王太子の不在
「え?砂漠の国に行かれるのですか?」
「ああ。君と婚約したので王女と婚姻はできないと返事を送ったのだけれど、納得できないとゴネられているんだ。あの国と事を起こすのは得策ではないから、誠意を示すために直接彼の国の王に話をしてくることになった。」
「…そ、そうなのですね。」
砂漠の国までは片道10日は掛かる。
さすがに1国の王太子がとんぼ返りするわけにはいかないので、そうすると1か月くらい不在ということになるだろうか…。
なぜか、寂しいとふと思い、思わず、ぎゅっとウィリアムの上着の袖を握ってしまって、子供みたい、と慌て。離そうとしたら、そっとその手を彼の手が重ねて、彼の顔が間近に近づく。
「寂しいと思ってくれるの?」
反射的にうなずいてしまえば、ウィリアムが嬉しそうに笑って私の手を口元に持って行き、唇を押し当ててきた。
「寂しい思いをさせてごめん。でも、できるだけ早く帰ってくるから。待っていてくれる?」
「はい。」
帰宅した夜。
冷たい窓ガラスに額をおしあてて、ぼんやりと月を見上げた。
自分の気持ちがわからない。
婚約を申し込まれた時は、ただただ面倒なだけだったのに。
いつの間にか、王太子を好きになっている?
好きに、なったの?本当に?
一人の男性として?
…恋しているの?
……わからない……。
その夜、久しぶりに、百合の咲き乱れる野原に居る夢を見た。
婚約してから一度も見なかった夢。
野原の向こうに、誰かが立っている。
はるかかなた、距離があるのに、なぜか、少しずつくっきりと容姿が見えるようになった途端、胸が早鐘を打ったかのように激しく鼓動する。
私と同じプラチナブロンドの髪に若葉色の瞳を持った若い男性。
先日の夢の中で自害した男性と雰囲気が似ているけれど、その人よりも少しだけ若い容姿。
「あなたは誰?」
知りたくて、夢の中で、初めて声を発した。
その瞬間、その声が聞こえたかのように、男性が肩をピクリと振るわせる。
「百合の乙女?…どこにいるんだ?」
私が見えていないのだろうか。彼があちこちを見回しているのが目に入る。
「わたくしは、ここよ!」
その時、私は自分の身体が後ろに引っ張られる感じで急速に彼から離れていくのを感じた。
「必ず、君を探し出す!」
その声に、思わず胸をしめつけられながら、彼の側に行きたいともがく。
「お嬢様!お嬢様、起きてくださいませ!今日は講義のある日でございます。」
侍女のラミィの声がうるさく感じた。
…あなたが起こさなかったら、もしかしたら、彼に会えたかもしれないのに。
ラミィのせいではないけれど、不機嫌な気分のまま目をあければ、不機嫌さが伝わったのだろう。
ラミィは申し訳なさそうに目尻を下げた。
「お疲れでもっと寝ていたいとお思いでしたら、お許しくださいませ。でも、講師の方が来られるまであと1時間ほどしかございませんので…。」
「1時間!?」
がばっと跳ね起きる。
「もう少し早く起こしてくれた方が良かったのに!」
「申し訳ありません。何度も起こしたのですが、お起きになられなかったのでお疲れかと思い、ぎりぎりまでと……。」
「ううん。ありがとう、ラミィ。身支度を急ぐわ。手伝ってくれる?」
「もちろんでございます。」
夢の中の男性が気になるけれど、あれは、夢、だ。
必死でそう思い込もうとしたけれど、その日の講義は頭にすっと入ってこなくて、せっかく来てくださった講師役の大臣に申し訳なかった。
「え?ロザモンド様のお茶会への招待状?」
母に渡されたカードを見て困惑する。
ロザモンド・カリキュア侯爵令嬢とは直接話をしたこともないから。
「ええ。カリキュア家の領地の館で収穫祭を兼ねたお茶会ですって。毎年、開催されていたのは知っているけれど、カリキュア侯爵夫人とロザモンド様のお親しい方だけが招待されていたので、わたくしも行ったことはないの。」
「なぜ、わたくしに?」
「将来の王妃と仲良くするのは貴族として当然だもの。…他の貴族からも茶会やパーティへの招待はたくさん来ているのだけれど、出ておいた方が良いと判断したものだけ、あなたに渡しているの。」
「ロザモンド様とは親しくした方が良いの?」
「そうね。カリキュア侯爵家はメイフィールド公爵家と並び立つ我が国の二大貴族なので、王妃になるならこの2つの貴族家と仲良くする必要があるわね。」
「そ、そうなの…。」
「幸い、カリキュア家の領地は王都から馬車で1日掛からない距離だし、王太子殿下が砂漠の国に出かけているから、あなたが王宮に呼ばれることもないので、時期的にもちょうど良いと思うわ。」
「お母様も一緒ですよね?」
「ええ。わたくしも一緒にどうぞと招待していただいたわ。」
「それでしたら、構いません。でも、移動に約1日ってことは向こうへ泊まりですか?」
「そう。カリキュア家に泊めていただけるそうよ。他の皆さん方もそうされると聞いているわ。お茶会の前日夜に到着して、翌日、お茶会に出て、その翌日の朝に帰る、という感じなので、3日がかりかしらね。」
「ちょっとした旅行になるのね。」
「ええ。嫌?」
「ううん。新しい場所を見られるのはうれしい。」
「じゃ、準備しましょう。茶会は7日後だから、6日後の早朝に出発しないと。そうそう、その期間、講師の方には旅行中と伝えないと。来週の講義の予定はどうなっていて?」
「えっと。来週は幸い、1件だけですわ。外務大臣から貿易関係の講義を受けることになっていますけど、外務大臣って、あら?カリキュア侯爵じゃありません?あれ?王太子殿下と一緒に砂漠の国に向かわれたのではありません?」
「あら。そうよね。おかしいわね。王宮に聞いてみましょう。」
ほどなく、王宮からカリキュア侯爵は砂漠の国に行ったので不在である、したがって講義も延期となる。連絡が遅れて申し訳ない。という連絡が来たと母に教えてもらった。