王太子からの贈り物
大きな池のほとりを歩いていた。
池は藍色をしていて水面にはたくさんの蓮の花が咲き乱れている。
「…王宮でしか咲いてないと聞いたけれど?」
池から目を離して背後を見れば、真っ白い百合の花畑が広がっている。
果てしない先に地平線が見えるところまで。
明らかに王宮ではなく、私が知っている領地の風景でもない。
でも、なぜか、どこかで見たことがあるような…。
どこか、懐かしくて胸がしめつけられるような…。
「百合の、乙女よ。」
はっとして周囲を見渡す。
「百合の乙女よ、なぜ、お帰りにならないのです?」
どこからか、悲し気な声が響く。
待って、待って、いったい、百合の乙女って何?誰のこと?
「お嬢様、もう起きてください。もうお日様が高く昇っています!」
侍女のラミィに揺すぶられてうっすらと目をあける。
…あれ?さっきのは、夢?
「昨夜遅かったので奥様のご許可をいただき、午前中は起こさないでおりましたが、もうお昼でございます。そろそろ起きてくださいませ!」
「もうお昼なの?」
ちょっと驚いて跳ね起きる。
昨夜は…。両親と兄とたくさん話をして泣いて、夜中過ぎに寝たのだった。
「お昼ご飯はいかがされます?」
「もちろん、食べるわ。」
「では急いで支度を。」
食堂に降りて行けば、両親と兄が昼食を食べ始めたばかりで、挨拶もそこそこに自分の席につく。
「リリアンヌ。おはよう。昨日の疲れはもう取れた?」
ロベルト兄様が気遣ってくれる。
「おはようございます。ええ、ぐっすり眠ったのでもう大丈夫ですわ!」
「例のお茶会は断っておいたから。」
ぼそっと父が口を挟む。
「…ありがとうございます。お父様。」
「でもね、リリアンヌ。王太子殿下から招待状だけでなく、花束も一緒に届いているの。そればっかりは送り返せないから受け取りなさいね。あなたの居室のテーブルに置いておかせるから。」
「えええ…!」
昼食後、自室に戻ると真っ白いかすみそうのブーケの中に5本の濃い紅色のバラが配された愛らしいブーケが置かれていた。
「…紅の、5本の、バラ…。」
ガーデニングが好きだから花言葉もちゃんと知っている。
紅色のバラの花言葉は「死ぬほど焦がれています」。
5本のバラの花言葉は「あなたに出会えてよかった」だ。
ちなみに、かすみそうだって花言葉が「幸福」または「感謝」で、私に会えたことの喜びが籠められたブーケになっている。
王太子が花言葉を知っているとは思えないけれど。
でも、それでも、大事に思ってくれている気がして、なんだか心がざわついた。
だからといって婚約を受けるつもりはないけれど。
だって相手が王太子だもの。将来の王妃なんて絶対無理。
その日の夕方、家族そろって夕食を食べている最中に青い顔をした執事が入ってきて、王太子から手紙です、と銀のトレーに1通の封筒を載せて差し出してきた。
その場が凍り付き、沈黙の中、父が封を切って読む。
「…あなた?」
「王太子殿下からの呼び出しだ。明日、宮殿に行ってくる。」
「お父様…。」
「大丈夫だよ、リリアンヌ。ちゃんと話す機会をもらったと思えば。」
翌日、父は朝食を食べるとすぐに宮殿に出かけて行った。
父が宮殿に行くのは珍しいことではない。
領地持ちなので何かと役人との打ち合わせや領主たちの会議などがあり、王都に居る間は週の半分は宮殿に行くのだ。
でも、今日は、王太子の呼び出しで。
父が帰ってくるまで、母も兄も心配していて3人揃って父の書斎で待っていた。
もうすぐ昼食の時間という頃になって、見慣れた我が家の馬車が門から入ってくる。
我慢できずに玄関まで迎えに走れば、ちょうど馬車から降りてくる父と目があった。
「ああ、出迎えてくれたの?ただいま。」
「おかえりなさい。お父様!あの…。」
「うん。話はあとでね。とても腹が減った。先に昼食を食べよう!」
昼食を食べた後で、父の書斎に家族全員が集まると、父は疲れた顔を隠そうとはしなかったけれど、出かける前よりは少しだけ明るい顔をして話しはじめた。
「結論から言うと、王太子殿下とリリアンヌの交際を認めることにした。」
「なんですって?」
「父上!属性が『無』であっても王家は気にしないと言われたのですか?」
「それなんだがな…。」
父が鞄の中から封筒を取りだして入っていた紙をロベルト兄さまに渡す。
「戸籍謄本の写しですね?…え!?属性が、『光』!?」
父が両手を組んで顎の下に置く。
「うん。…たぶん、改ざんされている。」
「…馬鹿な。戸籍謄本の原本は改ざんできないよう魔紙が使われていると聞きます。」
「ああ、わたしもそう思っていた。だが、ここにある通り、『無』でなく『光』に変わっている。そんなことができるとしたら、王族しか、無い。わたしはたぶん、王太子がやったと思っている。」
「王太子殿下が?なぜ?」
「リリアンヌが好きだそうだ。」
「はいぃぃ?」
「嘘は言っていないだろう。でなければ、戸籍謄本の原本を改ざんするという大それたことをしてまでリリアンヌを得ようとする理由が見つからない。…しがない田舎領主の伯爵家の令嬢なのだから。」
「う…、確かに、父上のおっしゃる通り、ですが…。でも、国王陛下は?」
「すでに許可をいただいたと言っている。」
「信じられない!」
「5年前に小麦を改良したことがあっただろう?」
「え?いきなりなんです?そうですね、はい。寒冷地でもばっちり育つやつですよね。北方の領地に種が飛ぶように売れているので、我が領地も金銭的に助かっていますが。」
「それが我が国の食料事情を向上させたと国王陛下がお褒めになっているそうだ。だから、反対しないと言われた、と王太子が言っている。」
「…なるほど……。そう言われれば確かに、北方の領地からも感謝を頂いていますが…。飢える領民が居なくなった、と…。」
「リリアンヌ。」
「はい!?」
「すまないな。王太子との婚約に反対ができなくなってしまった。でも、王太子からは、婚約の王命は出さない、と言われた。お前の気持ちを大事にしたい、と。」
「お父様…。」
「…王妃になることが大変だから王太子を相手として考えられないんだろう?もし、王太子自身を嫌いなわけではないのなら、王太子のことを知る時間を持っても良い…、と父は判断した。どうだろうか?」
「…お父様…。」
困惑して眉が下がる。
てっきり婚約の話は無くなったと信じていたのに、戸籍も改ざんされて?
お父様も王太子との交際を認める、と?
その時、書斎の扉がノックされた。
父が許可するまで立ち入りを禁じていたはずなので、父が顔をしかめる。
「何だ?」
「伯爵様、ご命令に背いて申し訳ございません。ですが、今、王太子殿下からリリアンヌ様に贈り物が届いておりますので…。」
「リリアンヌ。受け取ってきなさい。」
父に命じられて扉を開けると、執事がピンク色のリボンをかけた白い小ぶりの箱と花束を持って困った顔をして立っていた。
「ありがとう。」
お礼を言って受け取れば、お辞儀をして立ち去っていく。
それを見送ってからまた書斎に戻って扉を閉めれば、母が好奇心いっぱいの目で見てくる。
「何を贈られたの?」
「見てみてもよいですか?お父様。」
父がうなずくのを見てから、リボンをほどき箱をあけると宝石箱があらわれた。
側面の金地には細かなアラベスク模様が彫り込まれ、蓋にはサファイアでバラの花びらを作っている。見たことがないほど美しい宝石箱だった。
宝石箱の蓋を恐る恐る開けば、カードが1枚。
「貴女に出会えた奇跡に喜びと感謝を。」
思わず顔が赤面した。
宝石箱の蓋の模様は「青いバラ」。
青いバラの花言葉は、「奇跡」と「神への感謝」。
そして、花束は白いマーガレット…。
マーガレットの花言葉は「真実の愛」。
「…本当に、王太子殿下はあなたが好きなのね?」
母がほぅっとため息をついた。
花言葉は母に教わったから、母の方が詳しい。すぐに意味を読み取って当たり前。
それだけでなく、爆弾発言が飛び出した。
「この箱の金色は王太子の髪の色で、サファイアは瞳の色ね!ご自分の色を贈られるなんて、よほどあなたに意識してほしいのね!」
「うそっ…、そ、そんなこと…?」
「リリアンヌ。誠実には誠実を。王太子殿下と向き合うべきだと思うけれど?」
「…それで王太子殿下を好きになっちゃったら?」
「当然、応援するわよ?」
「将来、王妃になるのよ?」
「だから?いいじゃない。何とかなるわよ。」
「お母様ったら…。」
ゴホンゴホンと後ろで咳払いがして、振り返れば、父が苦笑いしていた。
「まあ、なんだな、リリアンヌ。とりあえず来週のお茶会には出席と返事をしておいたから、行っておいで。」