第8話 風向き
門衛の交代時間のわずかな隙をついてコソ泥のように門をくぐり、跳ね橋に出たあたりで、さすがに俺は足を止めた。
「おまえさあ……」
「ん?」
エリアナが不思議そうな表情で俺を見上げる。ちょっと小首を傾げているあたりがあざといが、あいにくジジイにゃ通用しねえ。
「どこまでついてくんだよ」
顎に人差し指をあてて、さらに首の角度を倒す。
「んー。とりあえずガーラント山脈の麓あたりまでかな。アーサー、どうせ街道使わず山越えするつもりでしょ」
死んだはずの第一王子だ。しばらくは目立つわけにもいかねえからな。
「まあな。つか、山脈の麓じゃ魔獣多発地帯に入っちまってんじゃねえか。なんでだよ」
「それなんだけど――」
エリアナが応えかけたとき、俺たちは魔導灯の白い光に照らし出された。光源はもちろん、通り過ぎた王都門からだ。
「おい、おまえら! そこで何をしている!? 王都門は夜間の通行を認めていないのだぞ!」
「まさか侵入者か!? おとなしくしろ! そこを動くなよ!」
やべえ、モタついたせいで、交代した夜の門衛に見つかっちまった。
捕まると面倒だ。親父殿に迷惑をかけちまうし、公職だと俺の顔を知ってるやつだっているかもしれねえ。
俺はとっさにフードをかぶってエリアナをその場に残し、走り出した。
「じゃあな! ちゃんと帰れよ、エリア――な?」
いねえわ。
いやむしろ俺の先を率先して全速力で走ってやがるわ。
……なんで?
「何やってんの、アーサー! ほら、あんたが捕まると面倒なんだから急いで!」
「ええええ……」
なんだよ、もう。
わけわかんねえよ、こいつ。
俺たちは全力で跳ね橋を走って越え、街道ではなく人目につかない草原の方面へと進む。しばらくは追ってきていた門衛たちだったが、基本的に王都は入国時には審査が厳しく、出国時には緩い。すぐにやつらの姿は見えなくなった。
そいつを確認したあと、俺は前を走り続けていたエリアナの手をつかんで彼女の足を止めさせ、強引に自身の方へと振り返らせる。
「ちょっと待て、エリアナ!」
「わっ、きゃ! そ、そんな、ごーいんにされたら……でもあたし、こういうの嫌いじゃない……よ」
この期に及んでまだふざけてやがった。
「おまえなァ、何考えてんだよ……」
「そんなのアーサーとの愛の逃避行に決まってんじゃん」
俺はエリアナの頭を片手でガシっとつかみ、顔を近づける。
「いや、まじめに」
「まじめに?」
「ああ、まじめにだ」
「まじめにかぁ~……えへへ」
何回言わすんだ。
「わかったってば。だから放して。髪型が乱れて色っぽくなっちゃう」
「余計な心配だな。おまえに色気はねえ」
「うそっ!? 結構モテるのに!? ちょっとは胸あるよ? 疑うなら触って? ハイ!」
エリアナが無防備に両腕を広げた。
俺はエリアナの頭部を握る手に力を込める。
「イダダダダ! ごべんだざい!」
「いちいち話を逸らそうとするな。そういうとこだぞ」
頭から手を放してやると、エリアナは二つ結びを手櫛で軽く直しながら、なぜか楽しそうに破顔した。
「アーサーってば、ほんと乗ってこないね。あ、わかったわかった。ごめんってば。そんな肉食魔獣みたいな怖い顔しないで。ちゃんと言うから」
「そんなツラはしてねえ。傷つくからやめろ」
「あははっ、アーサーって魔獣扱いされると精神にダメージ入るよね」
「……普通は誰だってそうだろ……」
草原の奥は林だ。俺たちは念のために林まで歩を進める。そうして魔獣対策に周囲を軽く警戒しながら、並んで倒木に腰を下ろした。
「ようやっと一息か」
「そだね」
まだ火は焚けねえな。ここじゃ王都から見えちまう。入国審査は緩いとはいえ、追っ手が放たれていないとは限らねえ。
しかし、暗いな。草原はまだ月明かりがかろうじてあったが、林はそれさえ遮られちまう。今日の移動はここまでになりそうだ。
「暗いね」
「なんだ? 教会女のくせにびびってんのかァ?」
「うん怖い。ねえ、もっとくっついていい?」
「楽しそうに言うな、アホめ」
俺は革袋から薄手の寝袋を取り出すと、エリアナの胸に押しつける。
「貸してやる。今夜はそれで寝ろ」
「え、いいの? アーサーは?」
「慣れてるから必要ねえ」
「へ? 慣れてる? 王宮と学園の往復ばっかだったのに?」
ああ。いらんことを言ってしまったな。
むろん前世の経験談だ。
「王宮の庭で、たまにな……」
「えっ、自分ちの庭で!? 何のために!?」
「し、深夜にな、剣を振るんだ。部屋じゃ振れねえだろ。まあ、そんな感じだ。んなことより、ちゃんと事情は話せよ」
「うん。寝袋貸してくれてありがとね。好きっ」
エリアナが寝袋に顔を埋め、スンスンと嗅いだ。
「うれしいな。アーサーの臭いつきだぁ~。男くさぁ~い。腕ん中で抱かれて眠ってるみた~い」
「さっき買ったばかりの新品だが?」
「……はい、すみませんでした。また悪ノリしようとしました」
「おう」
この後に聞いたエリアナの話を端的に説明するとだ。
ガーラント王国中央教会には、王政から一任される重要な役割がある。風の女神ルーゼンベルグを崇める国教の布教と、傷病者の治療だ。
一般的に傷の治療は、聖女と呼ばれる神の声を聞く女たちによってルーゼンベルグの奇跡を用いて行われるものなのだが、病の治療に関しては、それほど単純な話じゃあねえんだ。
聖女の奇跡は、怪我人の肉体を一時的に付与強化することで代謝を高め、傷の治りを早くすることができる。むろん、大きな骨折等がある場合には外科的な治療も同時に並行して行われるが、それでも奇跡は替えの聞かない絶大な治療技術だ。
ところがだ。
病に対して神の奇跡を使用した場合においては、患者の肉体の付与強化は当然行われるが、同時にその体内に入り込んだ“悪しきもの”なども強化してしまう。当然、病は爆発的に進行する。奇跡の持つ万能であるがゆえの矛盾だ。
当然の帰結として、教会は古くから病を引き起こす“悪しきもの”に対しては、薬草を使用している。それこそ魔導が誕生するよりずっと以前から積み重ねられてきた研究は、いまでも王都民にとってなくてはならない医療技術となっている――のだが。
「教会所有の薬草畑が天候不順で枯れちゃって、ほとんどだめになったんだよね」
「それでガーラント山脈の麓ってことかよ」
「うん」
ガーラント山脈の麓には、自生する薬草林がある。むろん、王都の生物生息空間の薬草畑で育てていたすべての種類をカバーできるわけではないが、それでもいくらかは足しになるはずだ。
ちなみに生物生息空間とは、王都内の一部を壁で囲って自然環境を可能な限り人為的に再現し、そこに棲まわせた魔獣を含む動植物を研究する施設のことだ。
俺が生まれるより以前に、親父殿が造らせたらしい。おかげでガーラント王国はこの二十年ほどで、魔獣の生態や薬草の研究分野において大幅な進歩を遂げたらしい。
新たな分野や知識に貪欲なんだ。親父殿は。大魔導に限らず、な。
「だが、おまえひとりで摘んだところで、どうにもならんだろ。需要がでかすぎる」
「取り急ぎ必要な人がいるんだよ」
「それでも危険過ぎるだろ。教会から親父殿に兵を借りて採取に行かせた方がいい。そういう理由なら、あの人は断らねえよ」
「そんなん何日も前からとっくにやってるよ。ラーセル様が魔導銃士隊第七小隊を派遣してくれたんだけど、でも、彼らが出発した日からもう五日が過ぎてるの」
教会から王政に伝え、王政から親父殿の耳に入れ、親父殿が兵に命じ、魔導銃士隊を作成して薬草林に派遣する――まで、ざっと見積もって三日。さらに往復で二日程度の距離のはずだというのに、派遣された銃士隊が戻ってきてねえってことは、トラブルでさらに追加か。薬草が届くまで、一体どれだけの日数がかかることか。
「隊が不明になってから三日が経過してるってことか」
「うん。明朝には新たな捜索隊が組まれるらしいんだけど、ちょっと患者の余裕がなくてさ。だからどうなってるのか見に行きたかったんだ。そこにちょうどよく――」
「俺の王都追放かよ」
「そそ。アーサー、腕っ節は強いじゃん? 護衛してほしいな~って」
エリアナの個人的な事情はさておいても、こりゃあ、王都の被害は甚大だな。
親父殿も祭事どころじゃなかったろうに。さらに最悪のタイミングで俺が祭事に飛び入るなんていう大迷惑をかけちまったあげく、明日にも俺の国葬を執り行わなきゃならねえときたもんだ。
まったく。恨み言の一つくらい言ってくれよ。情けねえ。そこに気づけなかった自分自身が情けねえよ。何年生きてんだ、俺ぁ。親父殿より年上だぞ。
額に手を当ててうつむいた。
「悪ぃことしちまったな……」
「何が?」
「おまえにゃ関係ねえ。こっちのことだ」
俺は立てかけたソウルバイターを一撫でした。
「ところで急を要する患者ってのは、おまえの知り合いか?」
「うん。おばあちゃんだよ」
ため息が出る。
今日だけで何度目だ。まったく。
楽しんでいただけましたなら、ブクマや評価やご感想、ご意見などをいただけると幸いです。
今後の糧や参考にしたいと思っております。
次話は後ほど更新予定です。