人は飛ぶ夢を見るか否か 其の一
結局、木曽ヶ原高校在学中は、校内にある誰にも邪魔されない楽園のような掘っ立て小屋にこもる事ができる権利を手に入れたのである。
ようは、俺は山名豊香が部長を務めるミステリー研究部に入部したのだ。
『え? 今、なんて?』
あの日、告白に似た言葉を口にした山名豊香の言葉を難聴系主人公よろしく聞き流した事にした俺は、ある種の最低野郎になった。
正体があまり掴めない人間の告白を気安く受ける人間ではないし、何よりも拒否できないような状況に陥られて入部を迫ったあの人の性格があまり好かなかった事もある。
もう少し、あの人の事が分かってからでも手遅れではあるまいと思っていたりもするし、山名豊香も今はそのことを急く必要性はないと感じているのか、数日経っても、その事に触れてくる気配はなかった。
俺が断るんじゃないかと内心ヒヤヒヤしていて、訊くに訊けなくなっているだけかも知れないが。
「さて、ミステリー研究部の活動をしようではないか」
放課後、俺が習慣的に部室で読書をしていると、満面の笑みの山名豊香が部室に入ってきてそう言った。
「すいません。俺は幽霊部員です。いなかったことにしてください」
俺はそう言って、読書に戻ったのだけど、
「君は幽霊なのか。ならば、役に立つのではないか? 今回は超常現象かもしれないのだよ」
「……はぁ。そうですか」
俺は読書を続けて、適当に聞き流した。
「興味津々なのだね。ならば、説明しよう。今回ミステリー研究部に持ち込まれた依頼は『ドッペルゲンガー、あるいは、生き霊はいるのか否か』だ」
「ドッペルゲンガーとか生き霊がもしいるのなら、部長が証明してください。俺はそういった都市伝説だとか超常現象の類いには疎いのでできません」
「君とは気心が知れているようだね。私もその類いの話には疎いし、証明はできない」
たぶん胸を張って、そう答えているのだろう。
俺は本から顔を上げていないので見ていないが。
「……さいですか」
「本を読みながらでも聞いて欲しい。依頼主は、2年F組の宮信田明美さんだ」
山名豊香が俺に近づいてきているのが気配から分かった。
そして、俺のすぐ傍でしゃがみ込み、俺の顔をのぞき込むように顔を近づけてくる。
本と読もうとすると、視界の中に山名豊香の顔があるといった具合で鬱陶しい。
「今日の三限目の授業の時だったそうだ。授業がつまらないからと窓の外を眺めていたのだそうだ。すると、屋上で同クラスメートの芹川貴厘さんがいるのが見えたそうだ。貴厘、授業をサボって遊んでいるんだ。あたしもさぼりたいな、と思いながら、芹川貴厘さんの席を見たそうだ。すると何故だろうか。貴厘さんが机に突っ伏して寝ていたそうな。えっ!? と宮信田明美さんは驚いて、屋上を見直したそうだ。だが、さっき見かけたはずの芹川貴厘さんの姿はもうなかった」
授業がつまらないからと外を見続けている宮信田明美。
木曽ヶ原高校の校舎は『コ』の字の形になっているので、向かい側の校舎や屋上を見る事ができる。
俺の記憶が正しければ、2年F組は四階建ての校舎の二階の、『コ』の字の下側の左端にあったはずだ。
屋上を見るとなると、見上げている事になる。
屋上をずっと見続けていたのだろうか。
いや、違う。
ただ窓の外をぼうっと眺めていたのだろう。
そして、屋上に誰かがいる事に気づいた。
目をこらしてみると、芹川貴厘さんがいるのが見えた。
芹川さんいいなぁ。屋上でのんびりとしていて、などと思いながら彼女の席を見ると、机に突っ伏して熟睡していた、と。
あれ?!
今さっき屋上にいたよね?!
そう思って慌てて屋上に顔を向けるも、そこには誰もいない。
まるで消えてしまったかのように。
そんなところだろうか。
「この話には続きがあるのだよ」
視界の隅で山名豊香が不敵に笑うのが見えた。
本を見つめているも、字は頭の中には入ってはいなかった。
思考回路は山名豊香が話している現場がどうだったかを再現するために動いている。
「授業が終わった後、芹川貴厘さんが宮信田明美さんに話したのだそうだ。『空を飛ぶ夢を見ていたんだ。飛ぶのに疲れたから屋上に降りた時に目が醒めちゃったって』って言ってきたのだから驚いたのだそうだよ。自分が見た芹川貴厘さんは生き霊かその類いではないかと思ったのだそうだ」
「……はぁ、そうですか」
俺は気のない返事を繰り返しながらも、頭の中で考えを整理する。
「この話、君はどう思うかい?」
豊香が愉快そうな笑みを浮かべ続けている。
この件については、簡単に答えが出せる。
だが、その答えは山名豊香が望んでいるのものであるかの確証ができない。
「確認したいんですが」
「ん? なんだい?」
「芹川さんが宮信田さんに夢の話をしたのは何故ですか?」
「ああ、その事かい。芹川さんは授業が終わっても寝ていたので、起こしたからだそうだよ。そうしたら、嬉々として語ったのだそうだ」
「そういう流れですか。では、山名部長。この件を超常現象としたいのならば、最初に言ったように幽霊の存在を証明してください」
俺はホームズ部長などとは呼ばないし、豊香部長とも呼ばない。
それが俺の距離感だ。
「私が告白した仲だ。豊香と呼び捨てでいい」
「え? 今なんて?」
聞こえてはいるが、聞こえていない振りだ。
こういう時は、難聴系に徹するのが一番だ。
「私はまだ君のお眼鏡にかなう人間ではないという事か。君を落とす楽しみがあるからいいのだけど」
俺は本に夢中の振りをしてまた聞き流す。
山名豊香はどうしても俺を落としたいのか?
どうして?
話によれば、俺がこの小屋で読書をしている姿が素晴らしかったからという事らしい。
だが、それが本心であったのかどうかは今のところ不明だ。
「幽霊の存在証明は不可能だ。しかし、この出来事を不思議な出来事として結論づけるためにはどうすればいいのかと思ってね」
落としどころはそこですか。
真実ではなく、ふわっとした結論で話をまとめないと。