3話「不死の異能」
「士門くん、もうちょっと身体鍛えた方がいいよ」
ーー年若い女性だ。
長い黒髪を揺らしながら、どこか落胆したようにそう士門に言った。
身長は163センチほどで、士門より頭ひとつ分低く、双眸は強い意志を感じさせる黒瞳だ。身体付きは細いが、さながらモデルのように、見るものの目を引くスレンダー体型と呼べるだろう。
表情を少し曇らせてはいるものの、しかし整った顔付きはそれすらも絵になっていた。
「はァッ・・・、はぁッ・・・! いや、黒沢には言われたくねぇッ・・・。比較対象がおかしい!」
一方、息を荒げてそう答えるのは相良 士門
全身から汗を流しながら、膝に両手をついて絞り出すように、そんな泣き言を口にしていた。
もっとも、士門が平均的な男性と比べて軟弱かと言われると、そうではない。
士門にとってはむしろーー
「黒沢の方が、異常なんだよッ・・・!」
「失礼、あたしだって女子なのに。」
女性に対していささか失礼と言わざるを得ない士門の言動に対し、黒沢はすげない態度でそう答える。
しかし、状況は確かに妙であった。
士門は木剣を持っているのに対し、黒沢は無手。側から見れば、士門が卑劣な暴漢のようにしか見えない構図。
しかし、既に士門は幾度となく黒沢に挑み、そして悉く敗北、数え切れぬほど何度も地面を転げ回っていた。
ちなみにその過程で木剣は何本も折られ、既に8本目に突入している。
形の良い細い顎に手を当てて、黒沢はうーんと考え込んだ。
「士門くん・・・。何でそんなに弱いんだろうね。」
「めちゃくちゃ失礼だな、事実だけど。・・・というか、俺から言わせれば他の皆んなが強過ぎる。」
黒沢の率直かつ残酷な言いように、ようやく息を整えた士門はそう返した。
だが、黒沢の言ったことは真実だ。
これまでロレンハイツ帝国に召喚された歴代7人ーーそして今生存している4人の“異界人”の中で、相良 士門は最も弱い。
今も帝国城地下の鍛錬場で黒沢と士門は打ち込み稽古を行っているが、その結果は先述の通り散々なものであった。
「黒沢の“異能”は聞いてたし見てたけど、いざ相手にすると絶望的だ・・・。」
「うーんそうかな。でも士門くんの“異能”も悪くはないんじゃない?」
「それ、皮肉じゃないだろうな?」
士門は、黒沢の本気で思って言っていそうな言葉に頬をひくつかせる。
しかし、黒沢は士門の様子などどこ吹く風であった。自身の黒髪を指で弄びながら、士門の弱さについて考え込んでいる。
ーー黒沢 綾乃
彼女は、ロレンハイツ帝国に召喚された四人目の異界人。その異能は“身体能力強化”。
言葉にすると単純ではあるが、そんな生易しいものではない。
その拳は大地を砕き、皮膚は鋼鉄の剣すら通すことはなく、踏み込みの速度は音を置き去りにする。
まさしく、士門などとは比較することすら出来ないほどの圧倒的強者。彼女にとっては、自らの肉体こそが最強の剣であり盾だった。
それに対し士門の得た異能は、単純な戦闘力には殆ど寄与しない。
「でもあたしの異能だって、別にもともと持ってたものじゃないし。そう言う意味だと、橘くんの方がもっと凄いよ。・・・それにあたし、魔法使えないもん。」
「まぁ、あいつもあいつでとんでもない化けもんだが・・・。と言うか黒沢、魔法使えないの気にしてたんだな。」
黒沢はその強力な異能と引き換え故か、魔法の類が一切使えない。ーーその事がハンデになりうるとは、士門には到底思えなかったのだが。
「ーーよし、もっかい付き合ってくれ。」
士門はそう言うと深呼吸をし、木剣を両手で握りしめ、黒沢に向け正眼に構え直す。
その目には油断はなく、何度打ちのめされても折れない気合が篭っていた。
「いいよ。何度でもボコボコにしてあげる。」
黒沢はその視線を受けて微笑み、士門にそう死刑宣告を下すのであった。
ーー召喚された異界人は皆、次元を超える過程で“何者か”によって強力な異能を持たされていた。
黒沢をはじめ、他の3人も同様に。それは、“すでに亡くなっている”3人の異界人もそうだ。
恐らく皆一様に、一人でロレンハイツ帝国の一翼を担える程の実力を持っている。
ーー士門の“ただ傷が早く治る”異能とは違って。
◆◆◆◆
「ーーぁー。」
どうやら、少しばかり夢を見ていたようだ。
シモンは声にならぬ声を上げつつ、身体を起こす。
まだ再生が完全に終わっておらず、右の視界が真っ暗だ。
若干、記憶が飛んでいる。
ーーシモンの頭部はアウルベアの一撃により確実に破砕されたが、残された頭の一部と下顎から肉が盛り上がるようにして、失われた部分を再生していた。
既に上顎と鼻、左目までが形成されている。
「・・・やっぱ、正攻法じゃ一生かかっても勝てなさそうだ。俺弱すぎ。」
未だ完全に塞がっていない頭蓋から、脳汁を垂らしながらシモンはそう呟く。
こちらに来た当初の夢を見ていたようだが、実際にシモンが意識を失っていた時間は、どうやらわずか数秒のようだ。
その証拠として、アウルベアはすぐそこに呆然と立っていた。
確実に殺したはずのシモンが蘇ったことに驚いているのか、知性的な感情などないはずの魔物が、心なしか目を見開き、動きが止まっている。
「なに驚いてんだよ、魔物風情が。同じ化物同士、仲良くしろよ。」
シモンは立ち上がり、再び鉈を構える。すでに右目を再生し、頭蓋までもが塞がり、アウルベアの先の一撃はすでにその痕跡すら読み取れない。
平原を汚す赤黒い染みだけが、唯一の証拠としてその場に残っていた。
「ギィィィイィィイ・・・。」
アウルベアは唸りつつ、攻撃するかどうかを計りかねている。目の前のシモンを敵ではなく、“得体の知れない何か”と認識したからだ。
「ーー来ないなら、こっちから行くぞ。」
そうシモンが宣言した途端、シモンの右脚が僅かに青い燐光を纏う。ーーそれは、魔素が物質を流れるときに発する魔素光だ。
そして次の瞬間ーー爆発。
「ギーーー!?」
シモンは一瞬にして、アウルベアとの距離をゼロにした。アウルベアに向かい、ただ右脚で強く踏み込んだのだ。その衝撃に地面がえぐれ、土が舞う。
しかし、シモンにはそんな芸当が可能なほど、超人的な身体能力はない。
事実ーーその無茶を実現したシモンの右脚は、弾けてしまっていた。
あらゆる腱と筋肉が断裂し、膝をはじめ、大腿骨、脛、足首に至るまでがたった一度の踏み込みで砕け散った
革のプロテクター越しに、血が吹き出している。脚を脚たらしめる骨も筋肉も取り返しの付かないほど損傷し、シモンの右脚はグニャグニャになっていた。
「しッーー!!」
しかし、そんなことは意にも介さず、シモンは左脚で踏ん張り、懐へ飛び込んだ勢いのままに鉈を振りかぶる。偶然の計らいか、先程シモンが放った一撃と全く同じ構図だ。
ーーしかし今回は右腕に、魔素の燐光が走っていた。
「ギャアアアアァァァァァァアァア!!!」
先程の焼き直しのように、シモンは右手に持つ鉈をアウルベアに叩き付けた。ーーだが、前の一撃とはその速度、威力が違う。
アウルベアの脇腹から侵入した刃は外皮と筋肉を裂き、そして太い肋骨を半ばから断ち、重要な内臓を軒並み破壊した後に、反対側の肋骨で止まった。
「チッ、流石に硬いな。ーーしかし、痛ぇ」
ガツッと鉈が止まる手応えを得て、シモンはそう舌打ちをする。
アウルベアに甚大なダメージを与えることに成功したが、その代償はシモンの右腕が払うことになる。
もはや、損傷していない部分がない。肩は外れ、靭帯は断裂し、上腕骨、肘、前腕部の尺骨と橈骨もろとも砕けた。
手首から先も無事では済まず、シモンは鉈を手放さざるを得ない。
見るも無惨な有様だ。ーーこれが、無茶な身体強化の代償。
同時に、シモンの数少ない切り札の一つでもあった。
「ギィアィァィァァァア!!!」
しかし、アウルベアの生命力も並ではない。
腹を裂かれ、鉈が根元まで突き刺さった状態で尚、アウルベアは敵を打ち砕かんと咆哮した。
「がッ・・・!!」
そして、空気を殺す勢いで右の豪腕を振るい、シモンの胸に思い切り叩きつけた。
直後、その反動でシモンは吹き飛ばされる。何度も地面を転がり、緑の平原に赤黒い血をばら撒きながら、そしてようやく止まった。
「ヒュー・・・、ューー・・・。」
アウルベアの爪はシモンの胸部を裂き、その豪腕でもって胸骨を粉々に破壊した上、胸骨に繋がる肋骨までもがまとめて全て粉砕された。
折れた骨は肺をはじめ、重要な臓器に突き刺さり、シモンは一時的に呼吸が出来なくなる。
「ギ、ギ、ギィァアァァアアァ・・・」
アウルベアも血と臓物を腹から流しながら、シモンに近づいてきた。
今度こそ確実に、シモンの息の根を止めるために。
「がッ・・・ガハッ・・・。」
もはや死に体の状態で、しかしシモンは上体を起き上げる。無理な動作によって口から血がドッと溢れ出し、口の端で血の泡が立つ。
右脚は、既に完治していた。右腕も外れた肩は戻り、折れた上腕、前腕骨が接がれ、切れた靭帯やボロボロの筋繊維も繋がりつつある。
シモンは胸部から夥しい程の血を流しながら、立ち上がった。もはやその姿は、人間よりも魔物といった方が適切にすら思える。
「げッ・・・げハッ・・・!これ、は、長丁場になりそうだ・・・!」
内臓に突き刺さった骨は元の居場所に戻り、一瞬にして骨が接がれる。裂傷を負った内臓の再生が始まり、裂かれた筋繊維と皮膚も元に戻ってゆく。
“死なず”。
それが、シモンの持つ本当の異能であり、ただ一つの武器。彼は例え切り刻まれようと、潰されようと、焼かれようとも、死ぬことない。
口元の血を右手で拭い去り、シモンは不敵に笑って言った。
「・・・いい機会だ。まだまだ、付き合って貰おうか」
「・・・ギャアアアアァアァァアアア!!!」
ーーその言葉に答えるかのように、アウルベアの血の咆哮が平原に木霊した。
ワンフォーオールみたいですね。