第4話 謎の独占欲
しっかし……。
沸き立つ脳みそが冷えてみりゃ、到底勝ったとは言えねえ内容だった。
俺は満身創痍で、ボードレールはほぼ無傷……ってな話ではない。そんなことは勝者と敗者を分ける理由にはならねえ。
問題は戦法だ。
機関式魔法剣ソウルバイターの第四形態は二刀だが、一振りを捨てて重量を半減させるというタネがバレた以上、ボードレールには二度と通用しねえ。
次は勝てねえなァ……。
対峙してわかった、大魔導時代の重さってやつだ。そいつが俺にのしかかってきやがる。
消毒薬の臭いが染みついた部屋だ。
仰向けでベッドから天井を見ていた俺の心を読んだかのように、病室に入ってくるなり少女は呟いた。
「う~わっ。アーサーったら、すんごいケガ。火傷だらけじゃん。こりゃあ、次やったらもう勝てないね~」
「うるせえ。あいにく命はひとつだ。不意打ちだろうがなんだろうが、先に取ったやつの勝ちなんだよ」
「清々しいまでの負け惜しみじゃん。あれ、殺し合いじゃなくて試合だかんね。そも、殺し合いや実際の戦場だったら、ボードレール侯爵は最初っから問答無用で広範囲の大魔法を使ったと思うよ」
観客を巻き込むような大魔法は御法度。それがコロセウムでのルールだ。あそこで競われるのは魔法の威力ではなく、あくまでも技術らしい。
「やかましい。わかってんだよ、んなこたぁ」
身体の痛みを堪えながら、俺は上体を起こした。
こいつの名はエリアナ・ルイーゼ。俺たちの通う王立魔導学園高等部では、ちょっとした有名人だ。
背は低く童顔。同世代の女子の中では、幼ささえ目立つ。その見た目の可愛らしさから、男子連中からは特に人気者だ。
彼女の賢明なところは、その見た目を大いに利用していることだ。頭髪を二つ結びにしてさらに幼く見せ、しぐさは非常にあざとく、子供のような無邪気さで装う社交性にはうんざりするほど舌を巻く。
器用なもんだ。俺と違ってな。
まあ、それでもだ。
俺は前世でおよそ四十年、今世で十七年生きたジジイだ。孫みてえな年齢の小娘の形や仕草を見てどうこう思うことはないがね。
だが、エリアナの真価はそこじゃあない。
総合成績こそ中の上といったところだが、彼女には毎回必ずといっていいほどトップを取れる科目がある。
神聖学だ。
こればっかりは、座学に優れようが、生まれつき魔力を多く保持しようが、高貴な身分の出だろうが、一切関係がねえ。このガーラント王国の主神である風の女神ルーゼンベルグとの親和性がものを言うんだ。
エリアナはその点において、大いに頭抜けていた。
魔導の到達点の一つはボードレールや雷の魔女が見せた無詠唱と言われているが、それは神聖学もまた同じくして、神の奇跡を引き出す早さと深度だ。彼女が両手を患部にあてるだけで治癒が始まり、ただそこに存在するだけで周囲に活力を与える。
枯れた花が蘇る奇跡を見た者など、この数百年は中央教会の関係者にだっていなかっただろう。
生まれ以ての奉仕体質とでも言うべきか。いまは年齢的に見習いに過ぎないが、エリアナがいずれ国家聖女らの筆頭、大聖女になるであろうことは、すでに国王や教会連中も期待している。
「やかましいって何さ。せっかく火傷を治しにきてあげたのにさ。帰ろっかな!」
「……恩に着る」
「あはっ、素直さは美徳だよ~」
どうやら俺に治療を施してくれる聖女とやらはエリアナだったらしい。
エリアナがベッド横の椅子に腰を下ろした。それだけで肉体の痛みが和らぐ。奇跡の余波というやつだ。だがエリアナは本格的な治療を始めようとはしない。
俺の視線を受けたエリアナが、ニヤリと笑って手を差し出した。どうやら金銭を要求されているようだ。
「知ってるか? 過ぎたる素直さは欲と呼ぶんだ」
「え~? 欲って何だっけ? 宗教用語? あたしわかんない。先払いでよろしくネ」
無理があんだろ、そのとぼけ方。おまえこそ宗教人だろうが。
「なんでだよ。大会出場者の治療は無料のはずだろ」
「アーサーは正式な出場者じゃなくて、飛び入りじゃん? 名簿にないよ?」
「ボードレールのおっさんが言ったんだよ。聖女に治療させるってな」
「無料なんて言われてないじゃん? あたしはまだ正式な聖女でもないし? 聖女見習いの、ただの一般学生。アーサーと一緒。いまはねっ」
く、確かに……。この小娘……。
「あと、百歩譲って治療は無料にしてあげても、口止め料は欲しいな~。ね、アーサー殿下? そんな仮面まで付けちゃってさ。国王様は知ってるの?」
「……名前を呼ぶな。誰が聞いているかわからん」
そう。アーサー・ブルームフィールド。それが今世の俺の名だった。
つまり俺はこの国、ガーラント王国の国王ラーセル・ブルームフィールドが一子、それも跡継ぎの長男として生まれていたんだ。
だが、だからなんだ? そんなもん俺にとっちゃ、どうでもいいことだ。剣だけが、自身のすべてなのだから。
「仮面、取ったら? どうせあたししかいないんだし」
当然、第一王子の身分で闘技大会なんぞに出場を許されるはずもなく。こうしてわざわざ仮面をつけて受付と親父殿をごまかし、登録をすっ飛ばして優勝者に直接挑むという飛び入り形式を選択して、どうにかあの場に立てたってわけだ。
「バカ、誰が入ってくるかわかんねえだろ。いいから早く治療してくれ」
「うわ、出たよ! 乙女台詞! 見られたら恥ずかしいからとか、あたしがアーサーを襲ってるみたいじゃんよ」
「襲われたっておめーみてえな小娘にゃ、ピクリとも反応しねえよ。もういいから治療をだな」
「そりゃあたしは色気はないですよ。でも同い年じゃん。そんなに敬遠しなくたってよくない? こう見えて結構モテるんですけど? 学園じゃ週に七回は告られてるしっ」
二つ結びの髪を揺らして、プイとそっぽを向いた。
そういうところがあざといってんだ。
そもそも、そうでなくとも、こちとら前世と今世を足したらもうジジイの一歩手前だ。いまさら孫みてえな娘にどうのこうのと思えたもんじゃあない。
「どうでもいい。話を盛ってねえで、いい加減に治療をしてくれ」
「盛るなら胸だけにしとけってか! アーサーひどい!」
両手で胸を隠すようにして、俺を睨む。
あざとい。会話を色事に導き、気を引こうとしているのが見え見えだ。年頃の男子ならば慌てたり喜んだりするんだろうが。
「言ってねえ。わかった。もうわかったから、とにかく治療を──あ……」
炭化した皮膚がいつの間にか治ってら。頬に触れても火傷の痛みは消えていた。
ニィとエリアナが得意げに笑う。
「……ありがとよ」
あざといが、あいかわらず恐ろしい治癒力だ。神聖術を使用した素振りもなかったというのに、これだ。
エリアナが懐から紙を取り出して、俺に押しつけた。
「じゃ、これ請求書ね」
「結局、金は取られるのか……」
書かれている文言は数字では無く、「ごはんおごって。高いやつ」だ。
「王城に送付されるよかマシでしょ。検閲入ったらマスクマンの正体バレちゃうもんね」
「しかも脅し付きとは、恐れ入る」
「理解が早くて助かるぅ」
「そこは認めんのかよ……」
俺はため息をついて請求書をたたみ、ポケットにねじ込んだ。
用は済んだはずなのに、エリアナは帰らない。ろくな会話もねえのに、にこにこしてやがる。
「アーサー、今回は無茶したね。剣の証明だっけ?」
「ああ。大したもんだったろ。実力とは言い難えが、勝ちは勝ちだ」
「んー。もう少しソウルバイターを扱えるようになってからでもよかったんじゃん? ボードレール侯爵に挑むのは学園を卒業してからだって、この前まで言ってたのにさ。驚いたよ。お姉ちゃんの試合を観戦してたら、突然飛び入りするんだもん」
「あの雷の魔女はおまえの姉ちゃんだったのか?」
エリアナが薄い胸を張って、手を当てた。
「まーね。美人な上に姉妹揃って才能の塊っしょ~」
確かにな。国家を守る魔導銃士数万名の上に立つ、わずか百名足らずの魔導師。その中に名を連ねるだけでも大したものだというのに、あのボードレールに次ぐ実力者とは。
ボードレールの退位後には雷の魔女が王宮魔導師になるだろうよ。さらにその妹が大聖女ともなれば、庶生とはいえルイーゼ一族は安泰だな。
そんなことを考えていた俺を見て、エリアナが唐突にクワっと目を見開く。
「アーサー、あんたいま、お姉ちゃんの方がおっぱい大きいとか考えてたな!」
「いや微塵も合ってねえ……」
俺は深いため息をついた。
「んなことより、剣の証明を急いだ理由だが──」
「うんうん」
「実は親父殿に婚約者を押しつけられてしまってな」
「……は?」
「話の途中で退席したから素性は知らんが、将来有望な相手だとよ。いつまでも剣だ旅だ学園だのと落ち着かないことばかり抜かす俺を、いよいよ跡継ぎとして縛りに入るつもりらしい。冗談じゃねえ。俺は王位になんざつく気はねえって言ってんのに」
学園卒業と同時に、俺は王都から姿を消すつもりだった。その上、婚約者の一件で計画を前倒しする必要ができた。とにもかくにも、そんな人生だ。相手が誰かは知らんが、巻き込むわけにはいかねえだろ。
エリアナがうつむいて、俺の言葉を制止するように右手だけを上げた。
「ちょ、ちょっと待って。婚約者?」
「ああ」
彼女の二つ結びが激しく揺れる。
「だめだめ。だめだめだめ。それはだめ」
「断る気ではいるが、おまえに言われることでもねえだろ」
薄い胸に手をあてて、エリアナがキッと俺を睨んだ。
「あたしは!? あたしはどうなんの!?」
「ああ?」
しばらく考えて、俺は訝しげに尋ねた。
「おまえ、まさか俺に惚れてんのか?」
「好きだよ! だって友達でしょ!? アーサーが誰かのものになっちゃったら、あたしは誰の前で本音でぶちまければいいの!?」
ちなみにこいつ、普段は猫を被っている。それこそ正規の聖女のようにだ。
淑やかに、慈愛に満ちた微笑みを浮かべながら、無邪気な幼さを残す優等生を演じ続けている。教会でも、学園でもな。
大した道化だよ、まったく。
「なるほど、そういうことか。友達なら山ほどいるだろ。そこから好きに選べよ」
「うわべ! あそこらへんは全部うわべ! 女子は承認欲求を満たすためだけに、男子は金欠時の小腹を満たすためだけに存在するやつらだから!」
その人格よ。自由すぎだろ。うらやましいぜ。
なんでこんなやつに神の声が聞こえんだよ。
「わかっちゃいたが、だいぶヤバいやつだな、おまえ。まあ気にすんな。友達なんていなくても生きていける」
「アーサーみたいに?」
「……やめろ。泣きそうになる」
精神がジジイだからな。いまさら十代のクラスメイトと何を話していいのかわからん。何だったら、クラスメイトよりボードレールの方がまだ仲良くなれそうだったくらいだ。
エリアナが椅子からベッドへと腰をずらして、至近距離から俺を見上げてきた。
「ねえ、本性を一切隠さずに話せるのアーサーしかいないの……。アーサーがいなくなったりしたら、学園も教会も息苦しくて耐えられないんだってば……」
腐れあざとい。
俺はエリアナの顔面をワシっとつかんで、容赦なく元の位置へと押し戻してやった。
「イダダダダ!」
「年頃の男子ならばコロっと騙されそうな仕草に言葉だが、あいにく俺は精神がジジイでな。知ってんだろ」
「お、女の子の扱いが雑過ぎる!」
「だろうな。ガキの扱い方をしてるからな」
手を放すと、エリアナは歯を剥いて不満げに吐き出す。
「他の男子はイチコロなんだけどなぁ」
「少しは悪びれろ。そうすりゃ可愛げも出てくる」
「心配しなくても、アーサー以外からは可愛がられてますぅ! あたしになびかないってことは、さてはアーサーってば、手慣れてるね! あるいは逆にまったく免疫のないお子ちゃまかのどっちか!」
「……普通に真ん中だ、アホめ」
「男好きって線もある!」
「そっちはノーマルだ」
「あるいは剣にしか発情できない変態?」
俺はうつむいた。
「……」
「え? まじ? ……えっと、あたしが体当たりで治してあげよっか?」
「よせよせ、冗談に決まってんだろ」
「あはっ、それこそ本気にしないでよ。冗談に決まってんでしょ」
こんなやつだが、俺は割と気に入っている。なにせ、孫娘のように可愛らしい。会話もなかなか跳ねていて、退屈せずに済む。
エリアナが立ち上がる。
「さってっとっ、帰ろっかなっ」
「わざわざありがとよ」
一度背中を向けたエリアナだったが、去り際、屈託のない笑みで振り返った。
「……さっきの話、本音だよ?」
「わかってる」
「だと思った」
それだけを言い残すと、エリアナは手を振りながら病室から出て行った。
俺はそれを見送ってから壁に立てかけておいたソウルバイターを担ぎ、ローブを被って早々に病室を出ることにした。
退院は自由だ。
次話は20時頃に更新予定です。
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