十二 停戦
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美波は赤いソファの上で寝かされている。彼女は魔女の魔法で眠らされているものと思われる。
これは岸和田が襲撃してきた時の状況と似ている。あの時私は眠っている彼女を殺すように要求された。今ここにいる魔女もまた、それと同様の要求をしてくるのだった。
私は魔剣を構えた。戦闘継続の意思表示だった。
どうにかして魔女を説得できないだろうか。このまま闘い続けても、決着は付かないだろう。人間である私の力では魔女を倒すことはできない。そして、私は魔女に殺されても生き返ることができる。創造の力を使って何度でも蘇るのだ。だから私も魔女も「負け」になることはない。
「まだ続けるつもりですの? こんな戦いは無意味であると、あなたはわかっているのではなくて? 人間が魔女に勝つことなど不可能ですわ」
「そうかもしれないわね。あなたが本気を出せば、私なんてすぐにやられちゃうでしょうね」
「その通りですわ。まだわたくしは手加減をしておりますの。先程は少しカッとなってしまいましたが、本気で殺意を抱いていたわけではありませんわ。わたくしが愛しの春華を殺せるはずありませんの」
そう言ってアンネリーゼは微笑む。
いや、ウソでしょう。あの目は本気だった。殺意むき出しの目だった。
「私は別に大丈夫よ。死んでもまた生き返るから」
「そういう問題ではありませんわ。わたくしはあなたを傷付けたくありませんの。痛い思いをしてほしくないのですわ」
アンネリーゼは私の左頬に右手を当て、ゆっくりと撫で始めた。
彼女は穏やかな笑みを浮かべている。本当に私のことを愛しているみたいだ。魔女らしからぬ優しい瞳をしていた。
「どうしてあなたは神と手を組んだの? あなたに何のメリットがあるというの?」
神は美波を亡き者とするために、そして私を懲らしめるために魔女と手を組んだ。神の要求を呑んだ魔女は、どういうつもりをしているのだろうか。
「神を名乗る少女はわたくしにこう言いましたわ。柊春華に大野美波を殺害させることに成功すれば、わたくしを人間に生まれ変わらせてくれる……と」
「人間に生まれ変わるですって……? あなたはそんなことを望んでいるというの?」
「ええ。わたくしは人間に憧れていたのです。人間になればあなたと心を通わせることができるはずですの。魔女である今のわたくしには、人間の心というものがよく理解できませんわ。春華の心を読む魔法が使えなくなった今のわたくしが報われるための唯一の方法……。それが人間への転生なのですわ」
アンネリーゼは大剣を置き、魔剣を持つ私の両手を握った。ヒヤッとするような冷たい手だった。
魔女が人間に恋をする。そんなことが起こり得るのか。
人間と魔女。両者の姿や形に大きな違いはない。だが、中身というものが違い過ぎる。それ故に、お互いの心を通わせることはできない。彼女はそう考えているようだ。
「そう……。残念だけど、あなたが人間に生まれ変わったところで、急に人の心がわかるようになることはないと思うわ」
私はアンネリーゼに現実を教えてやることにした。
「どうしてですの? どうしてそんなことが言えますの?」
「人の思考なんて誰にもわからないのよ。エスパーでもない限りね。私も一応人間だけど、他の人間の心の中なんて全然見えてこないわ。結局のところ、自分は自分、他人は他人なのよ」
「そんな……」
落胆する魔女。希望を打ち砕かれたかのようだ。
「でも、他人を思いやることならできるわよ」
「思いやる……?」
「うん。相手の心は見えないし読めない。だからこそ、相手を気遣おうとする気持ちが生まれるの。どうやったら喜んでくれるだろうとか、どうやったら元気づけられるだろうかって……。私はそれで十分だと思うの」
「ですが……魔女のわたくしに人間を思いやることなんてできますの……? わたくしも人間になる必要があるのではなくて?」
「そんな必要ないわ。だって、あなたは今でも十分、私を思いやってくれているじゃない」
「わたくしが……思いやりを……?」
アンネリーゼは全く心当たりがない様子だった。頭を捻っている。
「あなたは私を殺そうとはしなかった。私を傷付けたくないと思ったから」
「それは……」
彼女が本当に他人を思いやる心を持っていないのだとしたら、そもそも私を好きになることもなかったはずだ。
愛という感情が芽生えた時点で、魔女も人間も同じ心を持つようになる。それは愛する者をいたわる心だ。
私は恋愛的な意味で誰かを愛したことはない。だが、美波をはじめとする友人たちを愛している。彼女たちを愛しているから、毎日が生き生きとしてくるのだろう。だから私は、愛こそが生きる力なのだと思う。
「別に魔女のままでいいじゃない。人の心が読めなくてもいいじゃない。むしろ人間の心は読めない方がいいと思うわ。読みたくもない部分まで読んでしまうと、きっと生きづらくなるはずよ。人間の考えていることは汚い部分も多いから。多分、魔女のあなたの方が人間よりもずっと清らかだわ」
「き、清らか……! ええ、そうですわ。この身体は春華に捧げるためにあるのですわ。だからこの四百年間、わたくしはずっと純潔を守りぬいてきましたの!」
アンネリーゼは興奮気味に話した。
清らかっていうのは、そういう意味じゃないからね? そういう意味では私もすっごく清らかよ。中身の方はゲス汚いけど。
魔女よりも人間の方が恐ろしい。もし人間に魔法が使えたら、人の世はもっと醜いものとなっていただろう。人間が魔法を持たなくて正解だったといえる。
そして、今の神も元々は人間の少女だった。神になったとはいえ、人間の醜い部分を持ったままなのだ。そんな奴が神の力を私利私欲のために使っている。このことを認めるわけにはいかない。
十年前の事件で大野美波は死んだ。それは神の仕業だった。
前からずっと気に入らなかったから。ただそれだけの理由で神に殺されるハメになった。
やはり今の神は神とは言えない。絶対に私がそれを改めさせる必要がある。
「人間になる必要はないわ。あなたはそのままでいいの。私は魔女のあなたが素敵だと思ってるから」
「春華……」
アンネリーゼは目に涙を浮かべた。
「だから、あなたが神に従う理由もなくなったわ。これは私からのお願いよ。神とは手を切って」
「そうですわね。わたくしは魔女のままでいいのですね。人間にならなくてもいいのですわね……」
アンネリーゼの大剣が光の粒子となって瞬く間に消滅した。彼女は戦闘を放棄する気になったようだ。
こうして、私は魔女を神の陣営から寝返らせることに成功した。私は岸和田に続き、魔女までもを味方に取り込んだのだった。
だが、本当の試練はここからだった。
私はまだ魔女を甘く見ていたのだった。
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