残りもの
「邪魔者も居なくなったし、そろそろ魔法を教えるとしようかしら」
ムトは何事もなかったかのようにそう言うが、僕にしてみれば激戦が終わったあとに訓練をさせられるのと殆ど変わらない。
というよりも、そのままそうだといえるだろう。召喚獣とやらが、魔法の中でどれほど強力なものなのかは知らないが、ともかく僕にとってあれは激戦だった。
息も絶え絶えというぐらいに疲れ果て、地面にしゃがみこんでいる僕に対して、ムトは威圧的な態度をとっているように感じられる。
「少しぐらい休ませてくれないのか?」
「あの子の頼みだからやるのよ……! それなのにあなたがやる気を出さなくてどうするの!?」
僕の甘えた根性が気に食わなかったのか、彼女は僕を怒鳴りつけると腕を掴んで立ち上がらせた。その様子はなにか慌てているようにも見えたが、彼女が慌てる意味などないだろう。
「いい? 時間っていうのは無限にあるようで少ないの。だからこそ、それをどう使うかが重要なの。つまり、ネビロムと同程度でしかない魔法士には、サボっていい時間なんて存在しないと言うわけよ」
ネビロム程度と言われても、それがどれ位なのかものさしにすらならない。彼女の口調から見るに、かなり弱いということなのだろう。
しかし、あれは僕が剣を持ったとしても少しだけ苦戦することだろう。そんなやつを相手取って弱者のものさしと言われたなら、僕にはもはや失意の念しかないわけだ。
僕は口から漏れ出す息と同時に、負の感情までも吐き出して、空を見上げた。この世界の非情さというやつに絶望したなんて言うわけじゃないが、魔法という強力な力が、僕のいた時代よりも遥かに猛威を奮っていることを知ってしまったからだ。
しかし、ムトはそうは思っていないようで、僕の背中に手のひらを何度か叩き込んだ。それも暴力的ではなく慰めるようにポンポンとだ。
「時間の使い方だけ間違えなければ、あなたの剣だって歴戦の勇士達に引けを取らないわ」
「そうか……」
「そうか……じゃない! 私が言ってるのは時間を無駄にするなってこと、ウジウジしても魔法は身につかないし、あなたは自分の能力をまだわかっていないようね?」
ムトが大きな声を出せば出すほどに、僕は彼女がうるさい女性だと思いわずらわしく思ってしまうのだが、それでも目上の女性からの言葉、助言をむげにすることもできない。
僕はめんどくさいながらも彼女の言葉の真意を探る。
「というと?」
「今のままじゃ弱い魔物以外狩ることはできないし、悪魔と戦うことなんてできないってこと」
彼女はそういうが、僕は今の今までで悪魔と戦うなどということは言った覚えもないし、考えたこともない。
「悪魔と戦う必要なんてないだろう?」
「わかってないようだから言っておくけど、この世界は……」
明らかにやる気がない僕を見てあきらめたのか、はたまた別の理由なのか、彼女は言い出そうとしたことを言わないことにしたようだ。
しかし、そこまで言われると気になるというのが人間の性というものなのだろう。僕は、彼女の言葉の続きが気になって仕方がない。だけど、彼女が続きを言わなかったのだって僕の責任でもありそうだし、僕の方から聞くというのも知りたがりに思われそうで恥ずかしい。
「それで……魔法を教えてくれるんだろう?」
気にはなるが、彼女の方から再びいつか聞けるだろうと、僕は話題をもとに戻すことにした。幸い僕はそこまで記憶力のいい方というわけでもなく、彼女が再び話す気にならなかったとしても、そのころには意識の外側へと放り出され、いわゆる記憶が忘却されていることだろう。
つまるところ、彼女の言わんとしたことがどうでもよくなっているだろうと高をくくっていた。
ムトにとっても僕の態度は都合が良いようで、咳払いをしたかと思うと魔法についての話題に移った。
「あなたはきっと、これまで肉体強化魔法を唱えたことがあまりないのでしょう?」
「そもそも、その言葉すら知らない」
「……あの子から魔法の基礎理論を聞いたんじゃなかったの?」
なぜだか、彼女は最初からニヒルのことを『あの子』と呼んでいた。だからきっと今回のそれはニヒルの初級魔法理論の話をしているだろう。
「ああ、聞いたけど」
「だったら……! まあ、あの子のことだし説明を全部したってことじゃないのね」
突然何かを思い出したかのようにムトは頭を抱える。ニヒルのことで何か思い当たる節があったのだろう。
僕とは違って、彼女はニヒルと付き合いが長いからこそ、僕よりもいろいろ詳しいはずだ。
「で……肉体強化魔法って言うのは、さっきのアルマって言う魔法のことでいいんだよな」
「そ、そうよっ! そういえば、あなた知らないなんて言っておきながら、防御魔法を唱えたときすべてを知っているようだったじゃない!」
なんて彼女は怒るけれど、僕だってその言葉の意味ぐらいは知っている。当たり前だ……魔法を使うための勉強はいろいろしてきたつもりだし、魔法語はある程度理解しているつもりだ。
「アルマには鎧って意味があるだろう。だから防御に関する魔法かなって思っただけ」
僕の言葉を気に食わなかったのか、ムトは肩を落とす。
「ダメな傾向ね」
何がダメなのかはわからないが、馬鹿にされているような気がしてならない。
彼女は本日何度目かのため息をつき、僕の肩を何度かたたいた。
僕としてもあまり何度も呆れられるのは心苦しいのだが、それよりも自身のプライドが傷つけられているように思えて気持ちが落ち込んできている。あまり言い訳をしたくはないのだが、これ以上は僕のストレスがたまってそれこそダメな傾向だ。
「それしか勉強できることがなかったんだ」
そんな僕の言葉を聞いて、彼女はあわてたように言い直す。
「あなたのことをダメだといったわけじゃないわ……私は自分のダメさ加減んにがっかりしているのよ」
彼女の言いたいことがよくわからない。ダメな傾向というのは、僕が言語学ばかりに情熱を注いできたことに対する言葉だろう。だったら彼女が自分を責める意味が全く分からない。だって僕は独学で勉強してきたわけで、子供の頃から彼女に魔法を教わってきたわけでない。
いわゆる自己責任というやつだろう。独学でどうにかしようとした自分が悪いのだ。
「そりゃそうだわな……言語だけ知ってても使い方がわからなければ意味はないしな」
僕は自虐的につぶやいた。できるだけムトに聞こえないようにつぶやいたつもりだった。
「そうでもないわよ。ただちょっとまずいというか、厄介というのかな?」
「厄介? 素人的な考えで悪いが、言葉を覚えているなら使い方を教えてもらえるだけで使えるようになると思うんだが?」
これもまた理論を理解できていないから生じる疑問なんだろうか、それともまだ僕の知らない理由というのがあるのだろうか。その理由というやつは彼女口からすぐに聞かされることとなる。
「そうね……言ってしまえば言語というのは補助的な役割でしかないの。だから言葉をいっぱい知っている状況というのは補助輪を付けた状態で自転車に乗っているようなもの」
「ちょっと待ってくれ……補助輪てなんだ?」
「わかりにくかったかしら? じゃあ例えるのはやめましょう。魔法が自身の体の中にある魔力を放出して、そこらじゅうにあふれる五大元素を魔法に変化させるってことは聞いたのよね?」
「ああ」
「だけど、その五大元素というのは目に見えない。目に見えないものにどうやって変化させるのか……魔力の感受性が高いあなたでも、元素というものは見えないでしょう? それは目に見えないぐらい小さいものだから、そもそも見ることなんてできないわけ。でも、それに魔力をぶつけなくちゃならない。じゃあどうするか?」
彼女は質問といわんばかりに僕を見つめる。
「……適当に放出しとけばぶつかるだろう」
もちろん答えがわかるはずもない僕は投げやりにそう答える。
「そう、適当に放出する。だって元素というのはそこらじゅうにありふれているもの、適当に出したってぶつかるわ。しかし、そこで問題になるのが言語、初級魔法理論ではそんなこと聞かなかったでしょう? 表裏魔法だとか複合魔法だとかは教えてくれたけど、彼女は言語については一切教えてくれない……それもそのはず、言語に意味なんてないから」
言語に意味がない。そう言い切る彼女に待ったをかけようとする僕だが、それに対して彼女が待ったをかける。
「いいえ、意味はあるわ。さっきのたとえの通り、補助的な役割がある。言葉を口にすることで魔力がその通りに放出されやすくなるというね……」
「だったらいいんじゃないのか?」
「そうね、それだけだったらいいんだけどね」
「何が言いたいんだ?」
ずっと簡潔に話していたムトが突然遠回しに話し始めたものだから、察しの悪い僕でも悪いことなのは何となく分かる。
「魔力の放出には尋常じゃない集中力が必要で、魔力が大きくなればなるほど集中しなければならない」
「言葉を話している余裕なんかないってことか?」
「あの子にも言われたでしょう……魔力が高ければコントロールが難しいって。そりゃそうでしょう魔力酔いしながらも魔力に集中しなくちゃいけないんだから絶望的よね」
彼女に説明されてようやく、僕が魔法を使えない理由がわかった気がする。だがそれならそれで僕が先程、魔法を使えた理由がわからない。
ずっと思っていたことがあるんだが、僕は魔法の勉強をすればするほど意味がわからなくなってきているような気がしてならない、その点やはり僕は実戦向きなのだと思いたい。――そうでなければただのバカでしかないわけだから。




