第12話 生物学的見地
カウントがゼロになった瞬間、走る俺とエリアナの隙間を縫うように避けながら、青白い雷が薄闇を裂いて走った。突然の雷鳴に目が眩み、俺は作戦も忘れて唖然とする。
眼前。黒服、黒髪の女。そいつが銀色に輝く魔導杖を持ち、立っていた。俺とエリアナは勢い余って彼女を通り越し、すぐさま足を止める。
エリアナが素っ頓狂な声を上げた。
「お姉ちゃ――」
ああ。どっかで見たと思ったら、ボードレールと戦ってた雷の魔女だ。エリアナの姉と言っていたか。
「はああああっ!」
魔女がさらに放った雷は、指向性で以てドラゴンゾンビへと迫り、やつの粘液へと落雷する。目も眩むような閃光が走り、雷鳴が再び轟いた。
いくつも小さな爆発を引き起こし、白煙を噴き上げる。だが、それだけだ。ドラゴンゾンビは平然と俺たちに迫る。
「……あらら」
「だめじゃん! お姉ちゃん!」
踵を返して再び逃走を始めたエリアナに続いて、雷の魔女と俺もやつに背中を向けた。ドラゴンゾンビから逃げるため、再度走り出す。
雷の魔女が短い舌を出して、すっとぼけた顔を俺に向けた。
「まるで効きませんね。相性が悪いみたいです」
そうして興奮を抑えられない早口で続ける。
「でもでも、珍しいですねドラゴンゾンビなんて! わたしは王都の生物生息空間で働いているのですが初見ですよ初見! すごいですよねアレ! てっきり書簡の中だけの存在かと思っていました! どうやって動いてるんでしょう!」
……また変わり者らしい。
どうやらエリアナの姉は、生物学者のようだ。
「すまんが、説明してくれ」
「ああ、失礼しました。肉体が動くってことは筋肉があるってことでしょ。それをわたしの雷で萎縮させられないかなーって思ったのですけど、だめですね。一瞬たりとも止まらないんですから」
にっこり微笑んで。
こいつはエリアナに輪をかけて危機感が死んでいるようだ。
「なるほど。お手上げってことだけはわかった」
「あ~っ、なんかワクワクしてきましたっ。肉片、ほっしいなあっ! くっさいですけど、かっこいいなあ、あのフォルム!」
蕩けた瞳で頬を染め、追ってくるドラゴンゾンビを見ている。
俺は思った。
病気かな?
それはさておき、つまり、雷で止まらなかったってことは、やつは肉体で動いているわけではなく、土塊でできたゴレムや彫像ガーゴイルのような、魔法生物ということだ。
肉体機能を失ってなお歩き続けるリビングデッドやスケルトンも、学者先生に言わせりゃ大体これに当たるらしい。
メキメキと木々をへし折り、すり潰して、やつは蛇のように全身をくねらせながら粘膜で滑って俺たちへと迫る。追いつかれたら挽肉だな。
「追いつかれちゃいますねえ」
「魔女の学者先生、なんか方法はねえのか?」
ソウルバイターで樹木を切り倒して足止めを試みるも、時間稼ぎにもならねえ。倒木は滑って乗り越えるし、半端な木々はへし折って進んできやがる。
「ありますよ。ボードレールさんの炎が最高の対策ですね」
「同感だが、どうにもならん」
「ならばしばらくの間、あれの動きを止めておいていただければ、わたしが粘液の水分を気体に分解することも可能です。知ってます、電気分解?」
どうやって止めるんだよ。それができりゃ、俺がとっくの昔に斬ってるぜ。
「知らん。知らんが、現時点ではお手上げってことだな」
「はいっ」
「……最初からそう言ってくれ……」
そろって逃げながら、魔女は続ける。
「ああ、申し遅れました。わたし、メルガ・ルイーゼと申します」
「エリアナの姉貴だろ。知ってるよ。ボードレール戦では惜しかったな。魔導のことはわからんが、あんたの体捌きはなかなかのもんだったぜ。剣士から見てもな」
「うふふ、勝利者に言われると嫌みにしか聞こえませんねぇ。あなた、例のマスクマンでしょう?」
エリアナとはあんまし似てねえな。
エリアナは子供のような大きな目に、丸く幼い顔立ちをしているが、メルガは切れ長の瞳にシャープな印象の輪郭、それに身体もずいぶんと大人びている。高身長で、なかなかのプロポーションだ。
全力で走りながらしゃべり続けるだけの心肺機能も大したもんだ。ボードレール戦でも思ったが、魔導師や学者よりも剣士に向いている気がするね。
「まあな。メルガはエリアナを連れ戻しにきたのか?」
「あらあら。いただけませんねえ。わたしは年上ですよ、アーサー王子。メルガさんと呼んでくださいな」
「……へいへい、メルガサ……ンンン? なんで俺の正体知ってんだっ!?」
メルガが困ったように微笑んだ。
「そりゃ知っていますよ。かわいい妹の婚約者ですもの。うちには両親がいませんから、そういった話はまず、保護者にあたるわたしのところにくるのですよ」
そうだったのか。
エリアナのやつ、自分のことはほっとんど話さねえからなあ。両親いねえのか。そりゃちょいとひねくれもするか。
寂しさを紛らわせたかったのかもな。
メルガが続ける。
「ラーセル様から婚約破談のお話がきたとき、うちのかわいい妹に何の不満があるのかと腹立たしく思ったんですが、まさか御前試合のせいで公的に死んだことにされてたなんて」
「大体の事情はわかってるわけか」
「ええ。それであの子と駆け落ちを?」
「……いや、そこだけ誤解だ。目的はあんたんとこの婆さんの薬草だそうだ」
「なるほど。アーサーさんではなく、わたしに言えばいいのに。あの子、よほど殿下のことを気に入っているのかしら」
ほんとにな。
「わっ!?」
前を走るエリアナの背中が、不意に揺らいだ。濡れた落ち葉に足を取られたんだ。あるいは疲労で足をもつれさせたか。
「っと」
俺はとっさに左腕を伸ばし、エリアナの小さな身体を小脇に抱えて走る。
「ひゃん! ちょっと、おっぱい触らないでよね!」
「犬猫じゃあるめえし、おめえの乳は腹についてんのか?」
「ちっ、バレたか。少しくらい焦ってくんなきゃヤダヤダァ。あたしのことをもっと意識してよぉ~」
「暴れんな。放り出すぞ」
俺たちの様子を見ていたメルガが、口元に手を当てて笑った。
「うふふ。仲がよいのですね」
「かっ! あんたはあんたで、お勉強のしすぎで目ぇ曇ってんじゃ――」
「でっしょー! あたしとアーサーは仲良しなんだよ、お姉ちゃん! 婚約以前から、友達以上恋人以上の関係でがっちり結ばれてたもんねっ?」
メルガが頬を染めて目を丸くする。
「まあ! ……もしかして、ふたりはもうすでに生物学的合体を?」
違うぞ。なんだ、その言い方。
「金銭関係だ。そんで、いま助けたことで精算は終えた。残念だったな、エリアナ」
「うぞっ!?」
しかしどうしたものか。
結局は俺が残って足止めする以外に方法はないようだが、軽口こそ叩いちゃいるがエリアナはもう完全に息が上がっている。先に行かせようにも、走れるかどうかすら怪しい。
メルガに預けようにも、見るからに細腕だ。抱えて行かせるにゃ不安が残る。
加えて、ドラゴンゾンビに疲労の色はねえ。そりゃそうだ。筋肉で動いているわけじゃねえからな。魔力切れを起こすまで、体力は無限にあると思って間違いねえ。
そのときだ。俺たちを捉えられずに焦れたのか、ドラゴンゾンビが大きく上顎をあげた。ガパリ、と大口が開く。
直後、眼前を逃げ続ける俺たちへと向けて、やつは静かに何かを吐き出した。ほとんど無色透明の霧のような何かだ。そいつが湿った突風のようになって、俺たちへと叩きつけられる。
「うおっ!? 何だ?」
最初は何をしているのかわからなかったが、足下から徐々に植物が腐り落ちていくのが見えた。
マジかよ。
「毒ブレス……! 息止めろ! エリアナ!」
「へ?」
俺はソウルバイターを背中に戻し、小脇に抱えたエリアナの口と鼻を手で塞ぐ。
幸い射程はさほどでもねえ。周囲の植物を観察しながら射程外にまで飛び出し、俺たちは息を吸った。
一瞬だったってのに、触れちまった皮膚がピリピリ痺れてやがる。吸い込めば肺の中から腐るであろうことは容易に想像できる。
「かっ! くたばってんのにブレスを吐きやがるってこたぁ、竜ってのは死んじまってなお、大地から魔素を吸い続けてるってことかよ。なんつう生き物だ。反則だろ」
「ふふ、それでこその生態系最上位。神秘ですよね~」
足を速めた俺とは逆に、しかしメルガは身を翻して踵で地を掻いていた。
「おい――!?」
「お姉ちゃん!」
「大丈夫よ。これを待っていたから。――アーサーさん、機会を作るので見逃さないでくださいね」
メルガが迫り来るドラゴンゾンビへと、小さな雷を飛ばした。
「何を――」
その直後、ドラゴンゾンビへの着弾を待たずして、無色透明のポイズンブレスに触れたと思しき雷が、突如として大爆発を引き起こした。
耳をつんざく轟音と襲い来る衝撃の中、俺はわけもわからんままにエリアナを地面に投げ出して、ソウルバイターの柄を両手でつかんだ。
なぜこんなことが起きたのかはさっぱりわからん。わからんが、これは好機だ。
この大炎ならば、粘液は一時的に蒸発する。
「おお!」
俺は魔導杖を構えたままのメルガの脇を通り抜け、ソウルバイターを大上段に構えながら、大炎に自ら飛び込んだ。
高く跳躍し、炎に炙られながら、降下と同時に刃を振り下ろす。
「うおおおおおおおおッ!!」
ズン、と両腕に響く確かな手応え。
粘液を失ったドラゴンの頸部へと、ソウルバイターの刃が喰らいつく。腐った鱗をたたき割り、肉を裂いて骨を砕き、また肉を裂いて地面に触れるまで。
「らあああああッ!!」
頸を断った――!
途端、切断部から漏れ出すポイズンブレスの残滓に引火して、炎がさらに勢いを増した。
囂々と燃えさかる大炎から逃れるため、俺は慌てて地面を転がりながら後退する。だが、ローブに宿った火はまとわりついてなかなか消えねえ。
火は俺を侵蝕し、皮膚を灼き焦がす。
「ぐ……ッ」
「アーサー!」
地面に転がってようやく火を消した俺へと、エリアナが駆け寄ってきた。すぐさま手をかざし、俺の火傷を治療していく。
その中で、メルガだけが楽しそうにパチパチと拍手をしていた。
「はい、よくできました。さすがは剣士様ですね」
「説明してよ、お姉ちゃん!」
「もちろんっ。どうして炎特性を持たない魔女であるわたしに、ボードレールさんのような大炎が起こせたかを説明をするとですね、竜という生物は、実は物語にあるように火袋なんて便利な器官を持つ生き物ではないのです」
学園教師の口調だ。
「あら、聞いてます? アーサーさん? お~い?」
「……いや、俺いま死にかけてて……話を聞くどころじゃ……ぐ……ッ」
「いいからいいから。そんなのどうでもいいから聞いてくださいよぉ。ここからがとってもおもしろいから。生命の神秘なんですよっ」
いや、何なの……。エリアナの奇跡がなきゃ、まだそこそこ危ねえ状態なんだが……。
「実は竜は、可燃性の液体を体内で生成して、それを強靱無比な肺の力によって勢いよく口から噴霧し、同時に牙を打ち鳴らすことによって火花を起こして引火させ、炎のブレスを作り出しているのですよ」
「へえ……」
「液体生成過程は、原理的には魔導と同じなんですよ」
エリアナが手の中の魔導銃、炎撃参式を持ち上げて首を傾げた。
「体内に魔導機関に似た組織を持ってる生物ってこと?」
「ん~、魔導銃というよりは、わたしやボードレールさんのような魔導師に近いですね」
先天性の魔導使いってことか。
「……そらぁ、手強いわけだ……」
「ちなみにこれ、今年初め頃の解剖でわかった事実なんですっ。その竜を捕まえるのに、魔導師や魔女、魔導銃士たちがどれだけ動員されたことかっ」
そこらへんのことは、どうでもいいや。
喉の灼けた俺は、ガビッガビにかすれた声を出す。
「……つまり、さっきのポイズンブレスが可燃性の液体ってか……」
「はいっ。でも彼はゾンビなので、肺機能はすでにほとんどありません。だから噴霧の出力が足りず、さらには打ち鳴らすべき牙には粘液が纏わり付いていて、火花は起こせませんでした」
ご丁寧に、身振り手振りで説明をしてくれてやがる。左手の五指が下顎、右手の五指が上顎らしい。
「おまけにポイズンブレスを吐きながら進むことで、可燃性の霧の中に自ら飛び込んだのです。そこにわたしがパチっと火花を与えれば」
メルガが両腕を大きく空に広げた。とても嬉しそうな顔でだ。
「どーん! 見事粘液は消え去りましたとさ。……ね、すごいでしょう? 生命の神秘でしょう? あ、えへへ、生命じゃありませんでしたねっ!」
俺もエリアナも、口をあんぐりを開けて彼女を見ている。
「ですが、鱗も骨肉も腐っていたとはいえ、剣なんてもので竜の頸部を一刀両断できちゃうあなたも、生物学的には相当神秘的ですよ」
「……生、物学的……ね……」
メルガがうっとりとした口調でつぶやいた。
「それにしても、剣で竜退治かあっ。それってある意味、人体の限界に挑むロマンですよねえ。百年ほど前にいたとかいう伝説の竜狩りみたいっ」
「あ、ああ……」
「ですが実際には、ドラゴンゾンビとは違って生ドラゴンの鱗は盾やプロテクターに加工されるほど頑丈なので、金属の剣では絶対に斬れません。だから残念ながら彼の伝説は眉唾なのですけどねっ」
誰が眉唾伝説だ。そいつはたぶん前世の俺のことだろ。鱗は斬ったんじゃなく、叩き割ったんだ。くそ重てえ剣で、何度も何度もどついてな。
……もちろん言えねえけど。
興奮した口調でメルガは続ける。
「ねえねえ、アーサーさんはどういう筋肉の付け方をしてきたのですか?」
「それは――」
「あ、待って。言わないで。楽しみが消えちゃう。う~ん、背部から腕部あたりまで解剖したいなあ。あ、そうだ! あなたが亡くなったら、少しだけ切らせてもらっていいですか!?」
いや、さすがに引くわ……。王都第二位の雷の魔女って、こんななのかよ……。
「だって、腐っても竜ですよ。竜。まさか人間の力で頸を落とせるなん……て……」
そんな中でメルガは唐突に思い出したように、未だ炎に包まれたままのドラゴンゾンビへと全力でかけだした。
「ああああ、肉片! 肉片回収を忘れてました! あ、ああああ、灼けちゃう! 全部灼けちゃう! 逝かないでドラゴンゾンビちゃん! あ、もう逝ってた! えへへ! 涙出てきた、あははははは!」
エリアナとは違う方向にぶっ飛んでやがる。
俺は心底思った。
……竜より怖え……。
本日の更新はここまでです。
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