僕
――――結構な時間泣いていたニヒルもようやく落ち着きを取り戻し、われに帰ったが、自分の状況に気がついて恥ずかしくなったのか、頬を赤く染めていた。
「すみません。もう大丈夫です。もう大丈夫なんで手を離して下さい!」
僕にそのように懇願するニヒルだが、僕的には非常に名残惜しい。もう少しなでていたい気分ではあるが、嫌われる方がもっと嫌だから、渋々手を離した。
離したはいいが、やっぱり離すべきではなかった。なんとかもう一度撫でられないだろうか? なんて考えた末に僕はある作戦を思いついた。我ながら、なんとも悪魔的発想を出来るものだ……。
「本当に大丈夫なのか? 無理するなよ、どれもう少しなでてやろう」
僕は再び彼女の頭に手を近づけたが、彼女は近づけた僕の手を振り払った。
……流石に不自然だったか?
「あっ! ごめんなさい。突然のことに驚いてしまって……」
焦った。本当に嫌われてしまったかと思ったが、どうやら問題なさそうだ。だが、これでは彼女の頭を撫でることはかなわないだろう。
(お前……)
頭のなかで何か呆れた声が聞こえた気がしたが、気にしないでおこう。それよりも先程の続きをニヒルに話さなくてはいけないなどと、重要な任務を思い出したところで、再び真面目に話し始めることにした。
「ニヒル。さっきの話の続きだけど、」
という僕の言葉を手で遮ったニヒルは、僕になにか言いたげな表情で、それでも言葉がまとまらないようで、なんとも複雑な表情をしている。
「イグニスさん、大丈夫です。全てを思い出しました」
複雑な表情は打って変わり、何だかスッキリした表情をしているニヒルだが、そんな彼女に僕は更に追い打ちをかけなければならないと思うと幾分か申し訳がたたないと言うかなんとも複雑である。
だけど、それでも僕は覚悟を決めて口を開いた。
「うん、だったら伝えておかなければならないことがあるんだ……」
「はい、堺さんについてですね?」
「いや、厳密には違う?」
「え?」
「厳密に言うと、堺と火山についての話だ」
僕の言葉に困惑するしている様子のニヒルであるが、僕はそんなことを気にしている余裕はない。あたりを見渡して誰にも聞かれていないことだけを確認し、僕が知っている秘密を彼女に話し始めた。
「悪魔と言う存在はしっているな? その顔は知っているってことだな。じゃあ話は簡単だ。火山は悪魔だった」
ニヒルは手に持っていた何かを地面に落とし、僕の胸ぐらを弱々しく掴んだ。
「そんなはずありません! だって火山さんは私にとって父のような存在です……! それに……! それに……!!」
彼女の言いたいことは分からないでもないが、どうしようもない事実なのだから僕は言葉を偽ることは出来ない。
「悪いけど、これは事実だ。僕だって信じたくはなかったけどね……。僕にとっても命の恩人だからね。だからこそ、信じたくないというのなら信じなくていい。だけど、僕は君に絶対に嘘をつくつもりはない、それが誰から見ても優しい嘘というやつであったとしてもだ!」
僕の襟ぐりを掴んでいた手をゆっくりと離し、ゆっくりと地面にへたり込んだ。しかし、彼女の目は現実に失望しているようでもあり、しっかりと見据えているようでもあった。
「わかりました。私も前から違和感を覚えていましたから、多分イグニスさんの言うことは間違ってないのでしょうね……」
「じゃあ――――」
「――――ですが、話はそう簡単にはいきません。だから……」
だから、信じさせてほしいとニヒルは僕に願った。だが、それは僕なんかが出来ることなのだろうか? とにかく、信用してほしい相手には本当のことを全てはなすのが礼儀と言うものだろう。それに、嘘をつかないと言った手前、僕は彼女についている嘘を一つ撤回しなければならないことを思い出した。
それから小一時間、彼女に対して僕が今まで行ってきた行動、向こうの世界でのこと、自分が英雄と呼ばれるような格好の良い物ではないということを包み隠さずに話した。もちろん僕がついていた嘘、偽名についても彼女には伝えた。
僕の本当の名前は『イグニス』でも『ソル』でもなく、『ヨシュア』である。
「――――だけど、僕のことはこれからもイグニスと呼んでほしい。それが嘘の名前であったとしても、こちらの世界では新しい僕の名前にほかならないからな……」
それを聞いて何を思ったのか、ニヒルは唐突に吹き出した。
「まさか、あの英雄ソルがそんな間抜けな人なんて、私が憧れた英雄が……」
なんとも失礼な話である。というよりもゼロの魔女に尊敬されていたとは……僕もなかなかやるもんだな、といってもゼロの魔女について知ったのはこちらに来てからだから詳しくは何もしらないのだが。
(ていうか、人の名前を勝手に使ってるんじゃねえよ! ややこしいだろう?)
悪魔がそう囁く声が聞こえたが、大丈夫だ。問題ない。僕はこれからお前を悪魔以外の故障で呼ぶつもりは一切ない。
(そうかよ……それより、その女……)
そう言われて初めて気がついた。ニヒルの目からは一滴の水がこぼれ落ちていた。
やれやれ、彼女は泣き虫だったんだな。
「こんな馬鹿が英雄で悪かったな。これでも俺は頑張ったほうだと思うぞ。火の悪魔なんて人間が勝てる相手じゃないし、何より霧の悪魔に関しては神でもなければ勝てねえよ……あいつが囮になってくれなければ、世界は崩壊していたことは間違いないだろう」
仕方がなかったのだ。自分の幼馴染の死は仕方がないことだったんだ。そう言い聞かせなければ僕の精神はすぐさまに崩壊してしまうだろう。
だが、それよりも予想外だったのは、ニヒルが僕を抱きしめて慰めてくれたことだろう。
「……もう大丈夫ですよ。彼女もきっとあなたが相手で良かったんです。あなただから自分の命さえも託すことが出来たのでしょう」
馬鹿言うんじゃねえ……
「馬鹿言ってんじゃねぇ!! 俺だからこそ彼女を救えたはずなんだ!! 俺が救わなければいけなかったんだ!! それなのに俺は……俺は……! それに堺だって……!」
ニヒルの言葉に今まで抑えていた感情が溢れ出した。そして、あの夜以上に僕は激昂し、あの夜以上に多くの涙を流した。
多分これは黒歴史になることは間違いない。女の子を慰めていたはずが、反対に慰められていたなんて知ったら、それはもう黒歴史だろう。だけど、僕はきっとこの出来事を忘れたいともうことはないだろう。
二人で泣き明かしたこの時間は僕にとって、特別な時間にほかならないのだから。だから忘れることは出来ないし、忘れるつもりもない。
これから先どんな不幸な結末が待っていようともそれだけは決して変わらないということを誓いたい。




