第10話 腐蝕の森
すでに魔獣多発地帯に踏み込んでいるにもかかわらず、あいかわらず魔獣の姿はねえ。楽っちゃ楽だが、この静けさはどうにも不気味だ。
魔導銃士隊が通過したからといって、一度も遭遇しねえなんてことがあるか?
それに。
「アーサー。こっちの木も」
異変はすでに起こっていた。
ガーラント山脈に近づくにつれて増えるはずの樹木の中に、死んだ木々が出てきていたんだ。枯れているというよりは、死んでいる。樹皮を腐蝕させて。
溶けた樹皮に指先を滑らせる。ぬるり、と粘液質の液体が指先に付着した。
気色の悪い液体だ。鼻を近づける。
「臭えな……」
「こっちの木も表面が溶けてるね。このあたり一帯かも」
「――っ」
液体の付着した指先に鋭い痛みが走った。俺は慌てて木筒の飲用水を取り出して、指先についた液体を洗い流す。
「どしたの? トゲでも刺さった?」
「いや」
なんだこりゃ……。
「……転ぶなよ、エリアナ。こりゃ溶解液だ。避けて歩いた方がいいかもしれん」
銃士隊の均した道以上に歩きやすかったんだが。
「へ?」
「生物だけを溶かす汚え汁だ。魔獣皮の履物じゃ、靴底が溶けるかもしれねえ」
魔導銃士隊が踏んで均して造ったと思しき道は、すでに失われていた。それどころか、遙かに大きな道幅で塗りつぶされている。木々はへし折られ、倒木や藪は地面と同化していた。ぺたんこだ。
「なんだろうね……」
「わからん」
これは推測に過ぎねえが、逃走する魔導銃士隊を、とてつもなく大きな魔獣が樹林を破壊しながら追っていったかのようだ。
均された地面の幅から察するに、竜に近しい体躯を持っているな。だが空を覆う木々の葉を見る限り、飛ぶやつではなさそうだ。
「……めんどくせえな」
思い当たる魔獣がいねえ。俺がくたばってた百年の間に発生した新種かもしれん。
しかし魔導銃士隊以上の戦力を保持した魔獣ともなりゃ、エリアナを連れたままだとちょいと事だぞ。
「おまえ、やっぱ多発地帯の外で待ってろ。薬草は俺が採ってくる」
「あたしのことが食べちゃいたいくらい大好きで仕方ないから宝物を飾るように安全な場所に置いておきたいのはわかるんだけど、アーサーって薬草の見分けできるんだ。神聖学サボってたのにすごいじゃん。毒草と似てるから間違えないでね」
「俺が悪かった。言葉の前半も後半も否定せにゃならん」
「ガ~ン」
言葉とは裏腹に、全然ショックを受けた顔じゃねえ。
顔色は相変わらず悪いが、この状況で何が楽しいのかニヤニヤしてやがらぁ。
「あと、ペースを上げるぞ。魔導銃士隊じゃ歯が立たんような魔獣がいる以上、さすがに野営はできねえし、だからっつって松明もって歩いて引き寄せるわけにもいかねえ。さっさと採取してトンズラだ」
「わかったっ。がんばるっ」
俺たちは怪物の造った道を外れ、藪に入る。腰まである草や小さな木を踏み折りながら俺は進む。
だが、いくらも行かないうちに、俺はそれを発見した。
「……!」
後方を振り返り、エリアナの目を手で塞ぐ。
「見るな」
腕だ。魔導銃を握った腕だけが転がっている。肘から内側はない。切断面は例の粘液によってぐずぐずに崩れているが、溶けて消えたわけじゃねえだろう。
こりゃあ、喰われてンなァ。人喰いか。面倒な。
「うっひょうっ、見るなと言われれば言われるほど見たくなるぅっ」
「あ、この馬鹿」
エリアナが頭を振って俺の手から逃れ、ちぎれた腕に視線をやった。
俺は耳を塞いだ。悲鳴でも上げるかと思ってな。
だが。
「ヒトの腕じゃん」
「ヒトの腕だな」
「カラダ、ないじゃん?」
「ねーな」
「……かわいそう。これじゃ誰かもわかんない……。アーサー、少しだけ祈っていい?」
「ああ」
エリアナは腕に歩み寄りって両膝をつき、両手を組んだ。そうして目を閉じる。
こうしてると、ちゃんとしたシスターに見えなくもないんだが。
ああ、そうか。考えてみりゃ、学生兼教会女だった。
葬儀くらいは何度も執り行ってきたはずだし、その中にゃ魔獣に襲われ、肉片しかねえような遺体も少なくはなかっただろう。
にしても、エリアナの分際で様になってやがる。さすがは未来の聖女だ。
やがてエリアナは目を開けると、落ちた腕の中からそっと魔導銃だけを抜き取った。
「お借りします。……あなたの魂が女神の懐に抱かれて、どうか安息の地へと導かれんことを」
「その口調、俺と話すときも使えよ。いい女に見えるぜ」
「嫌だよ。友達じゃん。あとあたし、そのままでもいい女じゃん?」
もう素に戻ってやがら。
「ねえ、アーサー。これ、ほとんど戦ってないよね」
「ああ。ここらにゃ雷炎の痕跡がねえ。ここに至るまではちょいちょいあったが、遭遇と同時に敵わねえと見て、逃走に専念したみてえだな」
その判断の是非はさておき、この深い森には現在、それほどの魔獣が出現しているということだ。久しぶりに肌がぴりぴりしやがる。
「進むぞ、エリアナ」
「あ、うん」
エリアナは俺の後についてきながら、魔導銃の刻印を見ている。
俺は草木をかき分け、踏み潰し、大股で歩く。少しでも早くだ。ヒトの目は闇に弱い。日が暮れちまったら、生存率はぐっと下がる。
後方からエリアナの声がした。
「ティルガ商会製の炎撃参式? 参式なんてあったっけ? ティルガ商会って、今年に入って出てきた新進気鋭の商会だよね?」
「知らん。魔導に興味はねえ。杖も銃もな。……ああ、いや、思い出した。まだ市場にゃ普及してねえ魔導銃士隊の最新鋭装備だ。弟と宰相が試験的導入の話をしてた気がする」
となりゃ、こいつを魔導銃士隊に導入したのはジェイデンか。俺と違って相変わらず頑張ってるな、弟は。
「へえ。ところでさ、アーサー。さっきは気を遣ってくれてありがとね」
「なんのこった?」
エリアナが俺の背中を指先でつついた。
「えっへっへ。さっき目隠ししてくれたじゃ~ん。やっさし~いっ」
俺は両手で藪をかき分ける。
「ああ。考えてみりゃ余計な世話だったな。悪かった」
「いーよいーよ。やっぱ結婚しよ? アーサーなら愛がなくても平気!」
愛はあった方がいいんじゃねーかな。知らんけど。
「気が向いたらな」
「いや冷静さが過ぎる。こりゃもう乙女ショックだわ」
今度は不満げな声だ。感情の忙しいやつだ。
「だから、何度も言ってんだろ。そういう揺さぶりは、俺にゃやるだけ無駄なんだよ。精神がもうジジイなんだ。トキメキなんざとっくに忘れたわ」
「あんた、なんでそんなことになっちゃってんのよ」
それこそこっちの台詞だ。
なんで教会女がこんな性格になっちまってんだか。すげえな、もう。
「さてな」
「……ねえ、ジジイだから、アーサーはちぎれた腕を見ても平気だったの?」
不意に差し込まれた真面目なトーンの質問に、俺は口ごもった。
己の失言や失敗行動に気づいたからだ。俺が死体を見慣れていたのは、あくまでも前世での話だ。
「アーサーこそ、あたしと違って見慣れていないと思うんだ。学園と王宮の往復生活だもんね。なのに、なんでかなぁ? ずいぶんと冷静だったよね?」
「そらぁ、おまえ。あれだ……ええっと……あ~……」
「あたしの前でかっこつけたかったっ!!」
それだ。
背に腹は代えられん。
「そう、それだ。どうだ、俺はかっこいいか?」
「そゆことあんま言わない方がいいよ。超かっこわるい」
刺さるぜ。俺もそう思っただけにな。
手ぇ震えそうになるわ。もう。
「でも、うれっし! 鼻血出そう! あたしにかっこよく思われたいなんて! 初めてアーサーに誘惑が通用した気がするぅ! どれ? どれが効いたの!?」
違うんだ。効いてねえんだ。なんかごめんな。
ちょうどそのとき、風向きが変わった。
「――ッ」
瞬間、鼻を刺すような刺激臭が強くなる。俺は立ち止まり、片手を挙げてエリアナを制止させた。
自身の唇に指を立てる。エリアナが緊張した面持ちでうなずいた。
耳を澄ます。風と、葉擦れの音。何かが動くような音はしていない。
大型魔獣のはずなのに、不思議と呼吸音すら聞き取れねえ。生者の気配すら感じられねえ。
だが。
いる。
肌が粟立つ。
額から汗が伝う。
心地よい緊張感に口角が上がる。
俺は背負ったソウルバイターの柄に右手をあてた。
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次話は20時頃に投稿予定です。




