十三 愛人
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魔女アンネリーゼは神との協約を破棄することになった。人間に生まれ変わることを諦め、魔女のまま人間界へ移り住むことに決めた。彼女は私の説得に応じてくれたのだった。
岸和田に続き、新たなる神の反逆者が誕生した瞬間だった。こうやってどんどん神からの離反者を増やしていくことが、私の作戦でもある。今は神の包囲網を形成する時期だと言える。
偽りの神を神の座から引きずり下ろす。そして、世界を正しい方向へ導く。美波の事件のような悲劇を二度と繰り返さないために。そして、私の平穏なキャンパスライフを取り戻すために……。
「人間界に行ったら、本当にあなたも女子大生になるつもりなの?」
「もちろんですわ。わたくしは春華と同じ環境で生を送るという夢があるのですから」
「でもどうやって? 大学って試験を受けないと入れないのよ? 学費も必要だわ」
希望すれば誰もが女子大生になれるわけではない。条件を満たさなければ、門をくぐることは許されないのだ。人間の世界はそう甘くない。
「問題ありませんの。全て魔法で解決いたしますわ。魔法を使えば情報操作も記憶の改ざんも自由自在ですの!」
うわ、汚い。魔女ズルい。
私は大学に通うという夢を十年かけて叶えたというのに、この魔女は魔法と言う名のインチキで願望を実現させるつもりのようだ。チート反対。だめぜったい。
「ところでずっと気になっていたんだけど、私をここへ連れてきたのはあなたなの?」
「いかにも。春華をこの『赤い鳥籠』にご招待したのは、紛れもなくこのわたくしですわ……」
「やっぱり……。でもどうしてあんなやり方をしたの? なんか変な手とか出てきて、すごく怖かったんだから!」
私は大学のトイレで個室に閉じ込められた。出られないという絶望感に加え、便器から不気味な音が聞こえてくる恐怖に襲われた。そして、便器から伸びてきた謎の黒い手が、助けを求めて泣き叫ぶ私を捕まえたのだった。黒い手は私をそのまま便器の中へ引きずり込んだ。
その後のことは覚えていない。気づけばこの空間にいた。
「魔界と人間界を繋ぐ扉を開くためには、水のある場所が必要ですの」
「それで水洗式のトイレを選んだというわけね」
魔界……? つまりそれって、今いるこの場所は魔界だってこと?
もう魔界だろうがなんでもいい。魔女や魔法をこの目で見てしまった時点で、多少のことでは驚かなくなった。だって神や能力者がいるくらいだもの。私自身も創造の力を持った能力者なわけだし。
「ずっと待っておりましたわ。春華が水の近くにやって来る瞬間を」
「水があればいいのね? じゃあ、お風呂やプールでもよかったの?」
「その通りですの。はっ……!」
突然、アンネリーゼは目を見開いた。何か重要なことに気付いた様子だった。
「お、お風呂……! そうですわ。お風呂ですわ!」
「え? お風呂がどうしたの?」
「春華が入浴中のタイミングを狙うべきでしたわ……。そうしていれば、服を着ていない無防備な姿の春華を……!」
「あのねぇ……」
「裸体を晒して顔を赤らめる春華。そしてわたくしは、そんな春華をじっくりと……」
はぁはぁ、と荒い息で語り出すアンネリーゼ。目がキモイ。
「……いっぺん死んでみる?」
この変態魔女め。裸の状態で魔界に連れてこられなくて本当によかった……。
「美波はどうやって連れ去ったの? あの子も黒い手で便器に引きずり込んだの?」
「いいえ、違いますわ。この少女は今朝、川の近くを歩いていらしたので、そこを狙いましたの」
魔女はソファの上で眠る美波の頭を撫でた。
捨てられた子猫を保護したときのような目を向けている。
「この子には申し訳ないことをしましたわ。罪もない彼女をわたくしの欲望のために巻き込んでしまいましたの……」
「全くよ。美波は何も悪くない。この子はずっと陰謀に巻き込まれてばかりだわ。あの偽物の神のせいでね」
「罪滅ぼしとして、彼女の願いを一つだけ何でも叶えて差し上げようと思いますの。わたくしの魔法を使って……」
何でも魔法で解決してしまう。それがこの魔女のやり方のようだ。
何でも叶えてくれる。もしそう言われれば、私なら「稼ぎの良い旦那が欲しい」ってお願いするかな。
美波は何をお願いするのだろう。かなり気になるものだ。
「あなたはさっき、情報操作と記憶の改ざん……とか言ってたわよね? 美波のことを皆が忘れていたのは、あなたの魔法が原因なの?」
「はい。一人の人間が突然姿を消せば、人間界に大きな混乱を招くことになりますわ。騒ぎを起こさないためには、魔法の力で人間の記憶を書き換える必要がありますの」
「でもどうして私の記憶は書き換えなかったの? それに私以外にも、美波のことを覚えている人がいたわ」
岸和田は美波を知っていると答えた。おそらく山之内も覚えているはず。神の能力を持つ者だけ、美波に関する記憶を失っていない。だから私は最初、人間の記憶を操る能力者の仕業であると予想していた。神の能力は他の能力者には通用しないというルールが存在するからだ。
だが、魔女の魔法は神の能力とは別物であるはずだ。魔法なら私たち能力者にも作用するのではないだろうか。
「わたくしにもわかりませんわ。魔法を無効化する人間が、なぜか一定数存在しますの」
魔女にもわからない。魔法の無効化は原因が明らかになっていないようだ。
まあそれでも別に構わないのだが。おかげで今後は魔女の「人の心を覗き見する」魔法で私の思考を読まれる心配がなくなったわけだし。以前はバッチリ読まれてたみたいだけど……。
「よくわかってないなら仕方ないわね。それで、美波はいつになったら目を覚ますの? あなたの魔法で眠ってるんでしょ?」
「もう一度魔法をかければ、大野美波は目を覚ましますわ」
「じゃあそろそろ起こしてあげて」
美波は恐らく、今朝からずっと眠り続けているはずだ。おかげで講義を欠席することになった。可哀想に。講義を絶対に休まないと宣言するくらい意欲的だったのに。
「目を覚ます魔法をかけるには、一つだけ交換条件がありますの」
「また条件を付けるの? 神とは手を切るって約束したじゃない」
「神は関係ありませんわ。これはわたくし自らが要求することですの」
「あっそう。……で、条件って何?」
最初から一貫して面倒くさい魔女だなぁ。
アンネリーゼはそう簡単に言うことを聞いてくれない。
「わたくしと契約を結ぶのですわ、春華……」
契約……?
私は山之内とも契約を結んでいる。魔女とも契りを交わすことになれば、それは二重契約となる。以前プロ野球でも二重契約を結んだ助っ人選手が問題になっていたものだ。
でも、魔女との契約なら問題ないわよね?
「契約の内容は何? 対価として私の寿命を五十年もらう、とかじゃないでしょうね?」
「そういったものではありませんわ。もっと奥が深いものですの」
「じゃあどういう……」
アンネリーゼは笑みを含みながら答えた。
「春華がわたくしの愛人として大学生活を送る、という内容ですわ。要するに、『愛人契約』ですわね!」
「……はい?」
私は魔女を舐めていた。
この女は何が何でも私を手に入れるつもりらしい。
アンネリーゼの愛人? そんなの無理なんですけど。
恋愛をするなら相手は男。このスタンスを崩されるわけには……。
だが、このままでは美波は永遠に目を覚まさない。魔女の契約を受け入れるしかないのか。いや、でも……。
一体どうすればいいの?
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