最後の手紙。
藤壺さん
ご無沙汰しております。
あなたからお返事を頂けなかったこと、驚いてもおりませんし恨んでもいません。
ただどうかこのようにこちらから一方的に手紙を差し上げることをお許しください。もうこれで最後になりますので。
前回のお手紙から随分と時が経ちました。私は今もあなたを私に取り込んでしまおうとしていることをやめていません。
私があなたを一番身近に感じる時、それはやはりこうして文章を書いている時です。私はじっと見るともなく視線をじっと前に見据えたまま、まるで人形のようになってしまいます。そしてその人形は私の前で動き出すような、或いは私自身が人形になっているかのような不思議な感覚に襲われます。その時の人形から見える世界はきっとあなたの見てる世界なんだろうと思うのです。
一時期は曖昧になっていく私と私を取り囲む私、そしてあなたとの境界線に怯えもしました。あなたも当然わかっていて考えた事もないでしょうがそれは「本当の自分」を見失うなどと言うつまらないものではありません。こうして何者かを自分の一部として溶かし込んでいく時に起こる一種の抵抗、そのことによる発熱のようなものでしょう。
そしてこのような行為を繰り返すことによりもう私はあなたを手に入れようとか嫉妬に狂うようなことがなくなっていったのです。
私はいわば古いテレビのようなものです。
つまみでチャンネルを変えないといけない、あの古いテレビです。幼い頃はちゃんと映像が見えるテレビでした。私は私の意思でチャンネルを変え色んな私を映していました。でも歳をとり、色んな私を映すということに飽きていってしまいました。もう映像は流れません。ただチャンネルの下にあるつまみ、ラジオのつまみが生きています。そこには明確にチャンネルを映す目盛りはありません。ただその時に応じてチューニングを合わせたり、時折どこかの周波を捉えたりして映像ではなくイメージを喚起するだけのものと今はなっています。そして私はそこでたまにあなたの周波に合わせたりして楽しんでいるのです。
私は私がこのような文章を書いたりするような人ではないと思っていました。ただその一方でいつかは書いてみたいという淡い想いもありました。私はあなたが私のそのような面を引きずり出すであろうことをわかっていた。そしてそれを怖れていたのです。
こうして暴かれてみると存外に気持ちがいいもんです。
どうぞそのままお変わりなく、それとも変わり続けていって下さい。どちらも同じことです。きっとあなたも同じように感じていることでしょう。
さようなら。
おしまい。