王太子の思い
リリアンヌと会った翌日に7日後のお茶会の招待状をローディア伯爵家に送ったところ、伯爵家の紋章が蜜蝋で封印された大きめの封筒が届けられた。
家紋で封印された封筒は中身が公文書であることを意味する。
お茶会の招待への出欠の返事に使うことは無い。
「わざわざ、なんだろう?」
ペーパーナイフで丁寧に切り中身を取り出すと、手紙とリリアンヌの戸籍謄本の写しが入っていた。
伯爵家当主からの丁寧な手紙には、
「魔力の属性が『無』と登録された娘は王家にはふさわしくありません。従いまして、ご婚約のお申し出は恐縮ながらお断り申し上げ、それに伴い茶会も欠席とさせていただきたく。」
と書いてあった。
「…馬鹿正直だな。ローディア伯爵は。」
苦い笑いが口元に浮かぶ。
普通の貴族なら隠し通して婚約までこじつけるだろう。その後、娘がどうなろうと、とにかく王妃になればよいと考えて。
それを、婚約前に馬鹿正直にバラすとは。
…戸籍謄本なぞ、とっくに原本を確認している。
さすがに最初『無』と登録されているのを見て驚いた。
属性が『無』と登録されたことがわかった場合、貴族達の蔑視は免れない。
リリアンヌには膨大な魔力があるのは確実だし、なぜ、『判定不能』とか『不明』とかで登録しなかったのか。
なんだか腹がたったので、その日のうちに誰がリリアンヌの戸籍に属性登録したか調べたところ、すでに魔術庁から退職している老子爵だとわかったから、彼を呼びつけて詰問までしたのだ。
リリアンヌの魔力判定は特殊だったので、老子爵はよく覚えていた。
「オーロラのような……ぼんやりとした虹のような…そういう光り方をいたしました。でも、そんな色は聞いたことがございません。だから、『無』と登録したまでで…。」
「光った以上、魔力はある。当然『無』ではないのだから、他の書きようがあっただろう?」
「申し訳ございません!戸籍謄本には7色…、赤、青、緑、黄、紫、白、黒と『無』のいずれかを登録することになってございます!そのどれにも当たらなかったので……。」
法で決まっていると言われればそこまでだ。
わたしは老子爵にこの話は絶対に他言無用と言って退くことを許す。
彼は、
「職業上知りえたことへの守秘義務を魔術誓約にて誓っております。ご安心くださいませ。」
と下がっていった。
「父上。戸籍謄本の改訂が必要ではありませんか?」
と、老子爵と話が終わった後、報告がてらそう申し出たけれど却下された。
「百合の乙女については王家のトップシークレットだから、謄本からわかっては困るではないか。」
「それはそうですが…。」
「オーロラ色か、ぼんやりとした虹色…。そちもわかっただろう。全属性持ちだ。…謄本に『全属性』なぞ記録してみろ。王族でさえそのような者は居ない。大変な騒ぎになるだろう。」
「確かに…。でも、王妃になる者の戸籍謄本が『無』だと知られたら、政敵の恰好の餌食になりますよ。」
「そうじゃな…。リリアンヌの戸籍を改ざんしよう。ローディア伯爵夫妻の属性は?」
「伯爵が地で、伯爵夫人が光、です。」
「では、光に修正しよう。」
「…謄本は改ざんできない魔紙で作られていますが…?」
くっとリカード王が笑う。
「国王としての魔力を使えば、戸籍謄本なぞ簡単に書き換えられるわ。…明朝いちばんにリリアンヌの戸籍謄本原本を儂の執務室に持ってこい。その場で書き換えよう。」
「承知しました。」
王太子は苦い笑いを浮かべる。
「絶対に逃がさない。わたしのものだ。リリアンヌ。」
次代の王家に魔力を継ぐための婚姻と割り切るつもりだったけれど、リリアンヌに会ってその緑の瞳を覗き込んだ時に、胸の奥がざわめいた。
感じたことのない不思議な居心地の悪さ。
彼女に触れたいという想い。
まさか、魅了の術か?とちらりと身にいくつも付けている魅了の術が使われたら色が変わる魔石を確認したけれど、どの魔石も反応が無く。
それに自分の得意な属性の一つは闇。人の精神を操る術はもちろん、操られそうになったら解る訓練は受けている。でも、そのような気配は全くリリアンヌにからは感じ取れない。
お茶会でとりとめもない話をしながらわかってくる彼女の性質はおおよそ、今までに知っている令嬢とは違っていた。
素直で明朗。悪く言えば、素朴。貴族としての華が無い。
でも、なぜかそれが安心できた。
他の令嬢達との話題は、社交界で何が流行っているとかどこのお店のお菓子がおいしいという聞き飽きたパターンばかりだった。
先月はある侯爵夫人が外国から取り寄せたなんとかいう生地が流行しているといい、その前は別の伯爵夫人の領地で初めて織り始めた生地の模様が流行しているという、ただ流行している中身が違うだけの、つまらない話。
あるいは他家の悪口か。貴族の家同士の足の引っ張り合い。
けれども、リリアンヌはそういう話に疎いようだった。
その代わりに、花々を育てることが趣味でこの間ようやく自分の手で野生の蘭を開花させたとか、父や兄が穀物や野菜の品質改良をしているのを手伝うのが楽しいと生き生きと話す彼女が新鮮で。
庭園の池に案内すれば、目がキラキラ輝き初めて見た蓮の花に夢中になっていた。
その時の愛らしさ。
ドレスが薄手で軽い生地で作られていたためか風にあおられ、よろけたのをとっさに抱きよせたとき、思わず胸が高鳴った。
今までだって、ダンスなどで令嬢に触れたことはあったけれど何も感じなかったのに。
それなのに。
気づいたら、リリアンヌの前に跪いてプロポーズしていた。
婚約の申し込みはもう少し親しくなってからするつもりだったのに。
どうしても彼女が欲しい。他の男に奪われたくない。と思ってしまったのだ。
自分の感情が希薄なことは幼少時から気付いていた。
綺麗だな、と思うことはあっても表面だけ。
怒りを覚えてもその場でカッとなることはなく、どこかで客観的に見ている自分がいて、冷静に対応してしまう。
リリアンヌのように目がキラキラに輝くほど夢中になる感動をしたことがない。
だから、婚約者だって誰でも良い。と本気で思っていた。
愛情なんてわからないから。
次代の王子または王女を産ませるだけの女性。だったら、王家にとって有益な女性であれば誰でも良い。
自分が17歳になった時に婚約者選びが正式に始まった。
それから5年。まだ決まっていない理由は決め手が無いから。
なるべく魔力量が多い令嬢を、という観点で絞れば、メイフィールド公爵令嬢か、カリキュア侯爵令嬢になる。どちらも甲乙つけがたく、では何で決めるか、という決定的な何かが無かったのだ。
容姿には興味が無かったし、家格も特にどちらを取っても問題ない。両家の財政状態だって同じようなものだ。性格もメイフィールドの方がややおっとりしている程度で自分には違いがわからなかった。
「父上がお決めになった方と婚約します。」
そう宣言するのにそれほどの時間はかからなかった気がする。
「リリアンヌ…。」
口に出して彼女の名前を呼べば、胸の中がむずかゆくなり、頬が熱くなる。
自分にもそのような感情があったなんて。
もっと君のことを知りたい。
もっとそばにいて、君を見ていたい…。