第7話 野良聖女
エリアナは何も言わずに俺の隣に腰を下ろし、二つ結びの髪を指先で触っている。俺も特に会話なんかは思いつかず、気まずい時間だけが流れていた。
「……」
「……」
よし。あまり深く考えないことにした。
俺は再びベンチの背もたれに首を預ける。
門衛は生真面目に突っ立ったままだ。陽は暮れかけているが、交代時間にはまだ早い。
本来ならば王宮でひとっ風呂浴び、夕食を摂ってから出発したってよかったくらいの時間だ。
まあ、あの廃嫡騒ぎの後でそこまで図々しい行いができるほどは、俺の面の皮は厚くなかったってことだ。
考えてもみろ。そんなことをしたら、今度は親父殿と気まずい晩餐を囲むことになっちまう。エリアナの方がいくらかマシだ。
「は~ぁ」
ため息が出るね。
いっそもう、ここでひと眠りするくらいの時間はある。
そういや、腹が減った。
色々ありすぎて夕飯や旅の準備を忘れていたな。やはり廃嫡は、俺のようなやつでも空腹を忘れてしまう程度にはショックな出来事だったらしい。いや、それ以上にショックな出来事を重ねられちまったが。
隣の小娘に。
「眠い? 膝枕してあげよっかっ! 何だったら、うつ伏せでもいーよ!」
エリアナが細く貧相な大腿部を両手で叩いている。
「ヘイ、カモン!」
「……ちっ」
「いや、女子に向かって舌打ちって……」
まあ、それももうしばらくの辛抱。王都を出るまでの話だ。それまではどこぞの酒場で飯でも食って時間を潰すか。
そんなことを考えて、ため息をつきながら立ち上がる。なぜかエリアナも立ち上がった。
「……」
「……」
両腕を空に突き上げ、背筋をぐぐっと伸ばしてから、俺はもう一度座る。
エリアナも座った。
「……」
「……」
内心で頭を抱えた。
飯までついてくるつもりか、こいつは。
今度は腰をわずかに浮かせて、すぐに座る。釣られて一瞬立ち上がりかけたエリアナだったが、立ち上がらなかった。腰を下ろしてすぐに、「騙したな」とでも言わんばかりに俺をキッと睨む。
「…………まだ何か用か?」
「べっつに~? 自惚れが過ぎるんじゃない。見てるこっちが恥ずかしくなるよ」
そこまで言わなくたっていいだろう……。ジジイだって傷つくんだぞ……。
だがこちらは人生経験が豊富。この程度のことで怒ったりはしない。せいぜい子犬が甘噛みをしてきた程度のこと。
「じゃーな。もう日暮れだ。気ィつけて帰れや」
「ええ? 最後の夜じゃん。もうちょっといさせてよ」
「ハッ、なら好きなだけここにいろ」
俺は酒場に行くために立ち上がる。やはりエリアナも立ち上がった。
怖っ。
腰を下ろすフリをすると、エリアナが釣られて腰を下ろした。その後、またしても俺をキッと睨み上げる。
「なんで邪険にするの! あたしたち、友達以上恋人以上の関係だったじゃん!」
通行人が俺たちを横目に、クスクスと笑いながら歩いていく。
「お、大声を出すな。ただの金銭関係が誤解を生むだろうが」
「あ、口止め料もらい忘れてたっ!」
「クソ、やぶ蛇だったか……」
もういい。埒もねえ。
それ以上の会話はせずに、俺は立てかけておいたソウルバイターを背負って足早に歩き出した。以前から目をつけてた安酒場に向けてな。
※
結局ついてきた。
安酒場の円形の木製テーブルには俺ひとりだが、俺の背後にある別のテーブルにはエリアナがひとりでついている。
つまり、ウェイトレスの通る通路を挟んで背中合わせだ。
誰か助けてくれ。目的と得体が知れなさすぎる。こういうのは苦手だ。不安になる。殺し合っていた方がよほど気楽だぜ。
エリアナは料理を注文している。
俺は別のウェイトレスを呼び寄せて、酒と大蟹の悪魔風を注文した──瞬間、エリアナが余計な一言を発した。
「もう。だめですよ、アーサーさんっ。あなたはまだお酒を飲める年齢ではありません。お店に迷惑がかかってしまいますよっ」
「……ぐ……、……余計なこと言うんじゃねえよ……」
第三者の前だから、ご丁寧に猫までかぶりやがって。
こいつは俺以外の人間がいる前では、いつもこうなんだ。学園でも、街中でもな。仮面をつけるのは、俺よりよっぽど上手なのさ。
苦い思いでウェイトレスを見上げると、彼女は首を左右に振ってから注文票を書き換えた。
せっかく家を出たというのに、なぜこんな小娘に縛られねばならんのだ。俺は齢六十近くのジジイだぞ。酒くらい何の問題もなくたしなめるってもんだ。
普段はちゃらんぽらんのくせに、こういうとこだけ教会女だ。
「いけませんっ」
「……チッ。女房気取りかよ」
皮肉のつもりで言ってやったというのに、彼女はニンマリ笑って言ってのける。ウェイトレスが行っちまったのを確認してからな。
「自惚れないでね。そういうの恥ずかしいよ~、アーサー?」
ほんとにな! くそ!
実際そうなっていたかもしれない関係だったことを忘れていた。完全な失言だ。調子が狂いっぱなしだぜ。
しばらく待っていると、料理が運ばれてきた。
エリアナは魚介と米を煮込んだパエリアらしい。俺は真っ赤に染まった巨大焼き蟹だ。この安酒場に目をつけてたのは、こいつがメニューにあるからだ。
この蟹は海の魔獣ザラタンといって、成体ともなれば島ほどの大きさになると言われている──が、そいつは船乗りが悪ふざけで生んだだけの、ただの誇張にすぎねえ。
せいぜいがオーガ程度の大きさだ。それでも爪に挟まれりゃ、金属鎧の強度では紙ペラくらいまで圧縮されちまうがね。
このテーブルに乗るくらいの大きさでは、まだ幼体だ。
脚をもぎって備え付けのナイフで殻を割り、その肉にかぶりつく。
口の中で強い甘みと独特の香りが弾け、身はほろほろと解れる。焼き加減はレアに限るね。調味料の塩気や香辛料の刺激の中にも、ザラタン独自の甘みが強く残るからな。
「うめえ……」
思わずそう呟いた。
これだよ、これ。王宮のナイフとフォークで食べるお上品な料理も嫌いじゃねえが、やっぱザラタンは豪快にかぶりついてこその大きさよ。
覚えてねえが、前世から好きだったに違えねえ。これだけで廃嫡された甲斐があったってもんだぜ。
手で殻を持ち、はみ出した身にかぶりつく。口いっぱいに頬張る。
堪能していると、背後から声が漏れた。
「いい匂いだね。ん。早く」
いや、すでに手まで伸びてきていた。寄こせとばかりに指が上下している。
「……ほらよ」
俺はザラタンの脚を一本もぎって、通路を挟んで背中合わせのエリアナへと差し出す。
彼女は躊躇うことなくそれを受け取り、再び俺に背中を向けた。だがすぐにまた振り返ったエリアナは、取り分け用の大きなスプーンにパエリアを山盛りに乗せて、俺へと差し出してきた。
「えっへっへ。お返しだよ。このお店の看板メニューなんだって」
「そらどうも」
受け取る。ご丁寧にエビや貝類まで乗せてくれている。
ヘッ、いいとこあるじゃねえか。
大口を開けてかぶりつく。
これもなかなかだ。海鮮のスープが生きている。米の芯がわずかに残った硬さも、強めのスープにゃちょうどいい。プリプリのエビがたまんねえな。
「へえ、うめえな」
「でしょ!」
何を得意げに言ってやがんだか。おまえが作ったわけでもねえだろうによ。
「なんとこれ、アーサーのおごりなんだよ」
「なんでだよ!?」
エリアナがパンと両手を合わせて、可愛らしく小首を傾げる。
「えっへ、口止め料ぉ?」
「アホタレ。マスクマンの正体なら最初から親父殿にはバレてたぜ。葬儀でさらに国民にもバレる。口止めする理由なんざもうねえのに、誰が払うかよ」
「なんかぁ、死んだはずの殿下が生きてるってことぉ、まだ誰も知らないんだよねぇ~」
俺は白目を剥いた。
「……おまえ……なんかもう、すげえな……」
「いや~、アーサーに褒められると照れるわ~」
俺に孫がいたら、こんな感じだったのかねえ。
嫌だわ、こんなちゃっかりした孫。
「わかったよ、わかった。でもこれでチャラだからな」
「何言ってんの。渡した請求書もう一度よく見て。高いやつって書いてるでしょ。安酒場じゃ半額にもなんないじゃん」
エリアナがにっこり微笑み、あざとく首を傾げる。
「ねっ? あ、お金で払うからっていうのはナシね! また一緒しよ?」
ふっ、ふふ……。
まあ、いい。どうせ旅に出りゃおさらばだ。ぜってえ踏み倒してやる。
気を取り直してザラタンの悪魔風に戻る。八本の脚──いや、一本取られたから七本の脚と二本の爪を堪能したあとは、背中の殻を腹部から剥がした。
この蟹味噌がまた絶品なんだ。本来なら食ったあとに注文する予定だった酒を流し込んで一杯いきてえところだが、こればっかりは小娘のせいで台無しだ。
その小娘は、ザラタンの脚に舌鼓を打っている。
「ん~っ、たまんなっ」
「だろ?」
「なんであんたが得意げなの? 作ったの宿の人だよ?」
「……」
食い終えて一息ついたところで、日暮れがやってきた。
俺が二人分の支払いを終えて店を出ると、当然のようにエリアナもついてきた。野良犬みてえに棒きれ振って追っ払うってわけにもいかねえし、どうしたものか。
王都門を前にして、俺は深いため息をついた。まだいやがる。
まあさすがに門外にまでついてくるこたぁねえだろう。そう思っていたのだが。
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次話は後ほど更新予定です。