戸籍謄本
昨日に引き続き、疲労困憊で帰宅した。
違いは、昨日は着替えると同時にベッドにダイブできたけれど、今日は着替えると同時に父の書斎に拉致されたことだろう。
「王太子殿下との茶会は誰が招待されていたんだ?」
両親と兄が揃っていて報告という名の尋問が始まる。
「わたくしだけでしたわ。」
「は!?」
家族3人の声が揃う。
「ど、どこでお茶会をしたの?」
「王宮の1階にあるサンルーム…かしら?」
「なんだと!?」「なんですって!?」
両親の声がハモる。
「え…、何か、問題…でも?」
父が頭を抱え唸りだしたのを横目に見ながら、母が説明してくれる。
「王宮でのお茶会に参加できるのは王家の血を引く者か、王家とごくごく親しい者だけ。普通の貴族達と王族がお茶会をする場合は離宮を使うのよ。…デビューしたばかりで、しかもたかが伯爵家の娘のあなたが入れる場所ではないわ!」
「そ、そうだったの?」
母が青い顔をして詰め寄ってくる。
「王太子殿下から何を言われたの!?何も理由が無いのに王宮に呼ぶなんてありえないのだけど!」
…相談しなくちゃダメよね。
貴族の結婚は親が決める。当人同士の恋愛結婚もあるけど、貴族は絶対に親の賛成が必要だ。
「あの……、婚約してほしい、って…。」
その瞬間、母が卒倒した。
慌てて、卒倒癖のある母がいつも常備している気つけ薬をドレスの隠しポケットから引っ張り出し、母に嗅がせる。
その間、父と兄は口をあんぐりと開けたまま彫像のように固まっていた。
「う…!」
「お母様、大丈夫?」
「リリアンヌ。…わたくし何かとんでもない夢を見ていたような?」
「夢じゃないから!」
がばっと跳ね起きた母が私の腕を掴んでゆさぶる。
「リリアンヌ!ほんとに、ほんとに、王太子殿下があなたに求婚を!?」
「ええ…。たぶん。…来週またお茶会に招待するからその時返事が欲しいって。…どうしよう?」
母が再び卒倒し、また私は手に持っていた気つけ薬を嗅がす。
兄のつぶやきが耳に入った。
「嘘だろ……。なんで、リリアンヌを?」
両親も兄も権力欲が全く無い。
特に、父と兄は魔力の属性が地のためか、穏やかな気質でどちらかというと社交界は苦手。趣味は植物を育てること。王都に居れば庭いじりを愉しみ、領地に帰れば農家の皆さんと一緒に野菜や穀物を育てながら、品質改良にいそしむ。
そんな父と兄には、王家と縁ができても迷惑なだけだろう。
「…あなた……。」
意識を取り戻した母が泣きそうな顔をして父を見上げる。
「…王家から申し込まれたら、田舎領主の我が伯爵家は断れない……。」
父がため息をついた。
「リリアンヌ、おまえはどうなんだ?王太子殿下と婚姻したら将来は王妃になる。…大丈夫か?」
「大丈夫なわけ、ないじゃない…。」
思わず、ぽろりと涙がこぼれた。
母の手が伸びてきて、ぎゅっと私を抱きしめてくれる。
「あなた。今すぐ領地に帰って引きこもりましょう!リリアンヌは病気になったので療養が必要だと言う名目で!」
「いやいや、そうはいかないが……。一つだけ方法が無いわけではない。」
「あなた?」「父上?」
父が難しい顔をしながらもその瞳に心配そうな色をたたえて私を見た。
「リリアンヌ。おまえの魔力の属性はわからない。と伝えてあったな?」
「ええ。お父様。」
「だがな。戸籍謄本のおまえの属性は『無』で登録されているのだ。」
「なんですって!?」
兄が悲鳴を上げた。
兄が悲鳴を上げるのも無理はない。
貴族であっても、ごくまれに魔力を持たない子供が生まれることがある。
魔力が無い子供の場合、魔術庁の検査で握らされる棒が全く光らないという。
その場合、戸籍謄本の魔力属性欄には「無」と登録されるのだ。
魔力を持たずに生まれた子供の行く末は2つ。
一つは魔力が弱い下位貴族または騎士、場合によっては平民の養子にだされる。養子という名の捨て子だ。
もう一つは親元で育てられるが、政略結婚の駒としてのみ使われる。これは高位の貴族が多い。なぜならば、隔世遺伝でその子の子孫に魔力が引き継がれることがあるからだ。
ただし、確率がぐんと低いため、政略結婚先はどうしても下位の貴族か外国になる。
理由は簡単で、魔力が無ければ宮殿での社交自体に参加できないからだ。
魔力を登録した者でなければ、結界で守られている宮殿に入ることはできない。
諸外国からの賓客は魔力を持たない者が多いけれど、そういう彼らには結界をくぐるための魔石のアクセサリーが貸与される。
でも、国内の貴族にはそのような優遇は無い。
あくまで魔力があるからこそ、この国の貴族で居られるのだ。
魔力を持たない者はたとえ王族であろうとも貴族としては認められない。
…もっとも、王族で魔力を持たない王子や王女が生まれたと言う話は聞いたことがないけれども…。
「え?でも、リリアンヌは魔力は持ってますよ?…ねえ、リリアンヌ。水晶玉は光ったんだろう?離宮に入れたんだし。」
「ええ。光りましたわ。」
「落ち着きなさい、2人とも。リリアンヌには魔力はある。それもかなり多そうだ。ただ制御が下手なのでうまく使えないだけ。属性がはっきりしないから指導が難しいということもあるんだろうが。…ただ、何度も言うように、属性がわからなかった。魔力がないわけじゃない。だけど、そんなケースは過去の記録にも残っていない。だから、戸籍謄本では属性が『無』で登録されてしまったんだ。」
「でも、それじゃ…、リリアンヌは普通の結婚自体が難しいってことじゃないか。」
兄が声を荒げる。
確かにそうだ。
婚約式では、戸籍謄本の写しを相手に見せる慣習がある。
相手の属性を正しく確認するためだ。
属性が『無』とされた者、つまり、公式的には魔力を持たない者と喜んで婚姻する貴族はないだろう。
…あ!
「…もしかして、お父様。わたくしの戸籍謄本を王太子殿下にお見せする、ということですか?」
通常、戸籍謄本を見られるのは本人と親族のみ。
だから、あの家の子供はどの属性で生まれたらしいという噂は出回るけれど、絶対に正しいことは親族以外、わからない。
ちなみに私の属性がわからない、という話はこの伯爵家でのみ知られているけれど他家に伝わっているかは微妙だ。たぶん、兄と同じ地属性だと思われている。
父と兄に似て、ガーデニングが趣味の一つだから。
戸籍謄本では『無』になっていたことは両親だけの秘密だったのだろう。
「そうだ。王太子殿下に戸籍謄本をお見せすれば、魔力を大事にする王家は婚姻を拒否する理由ができる。…ただ、その場合、王家からおまえの属性が『無』であることを公表される恐れがある。」
属性が『無』であると知られることは、社交界からの締め出しを意味する。
結婚相手も無くなるだろう。
属性が『無』であることを知られなければ、結婚はできなくても社交界で今まで通り、生きていくことは可能だ。水晶玉に魔力は登録できて宮廷に入れる以上。
「リリアンヌにとっては不幸になる選択肢だから、やりたくはないのだが…。」
「でも、父上。王太子と婚約が決まったら戸籍謄本は送る必要がありますよ。」
「ロベルト。王家は婚約発表をしたらよほどの瑕疵が無い限り、破棄ができない。我が国の法では属性が『無』だから王家に嫁げないとは書かれていないのだ。最初からわかっていれば絶対に結婚を認めないであろうが、婚約後にわかった場合、隠し通すだろう。そもそも王族の属性は公表されていない。それに、王家に魔力を持たない女性が嫁ぐことはよくあることだ。ただし、今までは他国の王女であり、元々魔力を持たないとわかっていて迎えているから、今回とは事情が違う。…隠していたと我が伯爵家への心証が悪くなるだけだ。リリアンヌが王妃となっても針の筵に座らされると考えてよい。」
「わたくしは貴族で無くなっても構わないので、王太子殿下に戸籍謄本を送っていただけませんか?お父様。」
「リリアンヌ…。」
「もともと土いじりが好きですし。領地の館の屋根裏でもいいから住まわせていただければ農地改革のお手伝いで生計をたてられるかも?」
「何を馬鹿なことを言ってるんだ!お前の魔力の属性がわからないくらいで、おまえの貴族位を剥奪するわけはないだろうが!」
「そうだよ、リリアンヌ。もし社交界から締め出されたとしても、一生どこかに嫁げなくたって、君が大事な妹であることは変わらないんだから!ずっと一緒に暮らしていけばいいんだよ!…ほら、ジャネット大叔母様だって行き遅れて実家にずっといるじゃないか!」
「行き遅れなんて言わないのよ!ロベルト!」
「す、すみません。母上。」
じわっと涙があふれてくる。
お母様がまた私を抱きしめてくれた。
私の家族はみんなやさしい。他の貴族と比べれば仲良しの家族だとは思っていたけれど、厄介者になるかもしれない娘を今までと変わらず扱ってくれるという愛情に胸が締め付けられる。
「あなた。王太子殿下に戸籍謄本を送る時に婚約辞退を申し出れば、王家も冷酷では無いから、属性を公表されないのではないかしら?」
「…そうであってほしいと、思う。」
「お父様。わたくしは大丈夫だから、そうされてくださいませんか?」
「…わかった。リリアンヌ。もしも王家が属性を公表したときは、全員で領地に引っ込もう。」
「そうだね。領地に居られれば、ずっと懸案の野菜の改良に没頭できるし!」
「こら、ロベルト。おまえは領主の仕事を覚える方が優先だ。」
「えええ!」
みんなで泣きながら笑い合う。
「お父様、お母様、ロベルト兄様…、あ、ありがとう。」