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1話「傭兵稼業」

処女作です

 刺すような寒気が身体を芯まで冷やし、手足の先はもはや感覚が失われていた。


「はっ・・・はっ・・・!」


 凍える空気を肺いっぱいに吸い込むと、鼻の奥に鈍痛を覚える。

 あたりは雪が降りしきり、一面の木々と銀世界。


 積もる雪に足を取られ、転倒するかという寸前でまた足を踏み出しながら、ひたすらに走り続ける。


「はぁっ・・・!はぁっ・・・!」


 背の高い草や、木の枝が肌を裂き、景観の変わらない森の中は方向感覚すら失わせる。喉の奥に血の味を覚えるが、それでも足を止めない。


 否、止められない。


 もはや、心身ともに満身創痍。


 それでも尚走り続けることが出来たのは、生きたいという本能的な衝動故か。


 それとも、もっと別の“何か”が原因か。


 ただ生きるために、走って、走って、走って・・・。


 残してきた者たちの顔を、脳裏に描きながら。


「いつか、必ず助ける。」


 そう、心に誓って。


◆◆◆◆


「・・・また、いつもの夢か。」


 天井ーー正確には二段ベッドの二段目の底を見つめながら、そう呟く。目を瞑り再び眠ろうとする・・・が、もはや目が冴えてしまい、目論みは叶いそうになかった。


 仕方なく硬いベッドから身を起こし、辺りを見渡すと、時刻はまだ早朝のようだ。寝起き特有の少しぼうっとする頭を振って、眠気の残滓を切り捨てた。


 そこかしこからイビキが聞こえてくる。耳を澄ませるとかすかに、外から鳥の囀りも。


「相変わらずうるさいな・・・。まぁ、まともな寝床があるだけまだマシか。」


 そうひとりごちながら、シモンは無造作に伸びた黒髪を掻く。

 今いるのは宿舎の大部屋で、周囲にはニ、三十人ほどがシモンと同じように硬い二段ベッドで眠っている。


 性別も人種も、種族すら統一性のない集団。この場にいる者は皆、ロレンハイツ帝国の“傭兵団”の一員だ。


「傭兵といっても、実際はただの何でも屋なんだけどな。しかも下っ端の」


 すっかり目が覚めてしまったシモンは、立ち上がり強ばった身体の節々を伸ばしている。

 質の良くないベッドのせいだ。ーーどうにも、未だに日本にいた頃を懐かしく思う。


ーー傭兵の朝は早い。

 今朝見た夢のせいで普段よりも早く起きてしまったが、そろそろ皆も起きてくる頃合いだ。


「さて、今日もやるか」


 そう言いつつ、シモンは大部屋から出て、共同の洗面所へ向かう。

 廊下の板張り床は踏むたびに軋みを上げ、改めて宿舎の老朽化具合が身に染みた。


 洗面所の扉を開け、これまた年季の入った洗面台の鏡を見ると、乱雑に伸びた黒髪と黒茶の瞳を持つ、取り立てて特徴のない、23年間連れ添った自分の顔がそこにはあった。


「相変わらず、覇気のない顔だ。ーー気合い入れろ、俺」


 彼ーー相良 士門は自身の頬を両手でピシャリとはたき、そう自らに喝を入れた。


◆◆◆◆


 ロレンハイツ帝国は、異界から召喚した人間を戦争用奴隷として使い潰している。


 これまで召喚された7人のうち、未だ生存しているのは4人ーーその内の1人が、相良 士門だ。


 本来であれば、帝国に囚われの身となっていたはずのシモンだが、しかし今は自由の身となり、自身の“目的”のために傭兵団の一員となった。


 ーーロレンハイツ帝国は一言でいえば、武力史上主義の君主制国家だ。


 大陸北部に位置する五大国の一つで、暖期は短く寒期が長い。帝国民生来の気質もあるが、そのような厳しい環境なればこそ、他国への侵攻にも積極的だ。


 人間族中心の国ではあるものの、武で納得させ、帝国に貢献するのであれば、どのような種族だろうと斯く受け入れる。


 実際に、“大将”と呼ばれる帝国軍最高位を構成するメンバーの内、約半数は人間族ではない。


 そして同時にその出自は、傭兵団出身である者も少なくはない。故に大成を夢見る者は、傭兵団に集うのだ。

 ーー特にここ、北方都市エーレは傭兵の志願者が群を抜いて多かった。


「あー、変な夢見てイヤなこと思い出した。切り替えだ切り替え。仕事しよう」


 小声でぶつぶつと呟きながら、傭兵団エーレ支部の“依頼板”に近付いていくのは、黒髪に中肉中背の目立たぬ男、シモン。


 シモンはフード付きの革製の防具に身を包み、腰には鉈、他にも大振り小振りのナイフが数本。肩掛けのベルト式ポーチには、用途不明の薬品類が詰まっている。

 そして大きな背負い袋を肩から引っ提げ、いかにも傭兵といった風体だ。


 先程不本意にも早起きをしてから装備を整え、シモンは依頼を探しにメインホールに出てきていた。   

 今は、その依頼板と睨めっこ中だ。


「あーっと、今日の依頼板はどんな調子かな」


 傭兵団エーレ支部は入口すぐにメインホールがあり、依頼や素材の買取などの各種受付と、都市中から集まった数々の依頼の貼り付けられた、通称“依頼板”がある。


 宿舎はメインホールの奥からそのまま繋がっており、シモンなどの十級傭兵から使用が許されていた。

 その宿舎から、また入り口からもぞろぞろと、多種多様な傭兵たちが集まり始めている。


 依頼は早い者勝ち。傭兵団の暗黙のルールだ。


「・・・ん、これなら良さそうだ。」


 シモンは、一枚の紙を依頼板から引き剥がした。

 そして傭兵たちの間を縫って、依頼受付まで持っていく。


「シモンさん、おはようございます。今日もいい天気ですね。」


 爽やかな声で挨拶をしてきたのは、受付担当の眼鏡を掛けた美青年。青い髪をサラサラと揺らしながら、人の良い笑みを浮かべている。


 体つきは細いが上背があり、少々シモンを見下ろす形だ。


「おはようエンディル。良い天気なんで早速、依頼の受注を頼みたいんだけど。」


 シモンはエンディルの気の良い挨拶に手を上げて応じ、先程依頼板から剥がした依頼紙を差し出した。


「かしこまりました。どれどれ・・・。」


 エンディルは右手で眼鏡をくいと上げて、シモンが差し出した依頼紙をじっくりと読み込む。


「・・・シモンさん。あなた、死ぬ気ですか?」


 そして半ば呆れたような口調で、エンディルはそう言った。


「いや、まったく死にたくないよ。」


「言ってることとやってることがチグハグですよ!」


 シモンのどこかとぼけた答えに対し、ついエンディルは口調を少し荒げる。


 それもそのはずだ。シモンが受けようとしているのは、本来なら単独の十級傭兵が受注するような内容のものではない。


「アウルベアって七等級の魔物じゃないですか。しかも討伐依頼って・・・死にに行くようなものですよ! シモンさんはチームも組んでないですし。」


「いや、これでいい。寧ろ、“これじゃなきゃダメ”だ。・・・それに、討伐依頼は等級無視して受けていいんだろ?」


「そうは言いますが、この調子じゃいつか本当に死んでしまいますよ? シモンさん。・・・傭兵は皆んな帝国大将になる夢を見て、そして蛮勇で死んでしまうんです。」


 エンディルは形の良い眉を下げ、心配そうにシモンにそう告げる。


 実際のところ、シモンの言ったことは事実だ。いかに等級が高い依頼だろうと、それが“討伐”であれば、特別緊急度が高いものや確実性が求められるもの以外は、等級を無視して受注することが出来る。


 武を重んじる、帝国ならではの制度ともいえるが、蛮勇で死にゆく者もまた多かった。

 エンディルが真剣にシモンのことを慮っていることが伝わってくるだけに、申し訳ないな、とシモンは思う。


 何故なら、シモンは普通の傭兵ではないから。


「大丈夫、俺死なないから」


「またそんなことを・・・。止めても無駄でしょうから止めませんが、せめて無理はしないでくださいね。危なくなったら逃げること!」


 シモンの言葉を戯言と捉えたエンディルはそう言って、眉を顰めながら手続きを済ませる。

 依頼紙の写しに判子を押し、シモンに渡した。


「アウルベアの目撃場所は、北方都市エーレから西へ進んだ平原にある百年樹です。・・・アウルベアの生態を考えると、恐らくその樹を根城にしているでしょうね。」


「分かった、あそこな。ありがとう・・・終わったら、またいつもの感じで達成処理と素材買取して欲しいんだけど」


「またですか・・・。というか、既に討伐した後のこと考えてますけど、自分が死ぬかもしれないの分かってます?」


「分かってるよ。じゃ、行ってくるわ」


 シモンは軽い調子でエンディルにそう答え、手を振って受付を後にした。


「本当に分かってるんですかね・・・。でも、毎回必ず依頼達成して帰ってくるのがシモンさんだもんな。弱そうだけど、意外と強いのかな・・・。」


 一人残されたエンディルは、やや失礼な内容をブツブツと呟きながら、順番待ちをしていた次の傭兵の受付業務に戻っていくのだった。

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