十五 生贄
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「何をおっしゃってるんですか? 全く意味がわかりません」
教授の奥さんの代わりに私が天国へ行く。さっき彼はそう言った。
彼の言う天国とは死後の世界を意味しているのだろうか。
私はこれまでに二度死んでいる。だが、肉体が滅んでも魂は死に抗い続けた。死への抵抗をやめることはなかった。だから天の門をくぐったことは一度もない。
村松は私に天の門をくぐれと言っているようだ。さらに要約すると、「死んでくれ」ということになる。
人助けのためとはいえ、誰かの身代わりになって死ぬという気は起らないものだ。私はここで死んでしまうわけにはいかないのだから。
「私の妻は重い病に冒されているんだ。もう長くは生きられないと医者も言っている……」
「えっ……」
私は教授宅のリビングに飾ってあった写真を思い出した。村松と一緒に写っていた女性の顔が脳裏に浮かぶ。
とても綺麗な人だった。写真の女性は明るい笑顔でピースをしていた。清楚な雰囲気をまとった美人妻である。
そんな彼女には死期が迫っているらしい。
村松は悲しみに暮れていた。
「でもね、一つだけ妻を救える方法があるみたいなんだ」
「私が死ぬ……ということですか?」
「ああ……」
「生贄になれってことですか? そんな呪術的な話、信じる方がおかしいですよ」
生贄を捧げるなんて、カードゲームじゃあるまいし。私は教授の手札にあるカードではないのだが。
私を生贄にしたところで奥さんの病気が治るはずがない。どのような根拠があって、教授は私を生贄にしたがるのだろう……。
「おかしなことを言っていると、自分でも理解しているよ……。だが、今はもう藁にも縋る想いなんだ」
村松は眼鏡を外し、ハンカチで涙を拭った。
「どうして生贄が私なんですか? 何か意味でもあるんですか?」
「ああ。君でなくてはならないのだよ。この役目を果たせるのは君しかいない。神様がそう言っていたんだ」
神様……?
これは……まさか……!
私は合点がいった。なぜ教授が生贄を必要とするのか。なぜその生贄に私が選ばれなくてはならないのか。その全ての理由がわかった。
これは神の仕業であったのだ。私を死の世界へ連れ戻すための策略だったというわけだ。
山之内のヒントにも納得がいった。彼は「裏切り」という言葉を残していた。それはつまり、村松教授の裏切り行為を示していたのだ。
私は教授を信用していた。紳士で真面目な教授である彼が、私に手を出すことはないと完全に信じ切っていた。だからホイホイ彼の家にまでついてきてしまった。
その結果がこのザマである。私は教授に眠らされ、こうして監禁されてしまっている。彼にすっかり騙されてしまったのだ。
警戒を怠った私が悪かった。キャンパス内で教授に誘われた時、何か理由をつけて同行を拒否しておくべきだった。
「神様は言った。柊くんを生贄にすれば、妻の病気を治してくれると……」
「それが本物の神だという確証はあるんですか? あなたは騙されているだけかもしれません」
「いいや、彼女はホンモノだよ。彼女は私を『神の間』という真っ白な空間に連れていってくれたんだ。そこは神に許された者しか入ることのできない神聖な場所だそうだよ……」
神の間……?
以前、山之内から神の間について聞いたことがある。かつてその場所で、神の後継者を決める争いが行われたのだという。
「神様は私に力を授けてくれた。時の流れを自在に操ることができる能力を……」
村松は神によって一人の能力者に変えられたのだった。彼もまた神の手下になったのである。
一般人を自分の手駒にする。それが今の神のやり方だ。
「そんな能力、何のために使うんですか……?」
「実はもう、能力は発動しているんだ。今この世界の時間は止まっているのだよ。私の手によってね」
そんなはずはない。では、今頃私たち以外の人間はどうなっているというの……?
私は腕時計を見た。すると、私がコーヒーを飲まされた時刻のままであることが判明した。
リビングには置時計があった。あれは午後二時前を指していたと思う。
私の腕時計は二時ちょうどを指している。よく見ると、秒針が一切動いていない。二十五秒あたりでピタッと停止していた。
まぁ、時計そのものが故障している可能性もあるが……。
「私の時計も二時を指しているよ。スマホもほら、さっきからずっとこのままさ」
教授は言った。どうやら本当に時間が止まっているみたいだ。
恐ろしい話である。村松が能力を解除しなければ、永遠に時は動かないのだから。
「神様の言ったとおりだ……。君は能力の影響を受けないみたいだね。他の人は動きを止めているのに、君だけは何も変わっていない」
それもそのはずだ。神の能力は他の能力者には通用しない。だから、村松が世界の時間を止めても、私の動きまでは止めることはできない。
山之内や岸和田もそうだろう。彼らは今頃、異変に気付いているはずだ。村松の能力を把握しているならば、私がピンチであることも理解しているだろう。
しかし、彼らは助けに来てはくれないと思う。山之内とはヒントのみの契約を結んでいるし、岸和田はあの性格だと私を助けることを面倒くさがりそうだ。
「時間を止めたところで、私はどうもしませんよ。もしかして、持久戦に持ち込むおつもりですか? このまま私を飢え死にさせようとでも? 言っておきますが、私は何度でも蘇る能力を持っているんです。死んでも生贄にはなりませんから」
たとえ命を落としても、私はまた肉体を復活させて生き返る。魂が天界へ行くことはない。
「知っているよ。神様から君の性質についても聞いているからね。君は死んでも死なないようだ」
「私は死にませんよ。生きる意志がある限り……」
何度でも生きてやる。たとえ何度殺されても……。
私には強い意志がある。生きたいと願う強い意志が。
「そのようだね。君の生きることへの執着心は凄まじい」
「ええ」
わかってるじゃないか。だから何をしようが無駄なのだ。
「ならば……。君の『生きる意志』をなくしてしまえばいいんじゃないか、と私は考えた」
村松は言った。
どういうこと?
彼はさっき自分が床にたたきつけたペンチを拾い上げた。そして、同じく床に落ちていた金槌も手に取った。
右手でペンチを持ち、左手に金槌を握る村松。
「君は生きている限り、もう痛みから逃れることはできない……」
壮絶な表情を浮かべる村松。
そのペンチと金槌で何をするつもりだというの……?
「今から君を……拷問する」
息を荒くした村松が私に近づいてくる。
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