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あの日のこと

 ーー始まりは、確かに恋だった。

 


「リッカルド」

 メリアが僕を呼ぶ。


 メリアーーメリア・アステル侯爵令嬢。

 彼女は僕の幼馴染であり、恋人だった人だ。


 そう……恋人だった。

 僕たちは恋人同士だったが、理由があり、僕は別の女性と結婚していた。


 この日も、特段変わったことはなかった。


 メリアは週に一度、僕を呼び出す。

 そして、遅くまで、僕を引き止めるのだ。


 メリアが僕を週に一度呼び出してする話は、いつも同じ。

 どんなところでデートをした、こんな会話をした……僕たちの3年間の学園生活のことだ。


 甘やかで輝いていた青い春のことを、メリアは何度も繰り返した。



 メリアは僕を呼び出す日は、決まって、同じ香水を付けていた。

 向かい合って座るだけでも移りそうな強い匂いに思わず、眉をしかめる。


「ねぇ……」


 メリアは、そっとティーカップを置くと、僕に向かって微笑んだ。


「この前手紙で言ってたこと、本気?」


 この前ーーちょうど3日前に送った手紙の件だろう。

「うん。……本気だよ」

 僕は、まっすぐメリアを見つめ返した。

「そう、本気なのね。……どうして、」

 メリアの瞳が揺れる。

 ゆらゆら揺れる瞳に惑わされないように、強く膝の上で手のひらを握りしめた。


「こんな関係、メリアにも僕にも良くない」

 ーー心の中で、ソフィアにも、と付け足す。

「どうして……わたくしたちは恋人だったじゃない」


 ーー恋人だった。

 それは間違いない事実だ。

 けれど時が経つにつれてーー僕がメリアに抱くこれが恋なのか、執着なのか、ただ演じているだけなのか。

 何一つ、わからなくなっていた。


 確かなことは、僕たちが今こうして会っていることは、咎められるべき行為だということ。


「……僕はメリアとは結婚できない」

「そんなこと、とっくに知ってるわ!! わたくしが【女神の使い】に選ばれなかったあの日から」



 ーー【女神の使い】


 僕たちの国の大地はやせている。

 そんな大地に作物が実るのは、ひとえに女神の加護のおかげだった。


 僕たちを守護する女神は、恋の女神。

 恋を愛する、人ならぬもの。


 そんな恋を愛する女神は、女神の使いと呼ばれる男女を選ぶ。

 夫婦となるべき、特別な二人。

 そんな二人がいる国に、女神は加護を与えるのだ。


 そして、僕たちの代の女神の使いは、僕と僕の妻であるソフィアだ。


 今まで、女神の使いに選ばれたのは、恋人同士だったから、前代未聞だった。


 ーーメリアは女神の使いに選ばれなかった。


「……メリア」


「わたくしがあなたの恋人だったのに! それなのに、会うのをやめようだなんて……!!」


 メリアは、怒りで頬を紅潮させた。

「……メリア」


 僕は、立ち上がると深く頭を下げる。


「本当に申し訳なく思ってる。……僕は、メリアに会うべきじゃなかった」


 僕が女神の使いに選ばれたあの日から。

 メリアに会うべきじゃなかった。


「リッカルドがわたくしと会わなかったら死ぬって、言ったでしょ!! ……それとも、わたくしに死ねと言うの?」


「……メリア」


 メリアに死んでほしくない。

 でも、こうしてメリアと会うことで、僕はメリアもーーソフィアも傷つけている。


 ソフィア。

 僕の妻になった女性。

 ソフィアは、僕がこうしてメリアに会っていること、気づいている。


 気づいていて、見ないふりをしてくれていることを、知っていた。


 悲しげに長いまつ毛を伏せて、僕を見送る君の顔。


 不誠実な僕のせいで、二人を傷つけている。


「メリアに死んでほしくない。でも、だからこそ、僕はメリアに会うべきじゃない」


 メリアには、もっと。

 もっと、幸せになれる相手がいるはずだ。

 それなのに、僕がこうして会うことで、メリアを追い詰めている。


「……リッカルド」


 メリアは震える声で、僕を呼んだ。


「……あなたは一度決めたら退かないものね」


 立ち上がって、僕に近づく。

「もう会わないというのね、わかったわ。ーーでも」


 メリアが僕を抱きしめた。


「メリーー」


「それなら……最後のお願いを聞いてほしいわ。今から、あの池に行きたいの」


 あの池……。

 それは僕たちの思い出の場所だった。


 初めて僕たちが、デートをした場所。


 メリアと僕はベンチに腰掛け、思い出の池を眺めていた。


 あの頃は、こんな気持ちで眺めることになるなんて、思っていなかった。


「ねぇ、リッカルド」

「……どうしたの?」


 メリアは僕の名前を呼んだ。……けれど、口を開いては閉じて、何かを言うのを躊躇っていた。


 今日が、僕らが会う最後の日になる。


 だから、メリアそして僕にも後悔がないように、メリアが話し出すのを待った。


「……リッカルド」


 メリアがもう一度、僕の名前を呼ぶ。


「なにーー!?」


 メリアの方を向いた時、何かが唇に当たった。

 メリアが僕に押し当てたのは、小さな瓶に入った液体だった。



「なに、これ……」

「大丈夫よ、リッカルド。苦しみはないでしょう? それに、すぐにわたくしも追いかけるから。……そういう手筈になってるの」


 体が沸騰するように、熱い。

 でも、頭はふわふわとして、気分がいい。


「あなたが好きなの。好きなのよ。……渡したく、ないの」


 ーーああ。

 なるほど、これは毒か。


「メリア、……僕のことはいい。だけど、君までーー」


 ……不誠実な僕が死ぬのは当然だ。

 でも、メリアまで死ぬことはない。


「いやよ。リッカルドーーあなたは全部わたくしのモノなの。だから……誰にもあげないわ」


 メリアを説得したい。

 だけどもう、体が思うように動かなかった。


 そう言って笑ったメリアは、動けない僕に口付けた。


「これでずっと、一緒ね」


 徐々に薄れゆく意識の中で、僕が最期に考えたのは、君のこと。


 ーーまた、泣かせてしまうな。


 互いに背中を向けて眠った夫婦の寝台。

 僕の帰りが遅い日、既に寝入った君の頬にはいつも涙の跡があった。


 


 学園の入学式で、友人に向かって、笑いかけようとした君。……実際に君が笑いかけたのは、僕だったけど。


 あの弾けるような笑みを、もうずっと見ていない。


 ーーリッカルド様!


 僕とメリアのことは有名なのに。

 それでも、いつも僕を見つけると嬉しそうに、駆け寄ってくれた君。


 僕はメリアのことも、君のことも。

 大事にできなかった。


 だから、死ぬのは当然の報いだ。

 でも……。


 神には、願わない。

 神の残酷さを知っているから。


 だから、どうか、僕の願いを聞き届ける誰か、悪魔でもなんでもがいるのならーー


 きみがどうかこれ以上ーー……。














「っは……、は、……はぁっ」

 飛び起きる。

「……りっかるど、さま?」


 ぼんやりとした瞳で瞼を擦りながら、最愛の妻が、首を傾げた。


「ソフィア……」

 その名を呼んで、体に触れる。

 外傷はなさそうだ。


「どうしたんですか……?」


 まだ眠そうな瞳で、首を傾げる、きみ。

 外傷はなくても、心の方はどうだろう。



「ソフィアは、いまーーつらくない?」

「……」


 ソフィアは、瞬きをした。

 それから、ゆっくりと頷いた。


「はい!」


 ソフィアの唇が綺麗な弧を描く。

 そんな、きみを抱きしめた。


「……リッカルド様?」


 ーーどうしたんですか、突然。

 くすぐったそうにくすくすと、笑うきみ。


 その瞳は暗くなければ、涙の跡もなかった。


 そんなきみにーー僕は。


「……ソフィア、」


 なんと言ったらいいかわからず、きみの名前を呼び、強く抱きしめる。


「……ソフィア、ソフィア」

 ソフィアは、そっと僕の背に手を回した。

「はい、リッカルド様」


 言いたいことは、たくさんある。

 ーー後悔も、懺悔も、感謝も。


 でも、一番にきみに伝えないといけないことは。


「ーー愛してる」


 僕は最愛の妻を、もう一度、強く抱きしめた。


ここまでお読みくださり、ありがとうございます。

ヒーローは清廉潔白なほうがいいのだろうな、と思いつつ、ずるくて弱いひとも好きなので、このような話になりました。


少しでも面白いと思っていただけましたら、

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― 新着の感想 ―
巻き戻る前のリッカルド視点を追加していただきありがとうございます! なるほど、当初想像していたよりもリッカルドはソフィアを裏切ってなかったのですね。溺死に関する伏線も回収されてスッキリしました。 …
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