八 独占
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これは修羅場というヤツだった。私は生まれて初めてそれを経験する。
私を囲んでいるのは複数人の少女たち。どれも見覚えのある顔だった。
彼女たちは死んだ表情を浮かべながら、私のことを恨めしそうに見つめている。
「春華さん……。ずっと私に隠してたんですね。お付き合いしてる人がいたことを……」
美波が言った。怒りと失望の入り混じった声で。彼女は私に裏切られたと言いたげな様子だった。よくも騙したな、と目が語っている。
「待って、美波。これには複雑な事情があるの!」
私とアンネリーゼは愛人関係の契約を結んでいる。しかし、これは魔女に脅迫されて致し方なく結んだ関係なのだ。そうしなければ、私は魂ごと滅んでしまうことになる。それに、あの時契約を結んでいなければ、私や美波は魔界からこの世界に帰ってくることができなかったのである。
私は美波を裏切るつもりなどなかった。アンネに特別な感情を抱いてはいない。あくまで建前の恋人関係なのだ。
だが、うわべだけの関係だったとしても、美波に対してそれを隠していたことが問題なのだった。私が彼女を欺いてきたことは事実である。
「ひどいよ春ちゃん。女の子とは恋人にならないって言ってたのに、桃以外の女の子とはイチャラブしちゃうんだ……」
涙を浮かべながらそう言うのは桃だった。
いつもは張りのあるツインテールが今はしなびている。腕はだらんと垂れており、顔は俯いたままである。彼女の底知れぬ悲しみが全身に表れていた。
「違う。そうじゃないの……。私はアンネに気があるわけじゃ……」
桃とは仲良くしたいと思っている。彼女のことは良き友人であると思っている。今ではかけがえのない存在だ。これからもずっとそうであってほしいと願っている。
だが、いくら仲良くなったとしても彼女と恋人関係にはならない。その意志はずっと貫き通すつもりだ。
一方、魔女との関係は不可抗力が原因だった。私が望んで魔女の恋人になったのではない。そこには愛や恋心など存在しない。
しかし、そのような弁解は彼女たちには通用しないのだった。彼女たちは自身の想いを踏みにじられたことが、何よりも許せないのである。
なぜアンネだけ。どうしてアンネだけ特別扱いされるのか。そのことが彼女たちには不服でならないようだ。
アンネは私の家でホームステイをしている。おまけに寝室まで同じである。
自分たちには越えられない一線というものがあったのに、どうしてアンネだけは簡単にそれを越えることが許されたのか。自分たちとアンネは一体何が違うというのか。彼女たちはそう訴える。
アンネが魔女だから……とは言えるわけがない。魔女の存在を美波や桃たちに知らせることなどできるわけがない。彼女たちには「平凡な日常」を生きてほしい。神の陰謀や魔女、能力者などの非日常的なものには気づかないでいてほしいのだ。
友人を巻き込みたくない。それは私の心からの願いだった。
「女の恋人がいたんだね、春華。男にしか興味ないって言ってたじゃん。それはウソだったというわけかい。私の気持ちを知りながら、どうしてそんなウソついたのかなぁ?」
「ご、ごめんなさい前島さん……。でもウソは言ってないわ。私が興味あるのは男だけだから。本当に女に興味はないの」
前島の表情は凍ったままだった。同時に軽蔑の目を向けてくる始末だ。
私は思わず彼女から視線を逸らす。
「ウソついて誰かと付き合うなんて、クズがすることだよね」
とどめの一言を告げる前島。
鋭い刃物が胸に突き刺さるような気分だった。
クズ。はっきりとそう言われたのは初めてだった。
私はクズだ。それは自覚している。クズでどうしようもない性格の女だ。きっと死んだら地獄に落ちても仕方がないレベルのクズっぷりである。
だけど、面と向かってそう言われるとなると、さすがに傷付く。
今まではクズだと気づかれずに生きてきた。偽りの自分を演じてまわりの人間を騙してきた。
それがばれてしまった瞬間が、まさに今だった。
「最低です。もう顔も見たくありません」
美波が言った。
「死んだ方がいいよ、春ちゃん」
桃らしからぬセリフが飛び出す。
「さよなら、春華。もう会わないよ」
「バイバイ春ちゃん。ウソつきは消えてほしいの」
「お別れです、春華さん。あなたのことなんか好きになるんじゃなかった……」
彼女たちは私の元を去っていく。何度も大きな声で「待って」と呼びかけるものの、彼女たちが振り向くことはなかった。歩みを止めることなく闇の彼方へと進んでゆく……。
「うふふ……。みんな春華から離れていきましたわ。春華を狙う邪魔者は消えましたの。これでわたくしがあなたを独り占めできますわね」
背中から何本もの黒い腕を生やしたアンネリーゼが囁いた。
黒い腕が私に強く絡みつく。それはこの先もずっと私を離してくれないような強さだった。
私に待っているのは魔女による永遠の束縛。逃れることのできない契約。
「いつまでも一緒ですわよ、春華……」
魔女は黒い腕で私を絞め殺すような勢いで抱きしめるのだった。
「や、やめてぇええええ!」
し、死ぬ……。本当に死んじゃうから! 身体が潰れる! 全身の骨が砕けちゃう!
魔女の力は人間のそれを凌駕する。もはや私にはそれに抗う術などなかった。
◆ ◆ ◆ ◆
圧迫感と暑苦しさで目が覚める。
ここは自分の部屋だった。私は布団の中にいた。
空が明るくなりかけていた。今はもう明け方だと思われる。
今のは全部、夢だったのか……。
心臓がバクバクと音を立てている。息も荒い。
それにしても、あれが夢で本当によかった。現実じゃなくてよかった。
究極の安堵感が私を支配する。速かった心臓の鼓動が徐々に緩やかになってゆく。
私は泣きそうになった。酷い夢だった。全てが終わったかのような内容であった。
どうしてあんな夢を見てしまったのだろうか。もしかすると、私の心には大きな罪悪感が潜んでいるのかもしれない。
不可解な点は他にもある。
なぜ私は今、圧迫感と暑苦しさに襲われているのだろうか。
背中には柔らかい感触があった。そして、白い手が私の胸を掴んでいた。
耳元から聞こえてくる寝息。ほのかに漂う甘い香り。全身に体温という名の熱が伝わってくる。
私は今、布団の中で抱きしめられている状態だった。
「春華ぁ……。わたくしの独り占めですわぁ~」
背後には寝言を垂れるアンネリーゼがいた。
そう、私を抱きしめているのは彼女だった。
「また勝手に私の布団に……」
私たちは別々の布団で寝ていたはずなのに、いつの間にか同じ布団で寝ている。
理由は明快だ。魔女が勝手にもぐりこんできたためである。
あー、鬱陶しい。離れなさいよバカ。
アンネはものすごい力で私を抱きしめていた。
っていうかこれ、どうやって抜け出せばいいのよ……。
私の身体は魔女の腕によってガッチリとホールドされており、身動きが取れないのだった。
最悪の目覚めと共に、今日という一日はスタートした。
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