第9話 ともだち
夜が明けると同時に、俺たちは林を出発した。もちろん王都に向けてではなく、ガーラント山脈へと向かってだ。
朝食は買っておいた保存食をかじった程度だ。貴重な食料だから取っておきたかったが、いまは動物や魔獣を狩って食肉処理をしている時間もねえからな。
「おまえんとこの婆さん、危ねえのか?」
「う~ん、どうだろ。本人は大丈夫って言ってるけど、目を離すと時々胸を押さえて背中丸めてんのよね。元々カラダの弱い人だから、半月近くも薬がないと心配で……」
「馬鹿たれが。必要なら王都を出る前に俺に言やあいいだろうが。どうせ俺は王都からは半永久的に追放された身だからな」
巨大な倒木を乗り越え、エリアナに手を貸そうと振り向くが、彼女は身軽に倒木から地面へと飛び降りた。
「どゆこと?」
「往復分くらいの時間も手間も惜しまねえってこった。必要な薬草を採取して王都に戻ってくるくれえのことはしてやるって言ってんだ」
貴重な友人だからな。エリアナに対してはその程度の情はある。ついでにいくらかの種類の苗や種子を持って帰れりゃ、親父殿への借りも返せただろう。
エリアナが珍しく眉間に皺を寄せ、難しい顔をした。
すげえ表情だ。
「なんだよ、その顔は。おめえ、俺を悪人かなんかと勘違いしてねえか?」
「王族のくせに口と態度は悪いし、そこら歩いてるチンピラより顔は怖いし、中身なんて魔獣みたいだけど、悪人だとは思ってないよ?」
「……いや、言い過ぎだろ……」
刺さるぜ……。
「そゆことじゃなくてさ、なんで学園でアーサーがモテなかったのかなーって。ほら、男女問わずからハブられてたじゃん?」
そうか。ハブられてたのか、俺。道理で誰も話しかけてこねえはずだぜ。
朝日がやたらと目に染みらぁ。
「あんたから何か話しかけても、適当に流されて逃げられたりしてたの見たことあったし?」
「……見んなよ……」
「クラスの女子が落としたハンカチ拾って返そうとしただけで、世界の終わりみたいな顔で悲鳴上げられてたじゃん」
ああ、あったな。
世界の前に俺の心が終わりそうだったぜ。
「……そ、その後ちゃんと受け取らせたぞ……」
「知ってる。本人から聞いた。あの子、あたしの友達15号だから。うわべの。待って、51号だったかも」
「逆になんでおまえに友達がいるんだ?」
同級の名前くれえ覚えてやれよ。
確か、ルーン・ローって名だったか。
「ルーン・ローだろ」
「そう! ルーン51号!」
思い出してもナンバリングはされたままなんだな。
人の心はねーのか、次期大聖女様にはよ。
「あの子ね、肩をつかまれたから逃げようとしたら、いきなり強引に鞄にハンカチをねじ込まれたから驚いたって言ってた」
「ヘッ、まず逃げようとすんなって話だろーが」
「あたしに言われても。でも感謝してたよ。だからあたし51号に『あの不良に何もされなくてよかったねっ』って言って慰めといてあげた。フォローばっちり」
俺は白目を剥いた。
「……何してくれてんだ、おめえ……」
「さすがに冗談だよ?」
そういう類いの場面は見ないでほしい。よしんば見たとしても、何事もなかったかのようにスルーしてほしかったぜ。
同級のやつらはどいつもこいつも、俺を敬遠していた。そうじゃなかった場合でも、どうにも会話が続かねえんだ。結局は精神ジジイと十代だからな。
そんなもんで、俺は一年目でもうクラスメイトとの関わりを諦めた。エリアナが俺に接触してきたのは、ちょうどその頃だ。
校舎裏でコソコソぼっち飯を貪る俺を、遠慮も何もなく指さして爆笑してやがったのさ。
伝説の悪魔かおとぎ話の鬼かと思ったぜ。そいつが次期聖女様だっつーんだから、皮肉な話だよな。
「でもさ、あれを見てたから、あたしはアーサーの友達になったんだよ」
「おまえの友達ってのは、金銭関係の上に成り立ってんだろ」
「拗ねちゃってまあ! かわいらしいこと!」
大げさに驚いたふりで口を塞ぎ、エリアナが笑った。
俺が歩き出すと、エリアナが背後につく。藪の深さは覚悟していたが、どうやら親父殿の魔導銃士隊第七小隊の通った道らしく、多少は踏み均されている。
この先に、彼らがいるはずだ。まだ生きてりゃな。
「そんなことないよ。アーサーがあたしのことを好きでいてくれるように、あたしもアーサーのことはちゃんと好きだから~」
「へいへい」
否定はしねえ。その程度の言葉に照れるほどガキじゃねえからな。
親父殿や亡くなった母親に次いで、俺はエリアナのことを気にしている。それだけ今世で深く関わることのできた人数が少ないってことでもある。寂しいね。
「金銭関係でも結んどかないと、それっきりかもしんないじゃん? あんたは特にね!」
「んじゃ、例の請求書の半額は残したまま旅立つとするかね。クク、これで俺たちの絆は切れねえ」
「別にいいけど、知ってる? 借りたものには利息がつくんだよぉ?」
同時に噴き出した。
そして、いまも笑って話せるやつは、こいつだけだ。
※
出発からおよそ半日が経過した。日が落ち始めている。ガーラント山脈が近いのか、少し肌寒くなってきた。だが、薬草林まではもう少しだ。
なだらかな丘陵を歩き通しではあるが、未だ魔導銃士隊には追いつけていない。
「エリアナ、大丈夫か?」
「うん。暗くなるまでは進もう」
口数が減ってきているな。
俺は剣で鍛え続けてきたから、多少の登り坂なら問題ねえ。幸いにも魔導銃士隊が駆逐したのか魔獣は現れず、おかげで魔力を使わずにここまでこられた。おかげでソウルバイターを変形させることももうできるだろう。全力の六~七割ってところだが。
ましてや、エリアナの歩行ペースに合わせているからな。だが、そのエリアナは顔色が優れねえ。旅慣れねえ疲労のせいか、あるいは緊張か。ここはもう、王都の猟師でさえ立ち入らねえ魔獣多発地帯の中だからな。
「……引き返すか?」
「ちょっと、いまさら何言ってんの!?」
「勘違いするな。夜に休むなら、多発地帯からは出ておいた方がいいってだけのことだ。いまなら大した距離でもねえ」
「あ、そっか……。このままじゃ深夜も多発地帯になっちゃうんだ……」
「ああ」
ここまでくりゃ、松明作って火をつけても王都から見られるこたぁねえ。ひとりなら深夜も強引に進めるが、エリアナと一緒じゃ、それもちょいと厳しい。
だが、エリアナは首を左右に振った。
「大丈夫。これ、疲れてるわけじゃないの。や、疲れてはいるんだけど、それよりもさっきからルーゼンベルグ様が――」
「?」
風の女神ルーゼンベルグは、ガーラント王国の主神だ。エリアナの所属する中央教会が崇める神でもある。
「この先にとても危険な何かがいるって。そう言ってる……ような気がする……」
「聖女の神託ってやつか?」
エリアナは掌でこめかみを押さえている。頭痛をこらえるような表情だ。
「うん。あたしの頭がまだおかしくなってなければね」
「……」
神託と、ただの妄想や夢の類との違いは、聖女本人にもわからねえらしい。これは元聖女だった、今世の母親の言葉だ。
正直なところ、神託が外れることは少なくねえ。ただそれでも、完全にただの妄想であるとは言い難い確率で、神託の未来は訪れる。
だからガーラント王国は、現実に確かに存在している大魔導技術の全盛期でありながらも、極めて稀な聖女にしか言葉を与えぬ神などという曖昧な存在を認めているのだ。
大魔導技術と神の奇跡は、現実と夢のように共存している。
「アーサー。あまり時間をかけたくないの。往復二日の距離のはずなのに、あたしのせいで遅れてるんだよ。あたしが神託を受けながらそれを問われるまであんたに言わなかった意味を考えて」
よほど心配なのだろう。婆さんのことがな。
あるいは思った以上に容態が悪いか。
「わかった。進みゃいんだろ。だったら泣き言は聞かねえぞ。何が起こるかわかんねえから、ちゃんと離れずついてこいよ」
「うん!」
俺はうなずいて再び歩き出す。
しばらく歩いていると、突然エリアナが笑いをこらえるような声でつぶやいた。
「ねえねえねえねえ、アーサー。ねえってば。いまのあんたの言葉だけどさ」
ローブの背中を引っ張られて、俺は肩越しに振り返る。
満面の笑みをしてやがる。嫌な予感しかしねえ。
「なんだよ」
「もしかしてプロポーズ的な意味だったりするっ? きゃーっ」
先日、婚約が破談になったばかりで何を言っているんだか。
「はぁ~……もう俺が疲れるわ」
「疲れた顔もすてきよ、だーりんっ」
こんなときくれえ、あざとさを忘れろよ。
あきれながらも、少し笑えた。
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