第6話 婚約破棄
旅立つに当たって、いくつか懸念があった。
うち一つは、俺自身が死者となってしまったことだ。王都を出立するには北、もしくは南の王都門から出るしかないのだが、入るにせよ出るにせよ、身分証明というものが必要になる。
ところが俺はすでに死亡済みの身だ。堂々と外へ出て行くことさえできねえときた。かくなる上はこそ泥のように出て行くしかないわけだが。
跳ね橋の門が上がっちまうことはねえが、門衛がいなくなる瞬間も、ほとんどねえ。門衛の交代時間に強行突破するくらいしか、方法が思いつかねえ。最悪見つかったとしても、王都門は入国時には厳しくとも、出国時には割合寛容だ。
基本的には王都の治安維持のための存在だからな。王都外で誰が野垂れ死のうが、彼らはさほど気にしねえんだ。
そんなわけで、夕暮れ時。
王都北門の前までやってきた俺は、近くのベンチに腰を下ろして門衛の様子をうかがっていた。
門の左右にひとりずつ。門の上方、壁の上に数名。まだ交代時間には早そうだ。
ベンチに座って背もたれに首を預け、両腕を背後に垂らす。ソウルバイターは隣に立てかけている。今時、剣なんて欲しがるやつは上流貴族の好事家くらいだ。盗まれることはないだろうよ。
あったとしても、この重量だ。抱えて走られたところで、すぐに追いつける。
「……」
「……」
見上げる空に、エリアナの顔が映った。というか、ベンチの背後に立って俺を覗き込んでいる。澄んだ湖のような色の、幼い瞳で。
二つ結びの髪が、ちょうど俺の耳に垂れていた。
「お~っす、アーサー」
「……よお」
どういう理由で、このタイミングにこんなところに現れたのかはわからんが、こいつとは別れがまだ済んでなかった。数少ない心残り、懸念の一つだ。俺には他に友達がいねーからな。
ちょうどいい。
俺は口を開く。
「今夜、王都を去ることにした」
「知ってるぅ」
「耳が早いな。教会か?」
「うん。アーサー・ブルームフィールドの葬儀が明日執り行われるんだってさ。なんかさあ、それってあたしが治療ミスったみたいじゃん。治療をしたのは聖女見習いの誰かってことしかわかってないらしいけど?」
なるほど。事実はそういうことになったか。
「そいつぁ、迷惑かけたな。おめえの治療は完璧だったぜ。疲労はあるが痛みはねえ。絶好調だ」
「いーよいーよ。そんなこと言いにきたわけじゃないしさ」
珍しく、口ごもってるな。普段は聞いてもねえことをペラペラ言ってくるくせに。
「別れを告げにきたんだろ。よく俺の居場所がわかったな」
若干、芝居がかった口調で、エリアナが言った。
「神様があたしに言うわけよ。アーサーなら王都門近くにいるんじゃね~ってさ」
「見張られてんのかよ……。怖え……」
「あははっ」
真偽の判断がつかねえ言葉だった。なんせ未来の大聖女様だからな。
だがエリアナはすぐに笑顔を消して、人差し指で自身の頬を掻いた。至近距離から覗き込む体勢だというのに、目線だけは俺から逃がしてな。
「ん~……」
「ま、元気でやれや。エリアナ」
エリアナと俺の視線が交わった。
「あーうん。そうじゃなくてさ。あんた、例の婚約者とのことって──」
「ああ。んなもん、とーぜん婚約破棄だろ。親父殿も何も言ってこなかったしな。先方に頭下げて断りを入れたってことだと思うぜ」
「何も言われなかったんだ……。あれ、あたしだったらしいんだけど……」
「へえ。ま、全部いまさ……ら……?」
エリアナが後頭部を掻きながら笑う。
「……たはは……」
「……」
んんんんん?
言葉が浸透するまでに数秒。エリアナもまた、黙ったままだった。そりゃ何とも奇妙な時間だった。
背もたれに預けて空を向いていた首を、思わず跳ね上げる。
「……ああっ!?」
額がぶつかりかけて、エリアナがひょいと避けた。
「だよね~! そういう反応になるよね~! あたしもお姉ちゃんから聞かされてそんな顔になったもん! あっはははは! ウケる! あんたとあたしがよ!? あはははは!」
何笑ってんだ!? こいつ怖え!
「あんたは相手を知らなかったみたいだし、あたしはそもそも婚約なんて話さえ知らなかったんだから、どびっくりだよね! どする? する? しとく?」
こいつが俺の婚約者だったのか。
考えてみりゃ、次期聖女、それも数年後には大聖女の座を約束されたオンナだ。貴族の出自じゃねえとはいえ、王族に迎えられるだけの格は十分にあった。
実のところ今世での俺の母親も、元は教会の聖女だったらしいからな。
「アホか。どのみち婚約なんざ破棄だよ、破棄。アーサー・ブルームフィールドはもういねえからなァ」
「じゃあ、ここであたしと話してるアーサーは誰なのさ?」
「俺ァ……」
苦し紛れに、前世の姓を持ち出す。
「アーサー・レイブンクローだ」
「変な名前。魔獣みたい」
「うるせえ」
「中身も魔獣みたいだしね。アーサー、動物に懐かれないでしょ」
「んなわけねーだろ。ヘッ、俺が森で寝てたら小鳥が止まるわ」
タイミングよくトコトコ歩いてきた鳩が、俺の顔を見て慌てて飛び立った。
「……っざけんな鳥ィ! 戻ってこいや!」
「あっははははっ」
レイブンクロー。おそらく姓だったはずだ。
剣以外の何も覚えていなかった俺が、唯一記憶していた言葉。それがレイブンクローだったのだから。
「……」
「……」
「沈黙はやめろ」
「気まずいよねぇ。もちょっとで肉体関係になってたかもしんないふたりだもんね。はぁ~ドキドキしてきた」
「いちいち口に出すな」
「なら喋って? 会話。ほら早くぅ」
ほら早くぅ、じゃねえよ。何様だよ。
俺だって死ぬほど気まずいわ。ジジイでもさすがにキツいわ。
「いやもう帰れよ……」
「やだよ。あーそぼ?」
俺は神に祈った。
頼む、門衛。さっさと旅立たせてくれ。
だが神ってやつは、いつだって聖女の味方なんだ。
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