異世界転生は甘くない
どうも、こんにちは。
僕はレヴァンス・オールセン。
オールセン商会の次男坊だ。
やり手の父と情報通の母、要領のいい兄と抜け目ない姉を持つ、五人家族の末っ子である。
家はシェース=ドルワーナ王国の王都にあって、下手したら貴族街のお屋敷よりも大きい。さすがに高位貴族には敵わないけど。領地もないし。
要するにうちは金持ちだ。
どのくらい金持ちかというと、国家事業に民間の融資を募る時には、真っ先に声がかかるレベルの金持ちである。
現にこれまでにもいくつかの事業に出資しており、たとえばこの国最大の港町までの道を舗装する時には、おじいさんのおじいさんのおじいさんが多額の資金を融通した。オールセン街道と呼ばれるその道は、今もって通行税の何割かをうちに落とし続けているので、我が家の資産はますます膨らむばかりらしい。
総額いくらになるかは聞いたことがない。どうせすぐまた増えるし、あまり興味がないからだ。兄さんなんかは正確に把握してるみたいだけど、あの人はお金を数えるのが趣味なので、何をかいわんやである。
とにかくそんな金持ちの末っ子なので、僕も兄さんや姉さんと同じように、交遊関係には気を付けなければならない。
下手な輩と付き合って、誘拐でもされたら大変だからだ。
よって両親も兄姉もついでに父の補佐役たちも、僕の友人には厳しく目を光らせており、身元の確かな者が選別されている。
だけど言わせてもらえば、いくら身元が確かだろうと、そんなの本人の人間性とはまったく無関係だと思う。だって王様だからって必ずしも人格者とは限らないし、聖職者でも欲深い奴はいる。お姫様が心優しいかは本人次第だし、騎士と高潔さはイコールじゃない。
何が言いたいかというと、身元調査なんてものじゃ実際のところは分からない、ということだ。
「よぉ、レヴィ。久しぶり」
お気に入りのカフェでのんびり紅茶を飲んでいると、いかにも貴族といった装いの少年が現れた。
彼はよくこうして突然現れる。貴族のくせに神出鬼没なのが売りなのかもしれない。やめてほしい。
僕は仕方なく読んでいた本から視線を上げた。
「先週も会ったよ、アンセル」
「そうだっけ?」
ごく最近のことだと思うのだが、彼はとぼけた顔で笑った。痴呆症なのかな。
勧めてもいないのに勝手に同じテーブルに着き、ウェイターを呼んで注文を始めた友人を眺める。
整った顔に印象的な青い瞳、貴族にしてはざっくばらんな態度。アンセル・カーマイル・ルドルフ・ハイセンは、ハイセン伯爵家の三男で、僕の幼い頃からの友人の一人だ。
「ここのところ忙しくてさ、時間の感覚が狂ってるんだ」
「ふーん」
「来月から学院が始まるだろ。そしたら今より自由になる時間が減るから、急ピッチで進めてるとこ」
「ああ、領地で何かしてるんだっけ」
「何かって……説明しただろ。領民の識字率を上げるために学校を創るって」
そしてちょっと頭がおかしい。
ちなみに彼は僕と同い年だ。つまり現在12歳である。
どこの世界にたった12歳で学校を創ろうなんて馬鹿げた真似をする貴族のお坊ちゃんがいるのか。跡取りとして領地経営を勉強中というならまだしも、彼は三男。僕と同じ末っ子だ。
我が国の貴族は長子相続なので、よっぽどのことがなければ長男が跡を継ぐのが普通である。よっぽどのことがあっても次男が継ぐだろう。
だけど彼はちょっとおかしいので、なぜかあれこれ領地のことに首を突っ込み、色々なアイデアを形にしようと躍起になっている。
学校創りもそのうちの一つだ。
「そうだったね。順調なの?」
「いや、なかなか教師が集まらなくてさ…学歴はあるのにうだつの上がらない下級貴族の三男四男あたりを狙ってるんだけど」
「そう。でもどうしてそんなに識字率を上げたいの?」
僕が訊ねると、アンセルは失望したように眉を顰めた。
「……はぁ。ほんとにこの世界の奴って頭固いよなぁ…平民に学なんかいらないって思ってるんだろ。そんなのおかしい。だからいつまで経っても経済が発展しないんだよ」
いや僕も平民なんだけど。
平民にも学校はあるよ? 僕も通ってるし。たぶんハイセン領にもあると思う。
もしかして無いと思ってるんだろうか。何なのその偏見。
そしてなぜ唐突に世界規模で話し始めるのか。
世界規模の頭の固さとは一体。
さらに言わせてもらうなら、この国の経済を回す大商会の人間を前にして、驚くほどの暴言吐きやがったぞコイツ。喧嘩売ってんの?
「あのな、平民だって簡単な読み書きくらいできないとダメだ。買い物も満足にできないし、売買契約で騙されたりする。そうやって弱者が痛い目を見る社会に俺は納得できない」
納得しろよ。偏見甚だしいわ。
平民だって簡単な読み書きくらいできるよ。
昨今、買い物も満足にできない平民が存在するのなんて、それこそ辺境のド田舎で貨幣も流通してない寒村くらいなものである。逆にそんな所に住んでるなら、物々交換が主流だろうから、計算なんてできなくても困らない。
そもそも売買契約をするような平民なら、普通に読み書きくらいはできると思う。できないなら契約しないと思う。騙されることが絶対にないとは言わないけど、簡単な読み書きができたところで、騙される時は騙されると思う。
「…まぁ、僕にはよく分かんないけど、頑張って」
何だか面倒くさくなって僕はそう言った。
アンセルはやれやれとばかりに肩を竦める。よく見る仕草だ。僕はこれを彼以外がするのを見たことが無い。
「お前って頭は悪くないのに無気力っつーか、金に困ってないからって世の中への関心が薄いよなぁ……困ってる人を助けたいとか思わないのかよ」
「どうかな。目の前で困ってたら助けるだろうけど」
「もうちょい視野を広げろよ。そんなんじゃ時代に取り残されるぞ?」
「分かったよ。気を付ける」
とりあえず宥めようと適当に答えたら、アンセルは満足そうに頷いた。素直だ。彼の美点の一つである。
「そういや、こないだ渡したやつどうなった?」
「なに?」
「ほら、娯楽として売り出したらどうかって、試作品を渡しただろ?」
「ああ……」
僕はちょっと困って俯いた。
友人をガッカリさせるのは忍びない。
期待満面で目を輝かせているのを見たら尚更だ。
「…悪いけどうちでは扱えないかな」
「え!? 何でだよ!」
アンセルは驚愕の眼差しで僕を凝視した。まるで信じられないといった表情だが、そんな君を僕こそ信じられない。
「需要が見込めないからだよ」
「いや何言ってんだよ。絶対売れるぞ? 大ヒット商品間違いなしだって!」
いやお前が何言ってるんだよ。
彼は領地経営がしたいのか、それとも商売がしたいのか。商売がしたいならその楽観主義をどうにかした方がいいと思う。父の口癖を伝えるなら、「商売に“絶対”はない」だ。
「ちゃんと親父さんに見せたのか?」
「うん。父さんにも兄さんにも見せたよ」
「何だって?」
「面白いとは思うけど、この国では流行らないだろうってさ。娯楽が少なくて文化水準の低い南部の国なら、まだ可能性はあるかもしれないけど」
アンセルが数週間前に渡してきたのは、リバーシとかいう名前の卓上ゲームだ。
硬貨サイズの円盤の表面と裏面を白と黒に塗り分け、二人がそれぞれ順番に置いていく。最終的に取った升目の数を競って遊ぶものらしい。
僕も何回かやってみたけど、確かに暇潰しにはなる。ルールが単純なので子供向きだろう。でも単純がゆえにすぐ飽きてしまうし、卓上ゲームなので基本的に室内でしかできないのが難点だ。
シェース=ドルワーナ王国は、豊かな資源と温暖な気候に恵まれた国土を有し、古くから文化レベルの高い大陸一の強国として知られる。
長い歴史の中では幾度か、芸術をことのほか愛する国王が立ち、そのたびに様々な文化が盛大に花開いた。王都を中心に広がった技術は今もなお受け継がれ、音楽、美術、工芸、演劇、舞踊のみならず、馬上試合や格闘技、祭り、屋台船の運航など、ありとあらゆる娯楽として庶民にも広く普及している。
国が豊かなのと王政が安定していることもあり、他国に比べて貧困層も少なく、誰しも気軽に遊べる娯楽が多いのだ。
あと国民性として明るく活発なのも特長で、基本的に余暇は外出する者が多い。部屋にこもって本ばかり読んでいるような奴は変人扱いされるし、大体遊ぶと言えば外に出ることを指す。
要するに室内で遊ぶための道具は、あまり受けが良くないのである。
「物は試しに売ってみろって。絶対流行るから」
彼は本当にこの国の人間なのだろうか。
仮にも貴族の令息なんだから、自国の歴史や文化、国民性についても幼い頃から学んでいるはずなのに、まるで話が通じない。
しかも自分だって部屋で遊ぶことなんかほとんどないくせに、やけに自信満々に推してくる。
一体何が彼をそうまで駆り立てるのか。
「レヴィん家なら簡単に量産できるだろ。大量に作っとくことを勧める。生産が追いつかなくなるだろうからさ」
そして取り扱わないと言ってるのに、なぜ大量生産をごり押しするのか。
物は試しに売ってみるだけの商品を、大量に作る意味が分からない。もはや何も試してない。在庫一掃大売り出し前提の戦略である。
「あれを商品化できるような品質にするなら大量生産は無理だよ。一つ一つの駒も作るのに手間がかかるし、そもそも大量に作ったってしょうがないじゃん。消耗品でもないのにさ」
「分かってないなぁ…一家に一つ限定で販売したとしても、王都だけで何万世帯あると思ってるんだよ」
分かってないのはお前だ。
どんだけの人気商品になる気だよ。
もうなんか怖いんだけど。言葉が通じないの? 実はシェース語が不自由なの? この国では受けないって言ったの聞こえてなかったとか? 難聴なの?
そもそも限定販売なんて、短期間で爆発的に売れない限りありえない。よしんば人気に火がつくとしても、人伝に評判が広まる間に準備すれば十分に間に合うからだ。それとも彼には、王都中の人間に一瞬で、かつ同時に情報を伝える術でもあると言うのか。
呪いでもかける気じゃないだろうな。
「一家に一つって……清掃用の自動魔道具じゃあるまいし」
「そりゃ魔道具とは違うさ。あんな高価な物、庶民には手が届かないだろ」
「え、どうかな…」
「そうじゃなくて、俺は誰でも気軽に楽しめる娯楽を広めたいんだよ」
何で?
娯楽の親善大使なの?
「えっと、高価って言うけど、平均的な世帯収入のある家なら必ず一つは持ってるよ。手が届かないほどじゃないし」
「またそんな…あのなレヴィ、レヴィの家は平均的とは程遠いんだぞ?」
それは分かってる。
うちは控えめに言って大金持ちだ。
「えーと、それにあのリバーシっていうのを商品化しようとしたら、清掃魔道具と大体同じくらいのコストがかかるから、売値も似たようなものになると思うよ」
そして同じ値段なら間違いなく清掃魔道具を選ぶと思う。誰だってそうだ。毎日使うわけでもない遊び道具と、家事の手間を減らしてくれる便利な魔道具。選択の余地はない。
彼は庶民向けのゲームだと言うけど、正直あれはお金に困ってない富裕層が、雨の日の暇潰しに購入するくらいの見通ししか立たない。
「あー…技術が追い付かないってことか。低コストで量産できる体制を作るのが先だな」
アンセルはやれやれと肩を落とす。
だからなぜ量産しようとするんだよ。大好きか。在庫を大量に抱えてあっぷあっぷする未来しか見えない。
「……とにかく、うちは力になれそうにないよ。ごめんね」
「いやいいんだ。俺こそ悪かった。考えてみればこういうのってデカい商会を通した方が実入りはいいけど、そのぶん目をつけられやすいからな。あんまり目立ちたくないし」
え。
「そうだったの?」
「ん? 何がだよ」
「いや、あんまり目立ちたくないって意外だったから」
「何でだよ! 俺は平穏に暮らしたいんだ。変に目立って国王に呼び出されでもしたら面倒だろ!」
いやいや、王様に呼び出されるって相当だよ。相当アレな目立ち方しない限り、早々呼び出されるなんてことにはならないよ。
というか、どうして呼び出される相手に国の頂点を想定しているんだ。どんだけ自信過剰なんだ。卓上ゲーム一つにどんだけの夢と希望が詰まってるんだ。
「うん、まぁ王様には呼び出されないと思うけど」
「レヴィは呑気だよな…権力者ってのは情報網がすごいんだよ」
「そうなの?」
「ああ。国王は切れ者だって噂だからな。油断すると足元すくわれるだろうし、変に気に入られて足枷つけられても面倒だろ。俺の望む平穏からどんどん遠ざかってく」
仮にも国王に対しものすごい警戒心を抱いてるな。なんか恨みでもあるのかと勘繰ってしまう言い草だ。だとしても公共の場所では控えてほしいけど。
まぁ一応貴族なんだし、過去に謁見したことでもあるのかもしれない。そこで何かあったのかな。
「えーと、王様にお会いしたことあるの?」
「不穏なこと言うなよ! あるわけないだろ。王城には近づかないことにしてるんだから」
おいそれと近づいていい場所でもないしね。
そもそもこっちが決めることじゃないしね。
そして会ったこともない相手を嫌い過ぎだよね。
うん、とりあえず平穏に暮らしたいなら、余計なことしないで普通に学院で勉強しといたらいいんじゃないかな?
三男が長男次男を飛び越えて領地経営に口出ししてたら悪目立ちするだろうし、貴族の子息が親の目を盗んで商売を始めるのもよろしくない。そもそもハイセン家はさほど金に困っているわけでもないし、たとえ困っていたとしても、貴族が精力的に金儲けするのは褒められた行為じゃないのだ。面子を重んじるがゆえに、金が無くてもあるように見せるのが貴族なのである。
要するに、アンセルのしようとしていることがバレたら、ハイセン伯爵の怒髪天を衝くこと間違いなしだった。
それにしても何でまた彼はこうもぶっ飛んでるのか。
精神的な問題かな?
もっと幼い頃から優秀で、家庭教師も絶賛するくらい出来が良かったらしいから、その頃に周囲から過剰な期待を受けでもしたのかもしれない。
でも聞いてる限り、家庭教師がついたのって算術とか歴史とか外国語とか、あとはマナーくらいだったけどな。そんなのよっぽどじゃなきゃ誰だってそれなりにできるようになる。少しくらい覚えがよかろうと、過度な期待をかけるような大人はいないだろう。
子供が教わるような基礎知識の覚えがいいことと、領地経営の才能があるかは別物だし。
僕も小さい頃から学校に通ってるけど、実際に商会運営に携わろうとしたら、まったく違う知識やノウハウが必要になることは分かっている。ちょっとくらい成績が良かろうと、それで兄さんに代わって跡取りになれるとは思わない。
だから僕には彼の積極性はわけが分からなかった。
しかしまぁ貴族には貴族にしか分からない、商人とは異なる何かがあるんだろう。
僕は深く追及するのはやめて、頬杖をついて表通りを眺める友人を見つめた。お行儀が良くない。でも元気そうな姿に安心する。
彼はちょっとおかしいが、最初からこうだったわけではない。それどころか初めて会った頃とはまるきり別人である。
原因は不明だが、ある日突然、彼は人が変わった。
正確には今から7年前、僕らが5歳の時のことだ。
僕らは3歳で出会った。
あの頃の彼は体が弱くて、しょっちゅう熱を出しては寝込んでいた。兄二人が健康優良児だったこともあり、比較されては落胆されて、さぞかし辛い思いをしていたに違いない。
満足に外で遊ぶこともできず、鬱屈した気持ちがねじれていたんだろう。僕と出会った時の彼は、まったくもって手に負えない我が儘なクソガキだった。
「なんだ、へいみんじゃないか」
これが初対面での彼の最初の挨拶だ。
完全に鼻持ちならない嫌な奴である。
「こんにちは。ぼくはレヴァンスだよ」
「ふん。へいみんがかってに口をきくな。ゆるしてないぞ」
小さな体に不釣り合いなくらい大きなベッドの上で、彼はぷいとそっぽを向いた。
僕はどうしたものかと一緒に来た父を見上げた。
彼と友達になれというのは父の言いつけであり、僕はそれに従って王都にあるハイセン伯爵の屋敷を訪れていたのだ。そこに僕の意思はなかった。
仲良くなれれば嬉しいなとは思っていたけど、そうじゃないなら無理に友達になる必要があるのか分からなかった。だから判断に困って父を窺ったのだ。
見上げた父の横顔は苦りきっていた。
「…体が弱いとは聞いていたが、これはレヴィの教育に悪影響かもしれんな」
この時の僕にはよく理解できていなかったけど、父の「友達検定」にアンセルが不合格だったことは感じ取れた。
まぁそれならそれで別に構わなかった。友達なら他にもいる。何より父に逆らってまで仲良くしたいと思うほど、アンセルに魅力を感じなかった。
初日はそうしてろくに喋りもせず引き上げた。
ところが帰宅後に伯爵家から使いが来て、ぜひまた遊びにきてほしいと言われた。
父にどうしたいか訊かれた僕は、どっちでもいいと答えた。父はしばし黙考し、それから様子見することに決めたらしい。嫌になったらいつでもやめていいと僕に言った。
そうしてなぜか月に一度か二度、僕はハイセン家を訪問することになったのだった。
「とりいろうとしたってむだだぞ」
「おれはへいみんとなれあう気はない」
「また来たのか。ずうずうしいやつだ」
「気がきかないやつだな。おれをたのしませることもできないのか」
「おまえとおれはたちばがちがうんだ。かんちがいするな」
およそ一年半もの間、僕は彼の罵詈雑言を浴び続けた。アンセルは実に根気のあるひねくれ者だったのだ。はっきり言って気分は良くなかったし、人と言い争った経験のなかった僕は満足に言い返すこともできず、いつもすごすごと帰宅していた。
それでも通い続けたのは、なんだか可哀想に思えたせいだった。
アンセルはほとんど部屋から出ない。
外で遊ぶこともなく、ベッドから起き上がれない日もままあった。手足は僕よりずっと細くて、顔色は幽霊みたいに青白かった。
月に一度か二度しか行かないのに、ちょうど寝込んでいて会えないことすら何度もあった。そして次に会った時は大抵まだ本調子じゃない様子で、舌足らずにまた僕を罵るのだ。
だけど帰れと言われたことは一度もなかった。平民だと見下しながらも、帰宅の時間が近づくと彼はいつだって不安そうだった。もう二度と僕が現れないんじゃないかと思ってるみたいに。
だから僕はアンセルに会いに行った。
一度も欠かさずに会いに行った。
そして5歳になったある日、彼はこれまでで一番酷い熱を出した。
何日も意識が戻らず、会いに行っても顔を見ることもできなかった。
僕はアンセルが死んでしまうんじゃないかと思った。人が死ぬということを初めて知った。怖かった。苦しそうに眠る彼の姿を思い出しては、ベッドの中で神様に祈った。どうか死なせないでほしいと、ひたすら祈り続けた。
祈りが通じたのか、アンセルは数日後に意識を取り戻した。
そして次に会った時にはまるきり別人へと変貌していたのである。
「来てくれたのか、レヴィ。お見舞いありがとな」
なんとまぁ爽やかな微笑みだったことか。
癇癪を起こして怒鳴ることもなければ、グチグチと憎まれ口を叩くこともなく、平民だなんだと蔑む言葉もない。そこにいたのは朗らかで優しい少年だった。
そう、明らかに僕の知っているアンセルじゃなかった。別の誰かが入れ替わってると言われた方がまだしっくり来るくらいだ。今でもまだちょっと疑っている。
唖然として見つめる僕に、彼は困ったように微笑んで言った。
「今まで酷い態度をとってごめん」
「………………」
ごめん。
ごめんだって。
アンセルがごめん。
およそ彼が口にするとは思えない台詞である。
「今回寝込んで色々と考えたんだ。これからは心を入れ替えて頑張るよ。だから今度こそ仲良くしてほしい。二度とあんな酷いこと言わないって約束する」
訊いてもいないのに現状説明もしてくれた。
人付き合いがほとんどないせいで、他人への思いやりが欠如していたのに、寝込んでいる間にずいぶんと察しが良くなっている。戸惑う僕の手を握り、友達になりたいんだと彼は言った。言葉遣いまでやけに流暢になっていて怖い。
こう言ってはなんだが、愛想のいいアンセルはとても胡散臭かった。何か企んでますと言われてるようなものだ。
「その……俺は他に友達もいないし、だから上手く付き合えなくて、本当にごめんな。反省してる。その、色々あって」
一体何があった。
「レヴィは親父さんに言われて断れなかったんだよな。それは分かってる。うちは貴族だし、我慢して付き合ってくれてたんだろ。でも身分なんて関係ない。これからはそういうんじゃなくて、本音でぶつかってきてほしいんだ。本当の友達になりたいから」
まぁ確かに身分は関係ない。
なんならうちの方が金持ちだし、父さんなんか付き合う貴族を上から目線で厳選している。僕もアンセルが貴族だからって何かを我慢したことはない。何を言われても言い返さなかったのは、単に僕が彼ほど人を罵ることが得意じゃなかっただけだ。
「えーと、アンセル、なんだか変わったね」
「あー…まぁ、その、考えが変わったんだ。それで思ったんだけど、寝てばっかいるのがいけないんだよな。少しずつでも体力つけないと、いつまで経っても病人のままだよ。好き嫌いもやめる。よく食ってよく寝る。これが一番なんだよな。運動もしようと思うんだ」
それにしてもよく喋る。口調も変わっているし。
人って数日でこんなに変わるものなのか。
絶対なにかの呪いだと思う。お祓いした方がいい。
「えっと、でもアンセル、運動はキライでしょ?」
「そんなことない。これでも得意な方……あ、いや、そんな気がするっていうか」
どんな気がするんだ。
「それにさ、引きこもって寝たきりってのが精神的によくないっていうか、だから癇癪起こしたりするんだよ。うん、やっぱ子供は外で遊ばないと。性格がヒネたのもそのせいじゃないかな」
誰目線だよ。自分のことだろ。
「……そっか。がんばってね」
「ああ、ありがとな!」
「おだいじに」
とはいえ僕はこの時まだ自分の混乱をうまく言語化できる年じゃなかった。それに何よりアンセルが死なずに済んでホッとしていた。だから数々の違和感を受け流し、とりあえず彼の謝罪を受け入れたのだ。
どうせまたすぐ元通りだろうと思ったせいもある。
しかし予想に反して彼は元に戻らなかった。
それどころかますますもって勢いよく変わり続けた。
好き嫌いなく何でも食べるようになったし、苦い薬も嫌がらず飲むようになった。驚くことに体調がいい日には進んで外にも出るようになったのだ。ほんの庭先ではあるけど、以前はそれさえ避けていた。
そうしてだんだんと体力がついてきた頃、なんと剣の練習まで始めたのだからビックリである。訪ねて行った日に、庭先で素振りする彼の姿を見た僕は言葉を失った。もちろんすぐバテてしまったが、休み休み頑張って続けていた。
そう、アンセルは根気だけは人一倍あるのだ。
長所を活かして彼は頑張った。
貴族の慣習でちょうどお勉強が始まる時期だったらしく、6歳になるとアンセルには家庭教師がついた。
すると彼が大変優秀であることが分かった。
歴史やマナーはやや躓いたようだが、その他はあっという間にできるようになり、家庭教師を驚かせた。らしい。全部自己申告で教えてもらったことなので、真偽のほどは分からない。でもたぶん本当のことなんだろうと思う。嘘をつく意味も分からないし。
実際にアンセルは様々なことをよく知っており、驚くくらい発想力がある。彼が思い付いた物を形にできるだけの力があれば、今頃天才児と持て囃されていただろう。
残念ながらそんな力はなかったので、ちょっと頭のいい変わった子供くらいの扱いではあった。
「なぁレヴィ、米って知ってるか?」
回想に浸っていると、アンセルが通りに向けていた視線を戻して言った。
彼の話題転換はいつだって唐突だ。
「米? ライスのこと?」
「え、もしかしてあるのか!?」
「いや今は持ってないけど」
「でも知ってるんだな?」
知ってるも何も、ただの穀物だ。
パンほどじゃないけど、この国ではそれなりに広く親しまれている。
「ああ、ハイセン家の食卓には出ないのかな。一応庶民の口にするものだし」
「何でだよ! そんなの差別だろ!」
「そうだね」
でも貴族しか口にできないものもあるし、お互い様ってやつじゃないかな。どっちも食べられる僕にとっては、本当にバカバカしい選民思想だとは思うけど。
「南部の国から輸入されてるものだからね。貴族が食べるようなものじゃないよ」
「ってことは南部は水耕が盛んなのか…」
何かブツブツと呟き始めた。彼はよくこうして呟いている。普通に会話するのと同じ音量なので、最初は逐一返事をしていたのだけど、どうやら独り言らしいと気付いてからは放置するようにしている。独り言は一人の時にしてほしいなとは思うけど、まぁ贅沢は言うまい。
「やっぱり米がないとしんどいよな…あー、カレー食いたい」
カレー。
確か南部のシャオ・ウーという国の料理だ。
アンセルは南部の国の料理に詳しいらしい。意外だ。
「カレーなら南部料理の店に行けば食べられるんじゃない?」
「えぇ!? あるのかよ!」
急に大声を上げるのはやめてほしい。
普通にビックリするし、いらぬ注目を集めている。ここ僕のお気に入りの店なのにな。
「南部料理の店なら王都にもいくつかあるよ」
「そうじゃなくてッ、カレーだよ! カレーあんの!?」
どういうこと?
あるから食べたいと言ったんじゃないの?
「えーと、食べたことないの? あるの?」
「そりゃあるよ。誰だってあるだろ。…あ、でも待てよ。俺が思ってるカレーとは違う可能性はあるか。あんま期待しすぎてガックリくんのも嫌だな」
「そんなにいろんな種類あったかなぁ…まぁ、スープカレーとかもあるしね」
「バリエーションあんのかよ! まさか他にも転生者がいたとか…」
「テンセイシャ?」
耳慣れない言葉を聞き咎めると、あからさまに慌てだした。
目を泳がせながら両手を振っている。
すごいな。これだけ全身で「誤魔化してます」と表現するヤツ初めて見た。素直か。
「い、いや何でもない。ちょっと驚いただけだ。それでその、南部料理の店ってレヴィも行ったことあんのか?」
「うん、何度かあるよ。父さんが南部商人との商談に使うんだ」
「あー、そっか、そうだよな…いいなぁ……好きなもん食えて」
いや僕は別にカレーが好きだとは言ってない。
嫌いじゃないけど、癖があるし好物ってほどでもなかった。
「伯爵様にお願いしてみたら? 連れてってくれるんじゃないの」
僕がそう進言すると、アンセルは苦々しい表情になった。
「…父さんとはろくに喋ってないんだ。忙しいみたいでさ。まぁだからこそ俺も好き勝手できるんだけど、辺境で魔獣が大量発生してるって噂もあるし、その対応に追われてるみたいだ。ここんとこずっと城に詰めてる」
「………アンセル…」
友よ、それはそんな簡単に口にしていい情報じゃないと思うよ。
辺境で魔獣が大量発生したこと自体は機密事項でも何でもない。数週間後には国中に知れ渡るだろうし、耳が早い商人の間では既に知らない者はいない事実だ。
だが軍部の高官であるハイセン伯爵が、連日城に泊まり込むほど忙しいとは。ここから導き出される推論としては、援軍もしくは物資輸送の計画が進行している可能性が挙げられる。おそらく後者だ。一昨年から北方連合国と小競り合いをしているシェース=ドルワーナ王国は、現在兵に余裕はない。
国から辺境へ物資が送られる。
それを知れば王都にいる行商人たちは、我先にと現地へ発つことだろう。苦しんでいる僻地の民には心から同情するが、商人にとって戦場とは金の成る木だ。機を逸すれば儲け話を逃してしまう。
「俺、父さんが心配なんだ。過労死するんじゃないかって……だから何とか疲れをとる方法を考えたんだよ。それで薬効の高いお茶を調合しようと思うんだけど、いい薬師を紹介してくれないか? 色々と本を読んで調べてみたんだけど、北部の国で採れる雪光草っていうのを使えば…」
アンセルが何か言っている。
僕はそれを話半分に聞きながら、めまぐるしく考えを巡らせた。
長兄が先日とある辺境伯から買い取った、金属製の武器。あれは画期的なアイデアだ。あれの精度を上げ、より強い武器に作り上げることができれば、そしてその製法を我が家が独占することができれば、この国のみならず大陸の覇権すら手に入る。
だがまずは実戦でどれくらい使い物になるかを確かめないと。それには魔獣退治が実に都合のいい試金石だ。
それにしても、武勲目覚ましい一族に、あれほどの頭脳を持つ者が生まれるとはね。人との縁は本当に面白い。
僕は商売にも金にもさして興味はないし、家を盛り立てる才覚もないと自覚しているが、昔から人を見るのが好きだった。それも有象無象の平凡な人々の中に、突如として生まれてくる異端の存在。稀代の天才となりうる、他者とは違う感性を持つ人を見るのが。
今回、あの「魔炎銃」を創り上げた者は、その一人だ。
デモンストレーションとして、父と兄を説き伏せ、いくつかの試作品を魔獣はびこる辺境の地に送ってみようか。あれを見た別の天才が、新しい才能の発露を現さないとも限らない。
縁とは待つのではなく、作るものなのだ。
「……つまり、クリーム状にして直接患部に塗って、これ湿布って言うんだけど…」
「ああ、うん。湿布なら薬屋に売ってるよ。欲しいの?」
「え、売ってんの!? 見たことねぇけど!」
「ああ、貴族は使わないのかもしれないね」
「……何だよそれ、じゃあ薬で一山当てるのは難しいか。カレーまであるんじゃ、食の改革も無理そうだし…」
アンセルは不満そうに何かブツブツ言っている。
彼は知識もあるし、発想力も行動力もあるのだが、如何せん視野が狭くて詰めが甘い。本当に興味があることに情熱を注いでいると言うより、なにかのシナリオ通りに進むかどうか、試行錯誤しているだけみたいに見えるのだ。
何度も言うようだが、この国は文化水準の高い技術大国である。才ある者たちが、長い歴史の中でたびたび表舞台に立ち、身命を賭して発展させてきた。そこに生半可な覚悟で参戦するのは土台無理な話だ。
偉人の遺した様々な知識を、現代に生きる様々な知識人たちが日夜研究を続け、ようやく一つの革新的な技術に昇華させる。
そこに複雑な利権が絡み合い、莫大な金銭が行き交い、議論と交渉を重ねた結果、満を持して世に出されるわけだ。ポッと出の娯楽商品が爆売れする余地はないし、子供の浅はかな改革計画が簡単に富を生むこともない。
だから友よ、何度も何度も言ってるけどね、
「あ、そういや魔獣って魔石を核にしてるんだろ? 大量発生してるならちょうどいいから、それを乱獲して結界魔道具の動力にしちゃえばいいんじゃね? 辺境の地を丸ごと覆うくらい巨大な装置となると、ちょっと非常識に聞こえるだろうけど、でも」
「そんなことないよ。数年がかりで開発が進められてるから」
「え!? そうなのか?」
「うん。魔法省に最年少で入ったっていう研究者が主導で進めてるらしいよ。すごいよね。うちも出資してるよ」
「なんだよー……」
一発屋を狙うのはやめて、真面目に勉強しときなよ。