王命と婚約式
「5日後に王太子との婚約の王命が下され、その日の夜にお披露目会がある。」
父に言われてため息をつく。
「リリアンヌ。…どうしても嫌なのか?もしそうなら理由を聞かせてくれないか?王太子殿下に何か嫌なことをされたのか?」
父が心配そうに困ったように聞いてきた。
「いいえ、何もありません。…何度も言うように王妃になんかなりたくないなあ、って思っているだけですので。」
「ああ…。その気持ちはよくわかるが…。こればっかりは…なあ?」
「ええ。あなた。…リリアンヌ。あなたは責任感が強いから思いつめてしまうのでしょうけれど…。わたくし達はもちろん、わたくしの友人達にもあなたを支えてくれるようにお願いしますから。大丈夫ですよ。」
「はい、お母様。」
お披露目会の3日前には、王太子からドレス一式と宝飾品が贈られてきた。
客間の大きなテーブルの上に広げられたそれらの品々を見て、母や侍女達が歓声をあげる。
目のさめるような明るいロイヤルブルーのドレス。このロイヤルブルーは王太子の瞳の色。メレダイヤとシードパールが刺繍に使われれ、光を受けて煌めく。
パフスリーブを絞るリボンと裾のフリルを飾るリボンが鮮やかな金色のレース。王太子の髪のゴールドブロンド色と全く同じ。
ハイヒールもドレスと同じ生地だけれど細かな金真珠がちりばめられリボンの形を作っている。
ネックレスとイヤリングはセット品で、ゴールドの土台に大粒のサファイヤを小粒のダイヤで囲んである。
「ドレスも宝飾品も王太子殿下の色ね。…愛されているわね、リリアンヌ。」
母がほんのり頬を赤く染めてくすくす笑う。
私はドレスと宝飾品を見たときに胃が痛くなった気がしたけれど、それよりも、心に重石がズシッとめりこんだような気がしたのは…。
ティアラが真紅のベルベットに載せられて置かれていたこと。
国王や王妃が戴冠する大げさなものではなく、金の細い針金で編み込まれたかのような繊細なデザイン。透明なダイヤモンドが透かしの中で輝く。
頭に載せても細いので目立たないかもしれないくらいの華奢なデザイン。
でも。
ティアラを頭に載せることができるのは、王族だけ、なのだ。
つまり、私が王太子の婚約者であり、将来は王太子妃、そして王妃に、と王族に入ることが確定したという重い意味を持つものだった。
ドレスが届いてから3日後の朝。
朝からカッチリと正装した両親とシンプルなアイボリーベージュのドレスを着た私は自宅の1階の客間で王家の使者を待っていた。
「国王陛下からの使者がいらっしゃいました。」
ほどなくして我が家の執事が数人の正装した貴族を案内してくる。
彼らは入室してくると同時に高らかに宣言した。
「王命である。」
その瞬間、父は深く頭を下げ、母と私はカーテーシーを取る。
金色の箱を捧げ持って立っている人が1歩前に出る。
別の人がその箱の蓋を開け、その蓋を持って後ろに下がる。
同時に一番偉そうな人が前に出て来て箱の中から1枚の紙を取り出し、読み上げた。
「ゴールデンマウンティン王国リカード国王より、リリアンヌ・ローディア伯爵令嬢に、ウィリアム王太子との婚約を命ず。」
読み上げ終わると彼は紙を金色の箱に戻し、蓋を持っていた人が蓋を元通り閉じる。
そして、金色の箱が私の前に持ってこられる。
「…謹んでお受けいたします。」
小さな声で承諾し、金色の箱を受け取る。
「確かに王命をお伝えしました。ローディア伯爵の皆さま。この度はおめでとうございます。…では、我らは失礼します。」
勅使たちが退室していき、ようやく両親がほっとしたように姿勢を崩す。
「リリアンヌ。その箱は私が預かろう。大事なものだから金庫に入れておく必要がある。」
「はい、お父様。」
「さ、リリアンヌは、夜の披露会の支度にかからないと。急ぎなさい。」
「はい、お母様。」
私の侍女はラミィだけなので、彼女一人では支度が難しいと、母付きの侍女達も集められ、入浴、全身マッサージ、化粧、着替えのフルコースが半日がかりでほどこされた。
夕方に支度が終わるころには疲労困憊、このままベッドにダイブしたい気分。
プラチナブロンドの長い髪は両サイドの髪を少し取って細い三つ編みにされ、それで頭頂部に輪っかを作り、そこにティアラが飾られる。
サイドの髪が結われたためうっすらと見える両耳からはサファイアの耳飾りが揺れる。
ドレスはまだ成人していないので、鎖骨が見えるか見えないかの位置まで生地で覆われているけれど、その首元にはネックレスの大粒なサファイアが燦然と輝く。
袖は七分袖で広がった袖口からは華やかなレースがのぞく。
「おきれいですよ、お嬢様。」
「本当、綺麗よ。見違えたわ。リリアンヌ。」
「もう疲れました……。」
「あらあら、仕方のない子ね。」
紅を唇に乗せる前にお腹へ何かいれておきなさい、と母と一緒に一口サイズで作られたサンドイッチと数種類の野菜を裏ごしして作った栄養たっぷりのポタージュスープを食べる。食べ終わり、口をゆすいだら、すぐ薄いピンク色の紅が引かれた。
「リリアンヌ。そろそろ出かけようか?」
父の呼びかけに母と立ち上がって自室から出ると、父が私を見て、まぶしそうに眼を細めた。
「あなた、リリアンヌ、綺麗でしょう?」
「そうだな…。もう子供じゃないんだなあ……。」
両親と兄ロベルト、そして私の家族4人で伯爵家の紋章付の馬車に乗り込み、宮殿の離宮に向かう。
披露目の時間より1時間ほど早い時間を指定されており、まだ貴族が集まってきていない入口で、私だけ王太子の元に連れていかれる。
家族は今後、こうした王家主催のパーティなどの時に利用できる、王太子妃の実家としての特権にあたるローディア伯爵家専用客室に案内されるそうだ。
王太子は離宮の王族しか入れない専用エリアの一室で待っていた。
王太子としての正装の一つ、白いシャツの上に黒のジュストコールとキュロットを着ている。
ジュストコールの襟には私の髪の色に近いプラチナブロンド色の糸で細かな刺繍がされていたけれど、その意匠は私が着るドレスの刺繍と全く同じだった。
そして、胸元から覗くクラバットは私の瞳の色と同じ若葉色をしていて、真ん中には大粒の透明なダイヤモンドが光っている。
お互いの色を纏った、まさしく、婚約式にふさわしい格好。
…私だって、女の子だ。
王太子と結婚しなければならないなら、彼を愛したいと…、その時初めて思った。
「お待たせして申し訳ありません。」
室内に入り、カーテーシーを取ってから頭を上げたら王太子が固まっていた。
何も言ってくれないし、…あれ?私、何かやらかしちゃった?
「あの…、王太子殿下?」
恐る恐る呼びかけたら、はっとしたように王太子は我に返り速足で近づいてきた。
「ご、ごめん。きみがあまりにも綺麗なので、見惚れてた。」
思わず、顔が赤くなる。
「…ありがとう。今日、来てくれて。…そして、ごめんね。」
「はい?」
「…君が婚約に前向きじゃないのは、わかってる。」
はっとして王太子の目を見れば、気遣いの光が宿っていた。
「でも、わたしは君を愛している。だから…。結婚式までの2年の間に君に愛されるように頑張るつもり。」
「王太子殿下…。ありがとうございます。」
ここまで大切に思ってくれている彼に応えられない自分がとんでもない悪人のような気がしてきた。
もしかしたら、男の子の友達が居なくて恋なんてしたこともないから、王太子妃の責任の重さだけ見て、彼から目を逸らしたいだけなのかもしれない。
「あの…。」
「うん?何?」
「わたくし、王太子殿下が嫌いでは…ありません。」
「え?」
「たぶん、まだ。その、お友達に対するような気持ちなんですけど。」
王太子が破顔した。
「うん。嫌われていないなら最初はそれでいいよ。少しずつわたしのこともっと好きになってくれれば。…待つから。ゆっくりと。」
王太子がそっと私を抱きしめてきた。
なんだかドキドキする。
彼の優しさに応えたくて、おそるおそる両手を初めて彼の背中にそっと回した。触れるか触れないかの距離だったけれど、頭上で彼が息を呑んだのがわかった。
「リリアンヌ…、と名前で呼んでも?」
「え?はい。構いません。」
額に口づけが落とされた。
「お、王太子殿下…。お化粧が取れちゃいます。」
「ごめん。それと、リリアンヌも名前を呼んで?」
「え?でも?」
「ウィリアム。」
「む、無理です…。恐れ多いです。」
「だってもう婚約者だもの。立場は平等。だから、ね?はい。ウィリアム。呼んで?」
「ウ…ウィル…アム様?」
「様は要らない。」
「無理です!絶対!」
「うーん。じゃ、しばらくはそれでいいかな?」
ちょっと待って、と私から離れて後ろのテーブルにウィリアムが行き、小さな箱を手にすぐ戻ってきた。
彼が私の目の前でその箱の蓋を開くと、中にぐるりと透明な石で囲まれた青い石が嵌まった金の指輪が煌めいていた。
「リリアンヌ。あらためて申し込ませてほしい。わたしと結婚してください。」
「…はい。」
「ありがとう!リリアンヌ!」
指輪をウィリアムがそっと取り出して、私の左手を取り、薬指に嵌めてくれる。
「あ、ありがとうございます。大事にします。…綺麗なサファイアですね。」
「ごめん。サファイアでなくって、ブルーダイヤモンド。」
「え?」
「わたしの瞳の色と同じ色の宝石を探したらそれしかなくって。気に入ってくれたらうれしいけど。」
笑顔が引きつる。
けっこう大きな石だから、貴重なブルーダイヤだとしたら天文学的なお値段だろう。
無くしたら…と考えると怖い。
「ふ、紛失したら、どうしましょう?こんな高価な宝石…。」
「紛失は絶対に無いから安心して?」
「え?」
「王太子が贈る婚約指輪は魔術具で、贈った王太子以外、その指輪を外せる人間はいないから。」
「うそっ!」
「嘘じゃないよ。外してみてごらん。」
慌てて薬指から指輪を抜いてみようとしたけれど、指と一体になったかのように微動だにしない。
「ど…どうしよう。外れない…。」
「リリアンヌ?何か困ることあるの?婚約指輪だからずっと嵌めててほしいけど。」
「…あ、そうでした。外さなくてもよかったんですね。」
「結婚式の時に結婚指輪を嵌める前に外すけど。」
「け、結婚式…。」
「君が16歳になる誕生日の翌日。と父王が定められた。それも今日発表される。」
その時、扉がノックされ、外から呼びかけがあった。
「王太子殿下、婚約披露の会場にお出ましの時間です。」
「わかった。今出る。」
すっと腕が差し出された。
「リリアンヌ。行くよ。」
そっと手を腕に添える。
「はい。王太子で……いえ、ウィルアム様。」
リカード王とミリアム王妃様がパーティの会場に姿を現すと、会場に居た貴族達が一斉に頭を下げる。
国王夫妻が立っている場所の奥の方には王太子の弟妹が先に会場入りして立っていた。
「皆のもの。頭を上げて楽にせよ。」
重々しいリカード王の声に貴族達が頭を上げる。
「今日の集まりは王太子の婚約者を発表するために皆を招いた。」
その瞬間、ホールがどよめきに包まれた。
「ウィリアム、こちらへ。」
ウィリアムが静かに私にうなずき、私達は入室して国王の隣に歩み出る。
「皆に慶事を告げる。王太子ウィリアムは本日、リリアンヌ・ローディア伯爵令嬢と婚約が結ばれた。次代の国王と王妃を皆も祝福してほしい。」
わあっと再び、ホールが湧いた。
王太子の婚約という慶事に喜ぶ貴族が多かったけれど、一部の貴族達の顔色がさっと険しくなるのが嫌でも目に入り……、ほんの少し、ウィリアムの腕に添えた手に力が入る。
「大丈夫。絶対に君は守る。」
まっすぐに正面を見たままだったけれど、ささやかれた言葉は力強く。
…全ての貴族が一枚岩なわけではない。そんなことは社交デビューする前から知識として叩きこまれている。何を臆することがあろうか…だ。
「ウィリアム。婚約の挨拶としてのファーストダンスを。」
国王の呼びかけに、ウィリアムはうなずき、私の手をとってホールの中央に進み出る。
楽団が音楽を奏ではじめ、私は初めて、社交界で踊った。
どちらかといえば身体を動かす方が好きな私はダンスも大好きで、教師が「もう教えることはありません。」と太鼓判を押されたほど。
だから、緊張していても、ちゃんと間違えずにステップを踏めた。
一曲踊り終われば他の貴族達がホールに進み出て、演奏が始まった2曲目でダンスを始める。
そんな彼らの間を通って国王夫妻のいる席まで戻れば、婚約のお祝いを述べる貴族達の相手が待っていた。
基本は国王か王太子が返事をしてくれるので微笑んでいれば良いけれど、私を見る目は決して好意だけではなく、好奇心、侮蔑、嫉妬、敵愾心などあらゆるものが含まれ。
ようやく披露パーティから退席した時は婚約した喜びよりはあまり感じず、ただただ心の底から疲れ切っていた。