民宿トピー
おにぎりを食べ終え、僕たちは雨が流れる空洞で釣りを再開した。ご飯を食べゆっくりした後で、またどしゃ降りの空洞の外へ出る気にはなれなかった。黄緑色の海水に浮かぶ黄色いウキは見えづらく他の色のウキがあればなあと思った。
釣り糸を垂らしたまま、小船はゆらゆらと小さく揺れている。
メロンさんは体育座りをしながら膝に頭をのせている。僕は、メロンさんにいろいろ聞いてみたい気持ちにかられた。現実の世界の話のことを。まずは自分のことを言おう。さり気なくさり気なく。
「あ~明日はバイトだ。休みたいなあ」
独り言のように言ってみた。高校生のことは隠しておく。
「そうなんだ。かろりはアルバイトしてるんだ。なんのバイト?」
「ハンバーガーショップです。ハンバーガー作っているんですよ」
「え。なんのハンバーガーショップ?」
「いや、地元にある店だから多分名前知らないですよ」
膝に頭をのせたまま僕のほうを見てきたので、目をそらしてしまう。黄色いウキを見ながら右耳でメロンさんの声を聞く。
「あたしさ、フィレオフィッシュが好きなの。タルタルソースがおいしい」
「だったら今度バレットでハンバーガー食べましょうよ」
「いいね」
今度は僕がおごろう。そう心の中に秘めておいて、今度はたずねる。体温が上がる。
「メロンさんはなにをしている人なんですか?」
黄緑色の海水を見つめながら緊張でいっぱいだった。
「あたし? あたしはね、洋服売り場で働いてるよ」
「え。なんか想像していたのと違った。そうなんですね」
「どんなのを想像してたの?」
「僕はてっきり大学生なのかなと思ってました」
「あたしはかろりが大学生なんじゃないかと思ってた」
少しドキッとした。高校生だとばらせなくなった。
「じゃあメロンさんは、あの、洋服の端を持ってサッとやって畳むやつできるんですか?」
「どんな説明してんの。そう。そりゃあできるよ」
自分でなにを言ってるんだと思った。
「ちょっと竿あげてみようか」
メロンさんがそう言って、その話題は中断した。
糸には黒いエサが付いたままくねくねと動いている。
「どうもダメだね。いったん港に戻ろうか? 戻ってヒントかなんかさ情報集めようよ」
「そうですね。ちょっとこのままじゃ釣れなそうですし」
今度は僕が小船を操縦した。空洞を出ると雨の音はいっそう大きくなり、キャップのつばからボタボタと雨水が落ち、波しぶきも相まって、バレットの港がかすんで見えた。
クーラーボックスを持ち上げ船着き場に足をかけるとムービーイベントが始まった。
「雨の中大変でしたね。ささ、こちらへ」
夜に切り替わる。傘を差したエプロン姿のおばさんが僕たちをうながし、歩きながら説明を加えた。
「わたしはこの港で民宿をしています『トピー』と申します。よかったらこのあと少しわたしどもの民宿でお休みになられてはいかがですか?」
「ありがとうございます」
どしゃ降りの中、メロンさんはあっさり答えた。ゲームとはいえ、女性と民宿に泊まるなんて。
街灯の下、あちこちの雨どいから雨水が勢いよく飛び出し、数少ない町人が駆け足でどこかに消えていく。
僕とメロンさんは民宿『トピー』に泊まることになった。
民宿トピーは普通の民家を改造したような造りで、僕たちは二階に通された。光沢のある板の階段は、三人の足音をコンコンと響かせた。
二階は大きな部屋があり、ふすまは開け放たれている。隅に敷かれていない布団が山積みになっていた。トピーさんは丸い体の膝を折り
「今夜はこちらでお休みください。なにもありませんがお値段もそれなりにさせていただいております」
と言いながらお茶を入れ出した。
「わたしどものような小さな宿泊施設では、お客様をお呼び込みしないことにはなかなかと……」
「すみません、あたしたちこんなびしょ濡れで」
畳に垂れた雨水が滲んで、色を変えた。
「いえいえ、かまいません。まずはお風呂に入られてはいかがですか? すぐにご案内します」
冷えた体で飲むお茶は、のど越しにしっかりとした熱さを感じさせた。指先にも熱さが残る。
玄関から離れへ続く回廊を歩く。窓には雨粒が斜めに線を作り、暗闇に白い灯りがポツ、ポツと浮かんでいる。
「こちらになります」
はっきりとわかる暖簾が掛けてあった。青で『男湯』赤で『女湯』。
「着替えのほうは用意しておきますので、ごゆっくりと温まってください」
トピーさんが頭を下げた。
「ありがとうございます」
メロンさんも頭を下げた。そして
「じゃあね、かろり。あとでね」
と言って赤い暖簾をくぐっていった。僕も青い暖簾を手で押し、くぐった。
塩素の匂いと暖かい空気がした脱衣所は、三段ほどある棚に脱衣かごが置いていて、どれも空だった。
僕は濡れた釣りの服を脱ぎ、備え付けのタオルを持って浴室へのドアを開けた。
湯気はもくもくとはしてなくて、人5人ほどが入れそうな木の浴槽に、木の筒からお湯が静かに流れ込んでいる様子がはっきりと見えた。
僕がシャワーで簡単に体を流していると、ガラガラと音がして
「うわ~」
とメロンさんの声が反響した。壁の上部が開いている、つながったお風呂だった。僕が鏡の前の木の椅子に座ると、カラーン、コンと音が響いた。
「あれ? あ。つながってるじゃん。かろり、聞こえる?」
「はい。聞こえますよ」
「もう、聞こえてるのね。まったく」
そして隣の浴室からシャワーの音が聞こえた。
湯船に浸かる。少しぬるめのお湯だった。お湯は透明で、自分はお湯の違いなどわからないと思っていたけど、実際に手ですくってみると柔らかかった。お湯が柔らかい、そんなことがあるんだな。
浴槽のふちに頭をのせ、天井を見上げる。そしてメロンさんのことを考える。
日本のどこかの洋服売り場で働いている。どんな洋服売り場か聞けなかったけど、僕の頭の中では、駅ビルかなんかの高級な服売り場で、きっちりとしたスーツを着込んだメロンさんが少しおしとやかに接客している姿が目に浮かぶ。もちろん頭はメロンだけど。
日本中の洋服売り場をしらみつぶしに行ってみればいつかはメロンさんに会えるんだ。それはどのくらいの時間と労力とお金が必要なのかな。
「ねえ、かろり」
思考がストップ。壁一枚隔てた隣の浴室からメロンさんが言った。
「お湯どう? 気持ちいいね」
「そうですね。こんなお風呂ひさびさですよ」
「そうだよね。ゲームとはいえさ、こんなんのも体験できるんだね」
「すごいですよね」
メロンさんはどんな格好で湯船に浸かっているのだろう。
「もしさ、あたしがかろりの働いているハンバーガーショップに行ったらさ、かろり、あたしってわかるかな?」
メロンさんがいきなりそんなことを言い出した。僕はどう答えていいか分からなかった。
「もしさ、もしだよ。あたしだなと思ったらフィレオフィッシュのタルタルソース多めに入れてね」
「わかりました。で、もし当てたらどうするんですか?」
「え? 知らない。へへ」
湯船からあがる音がした。もう少しこの時間が続けばいいのに。壁一枚隔てた浴槽で思った。




