四 関係
「いらっしゃいませぇ」
媚びを売るような甲高い声で私は言った。
書店のレジに立ち、客が来店するたびに挨拶をする私がいる。
そう、なぜなら私は本屋でアルバイトをしているからだ。
アルバイトは経験が重要だ。経験を積み、慣れることで、作業を手際よく行うことができるようになる。
ブックカバーを本に付けたり、レジで精算をしたり、やらなければならないことはたくさんあるが、どの仕事も一つ一つ正確にこなすことが求められている。
また、接客には笑顔も大切だ。
私はいつも笑顔を心掛けている。
私ほどの美少女がほほ笑むと男性客はきっとドキドキしているに違いない。釣銭を渡すとき、手と手が触れ合って顔を赤くする男子中学生もいる。
私は初心な男性客の反応を見て密かに楽しんでいる。目を合わすことすらできない童貞風の眼鏡男は特に面白い反応を見せてくれる。その言動一つ一つが、まさに典型的なキモオタって感じがするのだ。そういう客はたいていライトノベルや漫画を買っていく。彼らは美少女モノが大好きであるみたいだ。
私もライトノベルはよく読んでいる。ラノベを購入する客に「これ面白いですよね」と、言いかけてしまったこともある。
おそらく客は私がオタクであることに気づいていないだろう。もしも書店の美少女が自分たちと同じ人種であることを知れば、仲間意識を感じて興奮するに違いない。
私は黒髪ロングのストレートだ。いかにもキモオタが好きそうな髪色と髪型をしている。
とはいえ、別に私はキモオタに好かれたくてこの髪をしているわけではない。私が黒髪なのは何か目的があるからではないのだ。何もする気はない。何もしてこなかったからこそ、このヘアスタイルに落ち着いている。断じてキモオタのウケなど狙っていない。
だいたい何が嬉しくてキモオタに好かれなくてはならないのか。キモオタに媚びを売って何の得があるというのか。
そういうことをするのはオタサーの姫くらいである。
オタサーの姫はよく見るとブスであることが多い。所詮はブスだから非モテで女に飢えたキモオタの気を引くことくらいしかできないのだ。正真正銘の美人である私はキモオタにチヤホヤされていい気になっているだけの女とは違う。
大学に入学した途端、多くの女が髪を茶色に染める。そして滑稽なことに似合っていない者が圧倒的に多い。
どいつもこいつも同じ色に染めてしまい、個性というものを失っている。女子大生の集団は、もはや茶色の海と化している。肥溜めといってもいい。私はそんな汚物のような存在に成り下がるつもりはないので、生まれたままの黒髪で過ごしているのだ。
オタサーの姫も大学デビュー女も、とても愚かな存在である。だが、男はもっと愚かである。
性格の良いブスと性格の悪い美人ならば、男は後者を選ぶ。男とはそういう生き物なのだ。要するに、女は見た目さえ良ければいいのである。男は肝心の中身を見ようとはしない。とても愚かであるといえる。
そして、私という性格の良い美人がいるというのに、それに気づかないという点が、ますます男の愚かさを際立たせている。
世の中バカばかりだ。呆れてものも言えない。
「柊さん。そろそろ上がっていいわよ」
「あ、はーい。ではお先に失礼します。お疲れ様です」
同じアルバイトのおばさんが閉店の時間であることを知らせてくれた。どうやら先に上がってもいいと言ってくれているようだ。
これで今日の仕事はおしまいだ。
明日も一限目から講義があるので今日は寄り道せずまっすぐ帰る。早くお風呂に入って寝ようと思う。
本屋を出るとスマホが鳴った。メールを受信したようだ。
私にはメールをやり取りするような友達がいないので、メールの差出人は母親と迷惑メールの送り主である場合がほとんどだ。たまに父親から送られてくることもある。
しかし、今来たメールはいつもとは違った。家族からのメールでもなければ迷惑メールでもない。
それは今日出会ったばかりの女子高生、大野美波から送られてきたものだったのだ。
私はドキッとした。なぜか妙に緊張している。
美波は大学に入って初めてできた友達だった。そして、彼女は私に片思い中である。
そういえば、今夜メールするって言ってたな……。
恐る恐るメールを開く。たかが一通のメールに、ここまで怯える必要などないではないか。
一体どんなことが書かれているのだろうか。いきなり愛の告白とかされたりするのだろうか。
美波から送られてきたメールは、以下の通りである。
『こんばんは。大野美波です。はじめてメールをさせていただきます。今日は突然すみませんでした。ずっと憧れだった春華さんとお話しすることができて、とても嬉しかったです。どうかこれからもよろしくお願いします』
予想していたよりも随分普通の内容だった。てっきり『抱いてください』とか書いてあるのかと思っていた。無駄に身構えてしまっていた自分が馬鹿馬鹿しく思えてきた。
私は一気に体の力が抜けていくのを感じた。
そうよ。私と美波は普通の友達なんだ。特別な関係になったわけじゃない。何も意識する必要なんてない。彼女には普通に接すればいいではないか。
だが、今までろくに友人がいなかった私は、『普通の接し方』というものがいまいちわからなかった。
果たして友達って何なのだろうか。
私は友達という概念に不気味さを覚え始めたのであった。