八 泥酔
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「あぁ~。頭がクラクラするぅ……」
干からびたような声で私は言った。
ハイボールを飲み干したときだった。ついに限界というものがやってきた。私は本格的に酔ってしまった。
さっきから何杯も飲んでいた。自分は酔っぱらってなどいないつもりだったが、もうウソはつけないレベルにまで達している。
目の前の景色が揺れている。電車に乗って揺られているような気分だ。多分立ち上がることはできないだろう。ただ座っているだけなのに、無意識に頭がふらついてしまい、じっとしていることもままならない。
「顔が赤いですよ、春華先輩。さすがに飲み過ぎです」
林さんが言わんこっちゃない、という表情を浮かべる。
「しばらく動けないかも……。今日はもうここで寝る……」
酔って気分が悪い。また、強烈な眠気に襲われている。このまま眠ってしまいたい。
吐き気がないのが幸いである。目が回る&眠い、というのが一番強い感覚だった。
調子に乗るんじゃなかった。少し見栄を張り過ぎてしまった。私は城田さんの煽りにまんまと乗ってしまった。今思うと、すごく大人げなかった。こんなことになるくらいなら、無理して飲まなければよかった。
「春華さん……? どうしたんですか?」
ウーロン茶の飲み過ぎで倒れていた美波が目を覚ました。
「少し酔っちゃった……」
少しどころではない。ここまでフラフラになったのは初めてだ。
酒の力を侮っていた。酒を舐めてはいけない。ちょっとした気の緩みが、このような事態を招くこととなった。
もはや「大人な女」を演じるどころではない。これではただのバカである。飲み会で急性アルコール中毒になるチャラい大学生を笑っていられないものだ。
「これはお持ち帰りのチャンスですわね」
笑みを浮かべながら、アンネリーゼがわけのわからないことを言い出した。
持ち帰るって、そもそもあなたは私と同じところに住んでるでしょ。しかも寝室まで一緒だし。
ところが、そんな彼女の言葉に鋭く反応する者たちがいた。
美波と桃である。
この二人は急に目の色を変えたのだった。
「春華さんをお持ち帰り……」
美波はごくり、と唾を飲んだ。
「桃、すごくわくわくしてきたよ」
舌なめずりをする桃。
真に受けちゃダメよ、あなたたち。持ち帰りとかないから。持ち帰らせないから。私はテイクアウトには対応していないの。
「弱ってる今が狙い目だよね」
城田さんがニヤニヤと笑いながら言う。
彼女は悪乗りが過ぎている。
「酔ったまま歩くのは危険です。私と肩を組んで帰りましょう。歩くのが辛いなら、近くのホテルで休んでいくのもオッケーですよ、私は!」
興奮気味で美波は言った。
何を言ってるんだ、この子は……。
「桃のマンションはこのお店からすぐだよ! 今日は泊まってってよ!」
桃もおかしなことを言う。
「普通に帰るわよ。もう少しだけここで休んだら大丈夫だから……」
私は持ち帰りを断る。ホテルにも寄らないし、桃の部屋に泊まる気もないわ。
彼女たちはどこまで本気で言っているのだろうか。
ここである問題が生じた。
動けない状態だというのに、トイレに行きたくなってきたのである。
今は立ち上がるのも辛い。フラフラして歩けない。私はどうやって移動すればいいのだろうか。
「春華先輩はしばらく動けないみたいだし、回復を待ってる間にデザートでも注文しよっか」
城田さんが提案する。
「デザート? そのようなものまでありますのね。ではわたくしは、モンブランケーキを所望しますわ」
「それはメニューには載ってないね、アンネさん。この中から選んでください」
デザートの一覧が表記されたメニューをアンネに見せる城田さん。
「アイスクリームばかりですわね。ですが、ちょうど身体が熱くなっておりましたので、冷たいものはありがたいですの」
アンネが言った。
「桃はチョコアイスにするー」
「私もそれで」
「了解。桃先輩と美波はチョコね」
またオーダーをメモする城田さん。
「私はバニラがいいかな」
林さんが言う。
「オッケー。私は抹茶派だから抹茶にする。アンネさんは?」
「マッチャとは何ですの?」
「抹茶は抹茶ですよ。緑色のお茶。とにかく美味しいですし、アンネさんも抹茶アイスでどうです?」
「ではそうしますわ」
「春華さんはデザート食べますか? やっぱり今はそんな気分じゃないですよね?」
城田さんが気を利かせて私の要望も伺ってくれたのだが、私はそれどころじゃなかった。
「アイスだよ、春ちゃん。冷たいし、眠気も覚めると思うなぁ」
桃が勧めてくる。
無理無理。こんな状態でアイスなんて無理。ますますピンチになるわ。
「私はいいわ……。それより……」
デザート決めよりも、もっと重要な問題が……。
あ、ヤバい。本格的にヤバい。
「そうですよね。春華先輩はもう少しゆっくりしててください」
城田さんが言った。
「えっと……」
私は正直なことを言いづらい気分だった。
「大丈夫です。私たちのことは気にしないでください。しばらく待ちますから」
笑顔で林さんが言う。
「ち、違うの。そういうことじゃなくて……」
「もしかして、春華も本当はアイスが食べたいのではありませんこと? でもダイエット中だから我慢しているのですわね?」
的外れなことを言うアンネ。
そうじゃない。私はダイエットなんてしていない。食べても太らない体質なのだ。私はデザートを我慢しているわけではないのだ。我慢しているのはトイレの方だ。
「顔色がさらに悪くなってますよ? 脚も震えてますし……。あ、もしかして……」
美波が私の異変に気付いた。
ああ、あなたならわかってくれるわよね……。
「寒気がするのですか? では私が温めてあげますよ」
そう言って美波は私を抱き寄せた。
全身に温もりが伝わってくる。
優しさを感じる抱擁だった。ふんわりと柔らかで温かい。
しかし、私は寒くて震えているのではない。
「桃も春ちゃんを温めてあげるー!」
桃が美波の反対側から抱き付いてきた。
二人の美少女にサンドされる。
苦しい……。そんなに圧迫されたら……。
「どう? 温かい? 春ちゃん」
桃が聞いてくる。
温かいどころか暑苦しいのだけど。
「冷房が効きすぎてるみたいですね。でも大丈夫です。私が春華さんを冷気から守ってみせます」
やけに張り切っている美波。
やたらと嬉しそうだった。私を抱く腕に力が入っている。
押しつぶされる。お腹が強く押されている。
「違うの……。寒いわけじゃないの! 私はお手洗いにいきたいだけなのよ!」
とうとう本音を叫んでしまった。
恥ずかしいなどと言っていられる場合ではない。このままでは、もっと恥をかく結末を迎えてしまいかねないからだ。
「え? そうだったの? 春ちゃんトイレ行きたかったの?」
桃が驚く。
「すみません。そうとも知らずに……」
美波も謝った。
二人は抱擁をやめた。私は圧迫から解放されたのだった。
危ない危ない。もう少しで出てしまうところだったわ。
「つ、連れてってくれないかしら……? 一人じゃ歩けないっていうか……」
介助を求める私。
すると、美波と桃、さらにアンネリーゼまでもが、目を光らせて答えた。
「お任せください!」
「いいよ!」
「お供しますわ!」
なんで彼女たちはこんなに張り切っているんだ……。
まぁいい。とにかくピンチなので、誰でもいいから早く連れていってほしい。
「私が連れて行きますから!」
「ダメー! 桃がやるの!」
「お二人にこの大役は荷が重すぎますの。というわけで、ここは私の出番ですわ」
くだらないことで揉めてる場合じゃないでしょ!
「もう……。早くしてってばぁ~」
限界だ。酔っているせいか、身体に力が入らないのだ。我慢する力や神経も上手く使えないのだ。
「じゃあみんなで行きましょう」
美波が提案する。
「そうだね。そうしよう」
「わかりましたわ。全員平等なら問題ありませんの」
桃とアンネは納得した。
もう何でもいい。とにかく間に合えばいい。
「では立ちますよ、春華さん。せーのっ……」
美波の合図で、三人が私の身体を上に引っ張り、立ち上がろうとする。
私は彼女たちに持ち上げられるようにして、ゆっくりと立つ。
そのままお手洗いまで支えられながら歩き始める。
まるで自分は介護されているみたいだ。
「もう少しですわよ、春華」
「春ちゃん頑張って!」
「ファイトです」
エールを送ってくれる彼女たち。私はとても励まされているような気持ちになる。
もたつきながら、ようやくトイレの前に辿り着いた。
すると、その時だった。
「はぁあああ……」
脱力感に襲われる私。それと同時に、下半身に温かみを感じ始めた。
なんというか、とても気持ちがいい。全ての苦しみから解放されたような気分だ。
「は、春華……さん……?」
美波がギョッとした顔で私を見る。
「あら、まぁ……」
アンネはクスッと笑う。
「ああ、やっちゃったねぇ……」
桃も苦笑いしていた。
え……? 何? どうしたの?
なんで三人とも固まってるわけ……?
ほら、もう私は楽になれたのよ? 気分は爽快よ?
スッキリしたら一段と眠くなってきちゃったわ。
そうだ。もう寝ちゃおう。今なら三人が支えてくれてるし、立ったままでも眠れちゃうじゃない。
私は満足した気分で目を閉じるのだった。
真っ暗な闇が目の前に広がり始める。
その後の記憶はない。
私は次に目を覚ますと、どこかの部屋で布団に寝かされていたのだった。
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