十九 錯綜
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「もう歩き疲れましたわ。やはり大学まで魔法を使って移動するべきでしたわ……」
ヘロヘロになりながら私の後ろを歩くアンネリーゼ。私たちは徒歩で自宅の最寄り駅に向かっている最中だった。
美波と待ち合わせをしているので、その時間に遅れるわけにはいかない。余裕を持って家を出たつもりだったが、少し歩いただけでアンネリーゼがバテてしまった。私も彼女に合わせてゆっくりとしたペースで歩くことになったわけだが、このままじゃ間に合わないかもしれない。
「これくらいで疲れてどうすんのよ。あなた、ずっとあの部屋……『赤の鳥籠』だっけ? そこに引きこもってたんでしょ。日頃の運動不足が祟ったわね」
「人間界では持久力が魔界にいる時の五十分の一まで低下しますの。それに、魔女は基本的に怠惰なのですわ。特に用事がなければ外へ出ることはありませんの。もう暇で暇で仕方がなかったのですわ。だから自室に籠って人間界を観察することが、わたくしの一番の楽しみでしたの」
アンネリーゼの声は弱々しかった。引きこもりは体力がない。あと、声の出し方が下手くそだ。普段人と話さないから、声のボリュームが上手く調整できないのである。
なお、私は引きこもりの経験はないのだが、長らく友達がいなかったので、人と会話する機会が極めて少なかった。だから声が上手く出せない時期があった。つまり、ぼっちだと声帯が退化してしまうのだ。
「す、少し休憩しましょうよ……。そうですわ! ここでお茶にしませんこと? わたくしが美味しいアップルティーを煎れて差し上げますわ」
「何バカなこと言ってんのよ。駅はもうすぐそこだから我慢して歩きなさい。でないとここに置いてっちゃうわよ?」
アンネリーゼは道端のベンチに腰を下ろしている。モーニングティーを飲んでいる場合ではないというのに。
「……レモンティーの方がお好みでして?」
「味の問題じゃないから! もう、さっさと行くわよ」
「スパルタな春華……。興奮しますわ」
私は彼女の手を引きながら歩き出す。無理矢理にでも引っ張っていかないと、いつまでたっても駅には辿り着かない。本当に手間のかかる魔女だわ。
いい年した女二人が手を繋ぎながら歩いている。奇妙な絵面だ。
だが、これも仕方がないことだ。美波を待たせてはいけない。そして、講義に遅れるわけにもいかない。私は無遅刻無欠席の優等生なのだから。
「今日もいい天気ね。暖かくて気持ちいい」
空を見上げると、青一色だった。雲一つない青空が広がっている。
春の天気は変わりやすい。この晴天がいつまで続くのかはわからないけど、今日は雨の心配はないようだ。
とても陽気な朝だった。平和な日常を実感する。
だが、神の脅威はこれからも続く。私の安寧は長続きしない。変わりやすい春の天気と同様、私の日常はやがて嵐を迎えるだろう。
◆ ◆ ◆
駅のホームに着いた。いつもの乗り場に美波がいた。
彼女はこの世界に戻ってきたのだ。昨日は彼女が魔女に連れ去られて私はパニックになったが、いつもと変わらない美波の笑顔が、私を迎えてくれた。
「おはよう美波」
「春華さん! おはようございます」
本当に何事もなかったかのようだ。昨日という一日がウソであったかのように思えてくる。美波は平然とした様子で私の顔を見ている。
うん、これでいいんだ。彼女は何も知らない。この先もずっと知らずに生きていくんだ。
もう二度と美波を恐い目に遭わせたりはしない。
昨日のことも、なかったことにしよう。彼女の日常がいつまでも平穏であり続けるために。
「そちらの方は……?」
美波はアンネリーゼの存在に気付いた。
「えっと、紹介するわね。この人は留学生の……」
「アンネリーゼですわ。お気軽にアンネとお呼びくださいませ。今日からわたくしも、R大学に通うことになりましたの」
私の言葉を遮って自己紹介をするアンネリーゼ。いきなりでしゃばるなぁ。できれば大人しくしててほしいのだけど。
「アンネさん……。私は大野美波です。よろしくお願いします。日本語お上手ですね」
「うふふ。お褒めいただき嬉しいですわ。日本語はジャパニーズ・アニメで猛勉強しましたの」
ウソつけ。アニメのこと知らなかったでしょアンタ。
「あの……。ところでアンネさんは、どこに住んでいらっしゃるのですか?」
「それは私の家にホームステイを……」
「ホームステイですか?! は、は、春華さんのお家に?」
美波が叫んだ。
しまった。このことはあまり大っぴらに話すべきじゃなかったかもしれない。なんせ美波は私のことを……。
「春華さんと一つ屋根の下で……。う、羨ましいです! 私も春華さんのお家でホームステイしたいです!」
「美波?!」
やはりそうなりますよねぇ。
これは予想通りの反応だった。美波だって私の家にお泊りしたいはずだ。というか、前々から口にしていたことだった。
だけど、これ以上同居人が増えてしまうのは……。
「いいですわよ」
アンネリーゼが言った。
……って、何が?
「あなたも春華の家に来るといいですわ」
魔女は美波のホームステイを許可するのだった。
ちょ、何勝手なこと言ってんの。うちはアンタの家じゃないでしょうが。
「本当ですか……!」
目を輝かせる美波。
この子、本気で信じ込んでるよ……。私はまだ何も言ってないのに。
「あなたも一緒に咲かせましょう。春華の中に眠る百合の華を……」
「何のことかよくわからないですけど、そうしたいです!」
美波はアンネリーゼの話に食いついた。
いやいや、勝手に話を進めないでくれる? アンタたち何言ってんの?
事態はますますややこしくなるのであった。
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