第5話 途の分岐
病院から出てすぐ、街に備え付けのダストボックスに仮面を投げ入れる。
御前試合の飛び入り仮面と、第一王子アーサー・ブルームフィールドが同一人物であると、王都民に知られないように。
幸いもう夕方。まだ浅い闇ではあるが、人通りはそう多くはなかった。
「……」
本来ならローブも捨ててしまいたいところだが、背中にゃ巨大な機関式魔法剣を背負っている。ローブを被っていなければ、こいつを隠せない。
仮面の処理さえ終えてしまえば、ほとんどの民は俺の正体に気づくことはないだろう。マスクマンにせよ、第一王子にせよだ。
普段から俺の行動範囲は極めて狭いんだ。王宮の居館と学園の往復くらいしか許されてはいないからな。ごくまれに抜け出して街をうろつくこともあるにはあったが、そのときも俺と気づかれたことはない。
王族ってのは窮屈なもんだ。学園に通うことにさえ、難色を示されたくらいだ。本来なら魔導の教育なんざ、王宮内の教育機関で事足りることだからな。
だがこれ以上、魔導だ王族だと縛られるのはご免だ。自由な時間がほしい。そんなわけで二年前、親父殿の目の届かない学園に強引に通うことに決めたんだ。
ところが魔導に対してやる気を持てない俺の成績は、恥も外聞もない下の下。第二王子の弟からは、そら見たことかと揶揄される毎日。剣などにうつつを抜かすからだ、とな。
自然、親父殿の締め付けも厳しくなる。俺はますます出歩けねえ。そんなもんで俺をこの国の王子だと知る民は、学園生の一部と教師くらいのものだ。
だからこうして堂々と歩ける。舗装された王都の美しい街並みを。俺にとっちゃ、遠い世界に感じられるくらいに余所余所しい街並みを。
普段は俺の門限に厳しい親父殿だが、御前試合って祭事のあった今日だけは、やつ自身すぐには王宮に戻ってこられねえだろう。一国の王だからな。
いっそのこと、このまま酒場にでも繰り出して――とは思っちゃいたんだが、正直、ボードレールとの戦いで、魔力はもとより体力もすでに枯渇寸前だ。腹は減っているが、さっさとベッドに潜り込んで休みてえ。
機関式魔法剣ソウルバイターは剣ではあるものの、その使用には相当量の魔力を必要とする。変形時の魔力排気が大きいという理由も、機関式魔法剣が実用に耐えなかった理由の一つだ。
まるで時代についていけねえポンコツの俺みてえにな。
※
王城。前世ではそう呼ばれていた。
だが文明開化とともに、時代は変わったんだ。剣の時代が終わりを告げたように、城も大きく様変わりをして館となった。大きく広い館――王宮だ。
門衛に軽く手を挙げ、門を開けさせる。
庭園を通って玄関口にさしかかったとき、俺の前に立ちはだかる影があった。
「……」
ラーセル・ブルームフィールド。国王であり、俺の親父殿でもある。
なんで家にいんのかねえ。祭り後の公務はどうした、親父殿。
ドアへと伸ばした俺の手を、親父殿が自らの手で遮った。
「……」
「何か用か、親父殿? 門限はギリギリ守ったつもりだが」
年下を親父殿と呼ぶには少々面はゆいものがあるが、今世の俺はまだ十代だ。仕方ねえってもんだ。
「用だと? アーサー、このバカ者め! 私が気づかんとでも思うたか!」
「なんだ、御前試合のことか。ハッ、なかなかどうして、大したものだっただろ。親父殿がいつもバカにしている剣というものも」
まあ、気づかれるだろうとは思っていた。親父殿にとっての俺は、腐っても自分の息子だからな。顔面の上半分を仮面で隠してみたところで、そりゃあわかるだろうよ。
親父殿は憤怒の形相をしていた。
「すぐに俺だとわかったか?」
「あたりまえだ! ボードレールもおまえが相手だと気づいていたぞ! 王侯席では他の数名もだ! 今日の試合、間違っても勝っただなどと思うなよ! おまえは手を抜かれただけに過ぎん!」
「ああ。わかってる」
ボードレールが出し惜しみをしていたのは確かだろう。まだまだ奥の手を隠しているであろうことは、俺にもわかっていた。
だからこそ、それを出される前に勝負を決めたんだ。ま、それでもだ。試合に勝って勝負に負けたという自覚はある。ありゃあ、本物のバケモンだ。
前世で言えば、俺を斬ったあの若き剣士のような才覚持ちなのだろうよ。魔導じゃ熱くはなりきれねえがな。
「用はそれだけか? 今日は疲れた。もう休みたい」
「アーサー、おまえは自身が何をしでかしたかわかっていない。子供が危険な遊びをしたから親が叱っている。その程度に考えているな」
親父殿を回避してドアを開こうとしていた俺は、その言葉に足を止めた。
「ガーラント王国は魔導発祥の地。魔導はこれからさらなる広がりを見せ、武力を伴わぬ利便性によって経済的に世界を席巻していく予定だった。御前試合はそのために毎年行われている、対外的な見世物なのだ」
「何が言いてえのかわかんねえ。わかるように言ってくれよ」
「魔導が剣に敗れたなどという事実があってはならんのだ! ──世界がッ! 我らが魔導の力をッ! 微塵も疑うようなことがあってはならんのだッ!!」
未だ、この大陸の外では剣の時代にいる国家もある。むろん、ソウルバイターのような機関式魔法剣ではない。ただの剣と、そして弓だ。
そんな国々でさえ、利便性の高い魔導は生活基盤として徐々に普及していっている。竈の代わりに炎晶石搭載のコンロ、手持ちランプの代わりに光晶石搭載の照明。
その発展の中心となっているのが、ガーラント王国だ。
ガーラント王国は平和的に世界を侵略する。どの国家も魔導の教えを乞い、自国の発展のためにガーラント王国に頭を垂れるようになる。
そいつが親父殿の描いた、くそったれな未来だ。力で生きた前世を持つ俺からすれば、実に女々しい戦争だ。だが同時に、大半の人民にとっては、民に犠牲を強いることのない最高の王でもあるのだろう。
俺はこの男のそういうところを尊敬している。剣と戦いに明け暮れて生きた前世を持つ俺とは、決して相容れぬ思想だが。それでもだ。
世界を動かす男というのは、こういうやつなのだろうと思えるのさ。
「……すでに世界は動き始めている。だからアーサー。おまえは今日、ここで死ね」
「へえ?」
ドアにかけていた手を、俺はゆっくり下ろした。
肩越しに振り返り、笑ってやる。親父殿は──いや、ガーラント王国国王ラーセル・ブルームフィールドは、俺とは対照的な複雑でグチャグチャな表情をして、喉から絞り出したような声で言い放った。
「アーサー・ブルームフィールド。私の息子は勝利を収めつつも、試合中に受けた致命傷が原因で、治療も虚しく命を落とした。魔導は、剣などに負けてはいなかった。明日にはそれが事実となる」
「……そうかよ」
「だからおまえは、現時点から赤の他人だ。今後ブルームフィールドの姓を名乗ることは許さん。王都から去れ。どこへなりと消えるがいい」
事実上の廃嫡だ。
第一王子アーサー・ブルームフィールドを対外的に死んだこととし、存在を抹消する。それで王族としての俺の名誉と、人々の魔導への畏怖憧憬は保たれる。一挙両得だ。王位は俺の弟、第二王子であるジェイデン・ブルームフィールドが継ぐだろう。
俺よりは勤勉なやつだ。魔導も使えるし、政治も王宮内の教育機関で熱心に学んでいる可愛いやつだ。剣にうつつを抜かす兄を、まるで生ゴミでも見るかのような冷徹な目で睨みつけてくる癖さえなけりゃあな。
この廃嫡はアクシデントではある。
だが、まあ。どうせ数年内にソウルバイターを持って王都から姿を消すつもりだった俺にとっちゃあ、いい機会なのかもしれねえ。
「……わかった。世話になった。親父殿」
俺は踵を返した。
そんな俺を見つめる親父殿の顔からはもう、険が抜けていた。らしくもなく、情けねえ表情をしてやがる。
厳しくはあったが、愛されていた。んなことはわかってた。生まれてきた瞬間からわかってたんだ。ラーセルはまだ目も開かねえ俺を抱いて、めちゃくちゃ喜んでいた。転生者である俺は、そのぬくもりを覚えている。
だからすまないと、素直に思う。
俺の短慮から、親父殿にあんな言葉を吐かせちまったことに対してだ。
俺は親父殿に向き直り、無言で頭を下げる。
こんなでも家族だったんだ。今日までな。
頭を上げて背中を向けた俺に、親父殿が静かに告げた。
「世界は広いぞ、アーサー。未踏の地に未知の魔獣、竜や聖獣なんてのもいる」
それは優しい声だった。
「ああ」
「おまえは昔からこの国を去りたがっていたな。ずっと感じていたよ」
「親父殿も退位後は旅に出てみるといい。年を食っても案外楽しめるもんだぜ」
死ぬまで旅を続けた前世の経験談だ。ちょうどいまの親父殿と同じくらいの年齢で、俺ぁ死んじまったからな。
親父殿が少し笑った。
「ふん、おまえのような、ろくに旅もしたことのない若造に何がわかるものか。まだ公務で世界を行き来している私の方が詳しいくらいだ」
「そらそうだ」
俺も笑った。
「この国は、おまえには窮屈だったな」
「ちょいとな」
「長く、母さんと過ごさせてやりたかった。寂しい思いをさせたな」
「しょうがねえさ。魔導も剣も、病にゃ勝てねえ」
いい人だった。母親を語るには相応しくねえ言葉だが、前世の記憶持ちである俺にとっては、そんな言葉でしか表現できないことを歯がゆく思う。
俺が三つの頃に病床の身でジェイデンを産んで、すぐに亡くなったんだ。三歳ってことでろくすっぽ記憶など残っていないだろうと周囲は思っているようだが、人生二周目である俺は、彼女のことをよく覚えている。
魔導そっちのけで棒きれなんぞを振り回す俺を、微笑みながら見守ってくれていたあの優しい眼差しを。
俺には過ぎた両親だった。
「私は至らなかったな。一度も、おまえを満たしてやることができなかった」
いつぶりだろうか。親父殿とこんなに長く会話を続けたのは。
学園に入学するしないの、大喧嘩をして以来か。
「そうでもねえよ。こんな跳ねっ返りを育ててくれたことには感謝してる。俺が言うのもなんだが、親父殿、せいぜい長生きしてくれや。……んで、またいつか……」
「ああ。またいつか。ここではないどこかでだ」
会おう、とまでは言えねえ。それが立場ってもんだ。
視線を合わせ、うなずき合う。それが俺たち親子の最後の挨拶だった。
親父殿は金貨の入った革袋を俺に押しつけると、背中を向けた。もう、言葉はない。お互いすべてを伝えた。十七年ってのは、言葉にすりゃ短えもんだ。
こんなひねくれたジジイにとっても、ちょいと目に沁みた出来事だった。
こうして俺は王宮を去った。
このとき俺は、とてつもなく大切なものを失ったという自覚があったのだが、けれどそれと同時に、晴れ渡る空のように不思議と清々しい気分でもあった。
失ったものと同じくらい大きなものを、親父殿から与えられた気がしていたんだ。
だから気づけた。
あの人は俺を追い出したんじゃない。俺を解放してくれたんだ。窮屈なこの国から。つまらねえ魔導から。ずっと、そのタイミングを探していた。
何となく、それがわかっちまった。
王都の遙か向こう側まで広がる広大な空を見上げて、親父殿の言葉を思い出す。
「世界は広いぞ、か」
口角が上がる。
ははっ、焚きつけやがって。年甲斐もなく胸が高鳴っちまっただろうが。
次話更新は23時頃の予定です。
楽しんでいただけましたなら、ブクマや評価やご感想、ご意見などをいただけると幸いです。
今後の糧や参考にしたいと思っております。