事実
――悪魔は全部話してくれた。僕の記憶喪失の真相から順に……。
「つまり僕は記憶を失ってなどいないということなのか? だが、実際に僕はこの世界に来てから数週間ほどの記憶しか持っていないんだぞ?」
悪魔は僕が実は記憶喪失では無いと言った。だがそれでは、辻褄が明らかに合わない。もしこいつらが最初から全員で僕を騙していたというのならわからなくもないが、それならそれで、僕はずっと悪魔と一緒にいたはずだから、示し合わせる時間などあるはずがない。
僕は悪魔が答えを返してくれるまで、実に様々なことを考えた。考えて考えて、ついにキャパシティーを超えて頭をかきむしる。
「今のお前じゃ考えても答えなど出ない。そもそも大した情報を持っていないまま考えるなんて出来るわけ無いだろう? だがお前の記憶のことに関してだけ言うのであれば、お前は答えを導き出せるだけの情報を持っているはずだ……だからと言ってお前の口から答えが出るはずなど無いのだがな」
いつも僕の思考を呼んだふりをして悪魔は動揺を誘う。さすが悪魔だ。僕が苛立ちをおさえられないこと自体この悪魔が原因としか言いようがない。
「いいからさっさと教えてくれ!」
僕の様子に悪魔はクスクスと笑う。いつものように男らしく笑うのではなく、大人の男のように静かに笑った。
「だからお前は子供だと言うのだ。ちょっとは自分の頭で考えればどうだ? そうすればあんなことは……いや、今は感傷にひたっている場合じゃないか……。ともかく、お前は記憶を失ったのではなく、もとから持っていないと言えば少しは分かるだろう」
「もとから……?」
意味が分からない。だってそうだろう、もとから持っていないのでは何かがおかしい。まるで僕が過去から来たかのような言いようだ……だがそんなことはありえない…………いやまて、過去から来た?
「そうだ。お前は過去からここへ来た。正確にはお前が来るはずではなかった世界の分岐点というべきか……ありえてはいけない世界だ。悪魔が神に勝つなど未来永劫ありえない……いいやあり得なかったんだ」
まるで見てきたかのような言い草だが、今悪魔から聞いた話から推測するに実際に見てきたのだろう。未来とやらを……。
だがそれでは意味がわからない。そもそも僕が未来に来たという確信も、今までに聞いてきた話も全て本当なのか調べようが無いことだ。もしかすると、悪魔達の虚言であるかもしれないし、僕の頭がおかしくなってしまったということもあり得る。
「つまり、さっきまでのサタンだとかベルゼブブだとか、アスタロトだとかの話は神がいなくなったから起こった脅威だということなのか? それと過去の僕を連れてきたことになんの関係がある?」
「微妙に違う、神がいようがいまいが、この世界にはもともと悪魔が存在していた。それはお前も知っているだろう? だがサンクチュアリによって悪魔たちはその猛威をふるうことが出来なかった。それがいつの間にか変わってしまったというのが正しいだろう。それには過去のお前が関係している。だから過去のお前をここに呼ぶ必要があったというわけだ」
悪魔は簡単に説明してくれているつもりなのだろうが、僕には全く意味が分からない。だがそれは僕だけではなかったようで、堺が大きな声を挙げる。
「……ちょっとまて!! どういうことやっ!? サルガタナスがイグニスの記憶を消したんちゃうんか? ……お前らもともとグルやったって言うわけか!? それに神が死んだって何の話や!?」
堺は僕の聞きたかったことの殆どを代わりに質問してくれる。とはいっても、そこまで一気に質問することを僕はどうしても得策とは思えなかった。
「うるさいな……俺は俺の宿主に対して話している。死に損ないは黙っているがいい……と言いたいところだが、それには触れておくべきなのだろうな」
悪魔がそう言ったところで、ようやく僕の話すタイミングがやってきた。
「ちょっと待ってくれ。確かに堺が言ったことも気になるが、僕はここで一つカミングアウトしなければならないんだ……僕は彼女の事を覚えていない」
僕はこのカオスな状況下において、自身の心の中で一番のわだかまりを解いておきたくて、ルナを指差しながらそう言った。
まさに衝撃のカミングアウトとと言ったところだろう。あのニヒルが教えてくれたおとぎ話にルナという人物がいたことは知っているし、僕の知り合いだったのだろうということもわかっていたが、どうしてだか彼女との思い出を何一つ思い出せない。
普通大切な人からそんな事を言われたなら傷つくだろうし、ルナという女性もそうであるだろうと僕は思っていた。
だが、予想外にもその言葉に反応したのは堺だけだった。
「なんやって!? 幼馴染のことを忘れてもうだって言うんか!?」
堺はかなり動揺しているのだろう、僕の両肩を掴み前後に強く揺らす。それはそれは気持ち悪かった。頭が揺れてというのもあるが、同性からそんなことをされるのは心外と言わざるおえない。
そんな作業が数分も続けば怒りすら湧いてくる。
「離せ! 気持ち悪い!!」
この様な訳のわからない環境のこともあってか、思わず僕は怒鳴ってしまった。堺はその怒号に驚いて手を離し後ろに仰け反って、よほどショックだったのだろうか、黙り込んでしまう。
そこをチャンスとばかりに悪魔が話す。
「知ってるさ、こいつはサルガタナスだからな」
なんの説明にもなっていなかったが、悪魔にとってもルナにとってもそこまで予想外ではなかったようだ。
「結局記憶は消されていたということか」
合点がいき、僕はそう呟いた。つまりはルナと呼ばれる少女の記憶が消されてしまったということだろう。それなら2人が驚かなかった理由の辻褄はあうし、堺が驚いた理由も理解できる。
こうやって一つ一つ推理すれば、頭があまり良くない僕でも理解できないことはない。
「まあ、そういうことです」
悪魔の説明が始まってから、ずっと口を閉じていたルナが僕の独り言に返答した。だが、それならばわからないことがある。
「ここまでの話を聞いて、僕なりに考えたんだが……おそらく僕を未来に呼んだ理由が彼女の記憶を消すことなんだろう? だったらそれを思い出させた理由も、今話をした理由もわからない。今までの時間が全て無駄だったんじゃないのか?」
僕がそう尋ねたところで、悪魔は盛大に吹き出した。
「さっきも言っだろう? 俺は時間を無駄にしないって、ここまでに至る全ての行動に意味はあった。これできっとこんな未来は訪れないだろうな……」
悪魔が何を根拠にそんなことを言うのかは僕にはわからない。僕に無断で大切な記憶を消すわ、了承も得ずに危険な未来に呼ぶわで、信用できるところなんて一つ足りともない。
だけどどうしてか、僕は悪魔を信じている。




