二十 解消
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「柊氏、朗報でござる!」
「川口さん。どうしたの?」
金曜日の三限目。英語の講義が始まる前のことだった。私が席でスマホをいじっていると、オタク女子の川口亮子が声をかけてきた。今日はやけにテンションが高い。
「『黄昏のナイトメア』の二期が放送決定したようですぞ」
「へぇ、そうなの。……で、いつやるの?」
「詳しい時期は不明でござるが、おそらく来年の冬辺りではないかと……」
それはアンネが川口さんに勧められ、ハマりこんでいるアニメだった。川口さんの布教活動は魔女までも信者に取り込んでしまうのだった。
続編の知らせをアンネに教えたら喜ぶことだろう。今や彼女は熱狂的なファンになっている。
「また一つ楽しみが増えましたぞ。二期はどこまでやるんでしょうなぁ。原作のストック的にはまだまだ余裕があるでござるよ」
「一期は四巻までだったから、単純計算で二期は八巻までじゃないかしら」
「それだと中途半端な終わり方になるでござる。八巻のラストは死んだはずの魔神が再登場するシーンでござるからねぇ」
よくそこまで細かく覚えているものだ。どうやら彼女は原作の漫画を深く読み込んでいるらしい。アンネ以上に熱中していると言えるだろう。
「っていうか、その大きな荷物は何なの?」
川口さんは黒いキャリーバックを引きずっていた。旅行にでも行くつもりなのだろうか。
「これでござるか? そうそう、今日は柊氏にピッタリな衣装を持ってきたのでござるよ」
「え? 衣装……? まさか、私にコスプレをさせるつもり?」
「その通り!」
「ごめんなさい。遠慮しておくわ」
「まぁそう言わずに。絶対に似合いますぞ」
そういう問題ではない。恥ずかしいから着たくないと言っているのだ。
そもそも私は、キャンパス内ではオタク趣味などない設定で通っているのだ。コスプレしているところを見られたら、私のイメージが崩れてしまうではないか。
「お友達の分もありますぞ。皆でコスプレすれば恥ずかしくないでござる」
「いや、なおさら恥ずかしいんだけど……」
私たちがコスプレ集団だと思われるのは困る。変な評判が広まったりでもすれば大変だ。肩身が狭くなってしまう。
しかし、川口さんは私に拒否権を与えなかった。今日も激写しまくるつもりのようだ。
学校でコスプレ撮影会だなんて、公開処刑もいいところだ。
「放課後が楽しみでござるな!」
「だから! コスプレなんてしないってば!」
ニヤニヤと笑う川口さん。聞く耳を持たない。
これは首を吊る準備をした方がよさそうだ……。
◆ ◆ ◆ ◆
日が変わって土曜日。今日は朝からアルバイトが入っている。大学が休みの日こそ稼ぎ時である。朝から夕方まで働くことになっている。
だが、今日ほどバイトに行くのが憂鬱な日はない。気分が乗らない。逃げ出したい。
前島と顔を合わせるのが恐かった。一体どんな顔をして彼女に会えばいいのだろうか。
私は彼女にひどいことをしてしまった。告白に返事をせず、黙殺したのだ。
前島はそんな私に腹を立てているのではないだろうか。あるいは、とても傷付いているのではないだろうか。
「あー、バイト行きたくないぃ~。今日なんて来なければよかったのにぃ~」
私は自室で寝転びながらクッションに顔を押し付けていた。
「弱々しい表情の春華も可愛いですわ。少し意地悪したくなりますの」
アンネリーゼが言った。
もうそろそろ家を出る時間だ。これ以上ウジウジしてはいられない。決意を固めなければ……。
私は重い腰を上げ、ついに立ち上がった。
「行ってきます……」
「行ってらっしゃいですの」
魔女に見送られながらバイトへ向かう私。
足取りが重い。身体が前に進むことを拒んでいる。前島のことを思い浮かべるだけで胸が苦しくなってくるものだ。
天気は曇り空だった。もしかすると一雨あるかもしれない。
まるで私の心を映し出しているかのような空模様だった。
「はぁ……」
ため息をつく。さっきから何度も無意識に短い息を吐いているような気がする。
そうこうしているうちに、バイト先の書店が前方に見えてきた。
歩くペースがさらにダウンする。このまま永遠に辿り着かなければいいのに、と思ってしまう。
「はーるかっ」
ダラダラと歩いていた時だった。
後ろから誰かに声をかけられた。
振り向こうとしたその瞬間。
私は背後から思いきり抱きしめられた。
馴染みのある抱擁の仕方だった。程よい柔らかさの胸が背に当たる。私がよく知っている感触……。
私はこれまで何度も、彼女にハグをされている。
「ま、前島さん……」
「おはよう。今日もいい天気だねぇ」
ニコニコと笑う前島奈々香の姿があった。
いつもと変わらない接し方だった。声のトーンも表情も、何ら変わりない。まるでこの前の出来事なんてなかったかのような振る舞いだ。
「えっと……。今すっごい曇り空なんだけど……」
「うん、そうだね。私にとってはこういう天気がちょうどいいんだよね」
私は表情が硬いままだった。どんな反応をしたらいいのかわからない。ここは笑うべきなのか、ツッコミを入れるべきなのか。
「どうしたの? 元気ないの?」
前島は不思議そうな顔で私を見つめている。
「これからバイトだよ? 元気出しなって」
ニッと笑う前島。
この女は何も感じていないのだろうか。どうしてこんなノリで私と話すことができるのだろうか。
彼女の無邪気な笑みは逆に不気味だった。なぜそんなに笑っていられるのか。
「何かあったの? 悩み事なら相談乗るよ?」
「あ、あの……。この前は……」
「この前? いつのこと?」
「前の火曜日……。私、何も答えてあげられなくて……。ごめんなさい……」
前島から目を背ける私。まともに彼女の顔を見ることができない。
「あー、アレね。アレは仕方ないよ」
「……えっ?」
予想していなかった反応に拍子抜けする私。
「こっちもごめん。いきなりあんなこと言われても、春華困っちゃうよね。ドン引きだったよね」
「そ、そんなことは……」
とっさに否定する私。
引いたというよりは、驚いた。
「だからあのことは忘れて。告白はなかったことにしてほしいんだ」
「もしかして、もう私のこと……嫌いになっちゃった?」
「まさか。そんなことないよ。今でも春華への気持ちは変わらない」
「じゃあ、どうして……」
前島からの好意は残ったままである。それなのに、あの告白はナシにしてほしいのだという。
「リセットってところかな。今の私じゃ春華からオッケーはもらえないことはわかってるから。だから返事はいらない」
「……」
前島は告白に対する返事を求めていないことを明かした。
「でも……」
前島は続けた。
でも、何だというのか。
「春華のこと、まだ諦めたわけじゃないから」
前島は晴れやかな表情だった。
「勝負はこれからだから。きっと春華を振り向かせてみせる」
「前島さん……」
彼女はポジティブな意志を見せるのだった。
「これからもいつも通りでよろしくね、春華。私たちは友達ってことで……」
「……うん」
「あと……」
「うん」
「私のことは、奈々香って呼んでくれていいよ」
下の名前で呼べ、ということらしい。
そっちの方が親しみがあるからね。
「わかった。そうするわ、奈々香」
「よし。んじゃ、今日もバイト頑張ろう!」
奈々香は私の腕を引っ張り、書店に向かって走り出した。
これでようやく、私のバイト先への憂いは晴れたのだった。
雲の隙間からは、太陽の光が差し込み始めた。
第五章、完
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