十六 帰還
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魔女と愛人契約を結ぶ。そうしなければ、美波は目を覚まさない。そして、私の魂さえも滅ぶことになってしまう。
驚くことに、魂が滅ぶのは私だけでなく魔女もである。アンネリーゼは自分の魂を賭けてでも、私と愛人関係になりたいと望んでいるのだ。どうしてそこまでできるのか。どうして、愛という感情のために命まで投げだせるのか。
魔女には我が身を捨てる覚悟があった。愛のためならば死ねる。そんな強い決意が私を追い詰めた。
この勝負、私の負けだ……。
「わかった。あなたの言う通りにする。だから、美波を眠りから覚ませて。私たちを元の世界に返して」
私は敗北を認め、魔女の要求を呑むことにした。
こうして、私は魔女から逃れることができない身になってしまった。
自由を失い、束縛を手に入れた。
「感謝いたしますわ。これで、わたくしとあなたは……」
アンネリーゼは私を抱きしめる。
魔女の甘い匂いが鼻腔をくすぐる。なぜか落ち着く香りだった。
私はもう完全に魔女のモノとなってしまったのだ。
男性と恋人関係になる。それが私の願いだった。だから、同性でありながら私に想いを寄せてくる美波や桃とは友人という関係を断固として貫いてきた。
それなのに、私は魔女の「覚悟」に押されて初めての恋人を手に入れてしまった。絶対に有り得ないと思っていた女の恋人ができてしまった。
だが、私の心までもが魔女のモノになったわけではない。私はまだ百合に落ちてはいないのだ。
アンネリーゼは私の心の中にある百合の華を咲かせると言った。そんなものはあるはずがないというのに。
百合に目覚めることはない。たとえ魔女がどんな手段を用いようとも。
とりあえず、今は魔女に従っておこう。逆らえば私の魂は滅んでしまうようだから。
偽りの神から平穏な日常を取り返すという野望を成し遂げるためには、ここで死ぬわけにはいかない。いつか訪れる反撃のチャンスを待ち続けるしかない……。
「では参りましょう。人間界へ」
「ええ」
私と美波はアンネリーゼに連れられて、元の世界へ帰還することになった。
美波はまだ眠っている。魔法を解くのは人間界に帰ってからにしてほしいと私が魔女に注文したのだ。
こんな場所で目を覚ませば、彼女はきっと混乱するだろう。私はずっと、彼女には陰謀に巻き込まれていることを自覚してほしくないと思っている。だから、今日ここで起こったことも魔女の魔法も、美波には知らずにいてほしい。
そうだ。美波は何も知らなくていいのだ。彼女には平穏に過ごしてほしい。神の脅威には私が一人で立ち向かう。何があろうとも、彼女のことは私が必ず守ってみせる。
アンネリーゼが呪文を唱える。すると、床の上に突如、魔方陣のようなものが出現した。
魔方陣は紫がかった光を放ちながら、その場でゆっくりと回転している。
「ゲートが開きましたわ。ここをくぐれば人間界へ出られますの」
どうやらこの光の輪が魔界と人間界を繋ぐゲートのようだ。
私は眠る美波をお姫様抱っこしながら、ゲートの上に立つ。続いてアンネリーゼも私の隣に立った。
「この子が羨ましいですわ。春華にとても大事にされているようですわね……」
魔女は美波の頭を撫でる。
「ええ、だってこの子は私にとって大切な存在だから」
私は答えた。
魔方陣から光の柱が伸びる。私たちはその光に包まれた。
これでやっと、元の世界に帰れるのね。
あ、でもバイトの時間が……。もうとっくに過ぎてるんじゃ……。
私は頭が痛くなってきた。どうやって遅刻の言い訳をしようかしら。
「魔界に拉致されてました」なんて信じてもらえるはずがないし……。
◆ ◆ ◆ ◆
光に包まれて数秒が過ぎた。そして次に光が消えた途端、私は身体が温かくなるのを感じた。それと同時に、全身が水に濡れているのがわかった。
これはまるで、服を着たままお風呂に入っているような感覚だった。
いや、間違いなくここは風呂だ。湯船の中だ。お湯の張った浴槽の中に私はいる。
アンネリーゼは言っていた。人間界と魔界を繋ぐためには水のある場所が必要であると。だから私は魔界から人間界の風呂に転移したのだと思われる。
で、ここは一体どこのお風呂なのだろう。誰かの家だと思われる。
「ランランラーン♪」
脱衣所の方から呑気な歌声が聞こえてきた。この家の住人だろか……。これから入浴するつもりのようだ。
ウソでしょ。最悪のタイミングじゃない!
とにかくこのままではマズい。こんなところに居たら大騒ぎになってしまう。不法侵入で訴えられる可能性大。退学処分も免れないわ……。
「おっふろー♪ おっふろー♪」
そして、住人は風呂の扉を開けて浴室に入ってきた。
お、終わった……。私のキャンパスライフ終わった……。
「わぁああああああ!」
当然のごとく、住人は湯船の中にいる私の姿を見て驚きの声を上げたのだった。
私は頭が真っ白になった。
ああ、もうこのままお湯の中に沈んで消えてしまいたい……。
慌ててお湯に潜ろうとしていると……。
「あ、あれ? 春ちゃん……?」
聞き覚えのある声がした。
私は見上げた。この家の住人の顔を確認する。
「も、桃……!」
なんと、そこにいたのは全裸の桃だった。「服を着ろ変態」と言いたいところだが、これから入浴するつもりだったので、裸なのは当たり前である。
いつものツインテールではなく、髪を下ろしている状態だった。結構長い。
「あれー? どうしたのー? どうして春ちゃんが桃の家のお風呂にいるの?」
「いや、その……。これは……」
どう説明したらいいのよ!
「そっか! もしかして!」
「え……?」
「桃に会いに来てくれたの? 桃と一緒にお風呂入りたかったんだね!」
「そ、そんなわけないでしょ!」
「もー、春ちゃんったらぁ。いつもは桃の家に行きたくないって言ってるくせにぃ~。来たいなら来たいって素直に言っちゃいなよぉ」
「ち、ちがーう! そんなんじゃないってばぁ! っていうか、前隠しなさいよぉ!」
「あれぇ? 春ちゃん恥ずかしがってる? かーわいいー」
なぜか私は桃の家の風呂に転移してしまった。転移先が知り合いの家で助かった。だが、これはこれでマズい状況だ。
「恥ずかしがらなくていいよ。春ちゃんも、お風呂入るならお洋服は脱がないとダメだよぉー」
「ぬ、脱がさなくていいから!」
私は桃に衣服を剝ぎ取られる。
びしょびしょになった服は桃が脱水機にかけて乾かしてくれるそうだ。
この後、私は桃と二人で同じ湯船に浸かることになった。桃に時間を尋ねると、私が大学のトイレで魔界に連れ去られた時刻からさほど経過していないことがわかった。
桃は帰宅してからすぐに入浴する習慣があるのだという。だからこんな夕方前の時間からお風呂に入っている。
「春ちゃんとお風呂……。桃、幸せ」
二人で入るには狭い湯船なので、私たちは浴槽の中で密着する形となっている。桃の素肌が私の右半身にピタッとくっついている。
今日は色んなことがあって疲れた。私は疲れを癒すため、しばらくこのままお湯に浸かっていたい気分だった。
さて、これからバイトがあるわけなのだが、服もすぐには乾かないし、電車に乗って自宅に戻る必要もある。これじゃあ完全に間に合わない。
今日はバイトをサボる必要がありそうだ。
どうしよう。今までずっと真面目に働いてきたのに。これじゃあ信用がた落ちね……。
こうなったのは魔女のせいだ。このことは魔女の魔法で何とかしてもらおう。
私は全ての始末をアンネリーゼに任せることにした。
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