、ドン引くほどの変態さんだとしても、だ。
いや、むしろ、こういう変態さんでないと、獣人である私の言うことを真剣に聞いてくれたりはしないのではないか?
タンネルブの町に入って、まだほんの数時間しか経ってない。
それでも、これが最大のチャンスかもしれないと思える…どうしよう。
奴隷商人の数は少ない。
しかし町には必要なのもので、町議会が保護するほど少ない…
もしイシュタルトが町で唯一人の奴隷商人だとしたら?
これほど頼りになる人間はいないのではないだろうか?
意志を固めかけたくらいで、勝手に口から質問が飛び出ていく。
あのー、
おお…
ダメだなあ、私、ホントにこういうところが…迂闊だ…しかしもう遅い。
ん?なんだ。
私、船に乗りたいのですが、可能でしょうか?
イシュタルトはキョトン、とした顔になった。
ここまでキョトンという感じが出ている表情は見たことがない。
お前は、一体、何をいってるんだ?
と言われてしまう。
そんなに大それたことを言ってしまったのだろうか?
そ、その、内密にお願いしたいのですが、私、ご主人様である大賢者イーブの所在を求めております。
イーブ様は勇者の方に助力を求められ、そのまま旅に出ました。
私は、隠れ家を一人で維持していたのですが、
どうしても直接イーブ様にお伝えする必要がある用件ができました。
それで、実は、私は今、イーブ様の隠れ家を出て、一人で行動をしているのでございます。
図書館のあるというアマリクの町に資料を求めて来るかもしれないと思うので、
船に乗ってアマリクに移動し、
そこでご主人様が来るのをしばらくの間、待ってみたいのです。
アマリクへ向かう船に、私のような獣人が一人で乗ることはできるでしょうか?
前もって考えてた、かなり適当だが、全くの嘘でもない、いい感じの嘘がツルツルと流れ出す。
ふむふむと、私の話を聞いていたイシュタルトは、途中からホタホタと涙を溢し始める。
うええ?
どこに泣くような要素が?
何か致命的に間違った?
い、いかが致しましたか?イシュタルトさま?
なんて…なんて、美しい話なんだ…
美しい?!
子供の頃から育ててもらった主人のために、
忠義を尽くして、困難な旅を続け、来るかどうかもわからない図書館の門前で、
主人が来るのを待ち続ける獣人…
そんな獣人がいるはずがない。
いるはずがないんだ。
そんな話が起こりうるはずがない。
誰も信じる訳がない。
しかし、オレの目の前に、その獣人が居る…
何という忠誠心。
何という健気さ。
ホトホトからボタボタという泣き方になってしまった。
俺はイーブというお前の主人が心の底から羨ましい…
それほどの忠義を獣人から受けることができたら、オレはどれほど幸せになれるだろう…
獣人からの無償の愛、忠誠…
決めたぞ!
さすがの俺も獣人の里に深く潜入したことはない。
しかし、どの里にもあぶれている幼い獣人はいるはずだ。
親を亡くして、得られる食い物が少ない獣人が。
その環境を乗り越えて育った獣人が溢れて、人間の村を襲うのだからな。
そうだ、きっと居る。
そういう獣人を引き取って育ててみよう。
いや、一人二人では、研究データが足りない。10人くらい?
獣人の孤児院になるな…
すると、やはり、此処は引き払って、いっそ、アズモン島あたりにでも拠点を移すべきか…
やる!
やるぞ!
そして、オレだけを心の底から愛してくれるオオカミの獣人を!何人も!
グへ、へっへへへへ。
うわーははは。オレはやるぞ!
そうだ、やるんだ!
俺はやるんだ!!!
うわーん
なんかもう気持ち悪い寒気がするよう。
なんでこうなるの!?
どうしよう。
獣人孤児院という名のとんでもない源氏物語が始まったような気がする。
けど、今日のご飯もない貧しい生活と暗い未来の展望しかない豊かな生活とでは、どちらが良いのだろう…
いやーホンマあかんわ、気持ち悪いよ、この人。
しかしいくら気持ち悪くても、既に乗りかかった船。
アマリクに向かう豪華客船旅行くらいは、なんとしても確保したい。
ガバと、私の方を向き、イシュタルトはキラキラした目でこう言う。
そうだ!
お前、名前は何という。
そこまで素晴らしいご主人様だ、きっと名前を頂いているだろう。
ミ、ミトンと申します!
ウゲ!
おや?ミトンちゃん?
ミトン、ミトンちゃんかぁ、可愛い名だあ、とイシュタルトはニヤニヤ笑いながら言う。
なんでこんな気持ち悪いのにミトンの名前教える!バカ!もう知らない!
おおー
ミトンちゃんさんも怒り狂いながら、気持ち悪がっている。
しかし、ここまで激烈な反応か…
まあ、わかるけど。
ミトンよ、ゴミのような俺の人生に啓示を与えてくれた、健気な獣人ミトンよ!
明日、また来てくれ。
昼までには何とかしてみせるぞ。
アマリクまでの航海だな!
金の心配などはいらないぞ。
俺が払う。
信頼の置ける船長に、確実に快適な航海を約束させてやろう。
うははははははは
大丈夫だ、俺を信じろ!
いははははははは
なんか目がヤバい。
は、はい、明日の昼にまた参ります。
ご信頼申し上げております。イシュタルトさま…




