八 鳥籠
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目を覚ますと、私は見知らぬ空間で倒れていることがわかった。
赤い絨毯の上で横たわる私。目の前には大きな窓がある。窓からは分厚い灰色の雲が空を覆い隠しているのが見えた。
ここは洋風の部屋だった。そして、部屋中が赤色だった。
赤いカーテン付きの大きなベッドや高級そうな赤いソファーやテーブルが置かれている。おそらく誰かの寝室であると思われる。赤い壁にはランプが掛けられており、そのランプの炎が部屋をぼんやりと照らしていた。
色合い的に温かみを感じさせる部屋だった。ここは立派なお屋敷に違いない。私もいつか、こんな家に住んでみたいものだ。
ところで、どうして私はこんな場所に来ているのだろうか。今まで何をしていたんだっけ?
ああ、そうだ……。私は黒い手に掴まれたのだ。トイレの個室に閉じ込めれられて、なぜかいきなり便器から手が伸びてきたのだった。そして、そのまま便器に引きづり込まれて……。
私は意識を失う直前の出来事を思い出した。あれはまるで夢だったかのように思われる。気味の悪い夢を見ていたものだ。
だが、この部屋にやって来た経緯がわからないままだ。何のために私はここへ来たのだろう。どうやってここまで来たのだろう。
そう不思議に思っていると……。
「お目覚めになられたようですわね」
声が聞こえた。
女の落ち着いた声だった。
私はその声がした方を見た。すると、さっきまで誰も座っていなかったはずの赤いソファーに、ゴスロリ系の衣装を着た女が腰かけていた。そんな! いつの間に……!
女は優雅に紅茶を飲みながら、私を見て微笑んだ。
なんという美人だ。私と張り合えるレベルじゃないか。そのゴスロリファッションが何のコスプレかは知らないけど、コスプレで対決したら素人の私よりも遥かに様になっていることだろう。
前髪パッツンでブロンドのロングヘアーだった。瞳の色は水色だ。そして、衣装の色は黒。全身が黒で埋め尽くされている。そのせいか、彼女の肌の白さが際立って見える。
私に劣らぬ美肌……。ぐぬぬ、生意気な。
「あなたは誰? ここはどこ? どうして私はこんなところにいるの? っていうか、その格好は何なの?」
「うふふ。そんな一気に質問されても困りますわ。少し落ち着かれてはいかがですこと?」
そのしゃべり方は何だ。何のキャラの真似だ。
また変な女が現れたぞ。
「わたくしはアンネリーゼと申しますわ。お気軽に『アンネ』とお呼びください」
名前まで何かの設定に基づいてるのか。そういう名前のアニメキャラっていたかしら? ちょっと記憶にないわね。
川口さんにこの人を会わせてみたい。きっと彼女は「ゴスロリ系の美少女! 千年に一度の逸材ですぞー」とか何とか言いながら、興奮して写真を撮ることだろう。
「ここはあなたの部屋なの?」
「ええ、そうですわ。ここはわたくしの魔法で生み出した空間……。通称『赤の鳥籠』ですわ。今は諸事情により、世間から身を隠して生活をしておりますの」
アンネリーゼと名乗るゴスロリ女は、ティーカップをテーブルに置いて、すっと立ち上がる。
そして、私の方にゆっくりと歩み寄る。
部屋の名前とかはどーでもいいけど、今この人、魔法とか言わなかった?
「あなたは何者? 魔法ってどういうこと?」
「わたくしは魔女ですわ。そして、魔法は魔法ですわ」
全く説明になっていない。つまり、彼女は中二病ってことでオーケー?
痛々しい人だなぁ。顔は良いけど頭が残念ね。私そういうのは、そろそろ卒業した方がいいと思うの。
年齢は私と変わらないように見える。もしかすると、化粧という名の魔法で若作りをしているのかもしれないが。
私は魔女を名乗る女を見つめた。彼女もまた、私をじっと見つめている。
何なの、この空気。どうしてこの人さっきから私のことを見つめるのかしら。
「綺麗ですわぁ……」
「はい?」
魔女は両手で私の頬に優しく触れた。ヒンヤリと冷たい手だった。
そして、うっとりとした目とほのかに赤くなった顔を私に向けてくるのだった。
甘い吐息が降りかかってくる。息遣いが聞こえてくる。
この人は何がしたいのか。
「あなたこそ私が求めていた光の玉……。あなたに会えた今日は、四百年の人生の中で最も喜ばしい日ですわ」
「な、何を言ってるんですか……?」
四百年の人生? 何それ? あんたババアなの?
つまり、彼女は「四百年の時を生きる魔女」……という設定なのだろう。
とはいえ、この状況は意味が分からない。どうしてこの人、さっきからハァハァ言ってるの? ハッキリ言って気持ち悪いんですけど。
「わたくしのモノになってくれませんこと?」
「はぁ? なるわけないでしょ」
「わたくしなら、あなたの願いを何でも叶えて差し上げますわ」
「何でも……?」
「ええ。あなたに不自由はさせませんわ。わたくしと、この空間で悠久の時を過ごしてくださると誓っていただけるのなら……」
うん、やっぱり頭おかしいわこの人。魔女とか四百年とか、頭の中がファンタジー過ぎる。一度病院で診てもらった方がいいかもしれないわね。
冗談はいいから。もうさっさと早く帰りたいんだけど。私はこれからバイトがあるのだ。
「詳しい話はまた今度にしましょう。今日のところは帰るわ。出口を教えてちょうだい」
「うふふふ……。この空間に出口などありませんわ」
魔女は笑う。
そういうのはもういいってば……。
だが、本当にこの部屋には出口が見当たらないのだった。じゃあどうやってここに入ったのか。あの大きな窓から? どうしてそんなわざわざ面倒なことを……。
「扉はないの? そんなの不便じゃない?」
「少しも不便ではありませんわ。だってここは、あなたの願いが全て叶う場所ですもの。ここから出る必要なんてないのですわ」
「ふざけたこと言わないで。私はこの後バイトがあるの。このままじゃ遅刻するでしょ。店に迷惑かけたら、どう責任とってくれるの?」
ただでさえ今は人手が足りないのだ。私一人が遅れただけで、他の従業員にとって大きな迷惑となる。
この女にはそのことを考慮してもらいたいものだ。
「そんなことを気にする必要はありませんのよ。もうあなたは働かなくていいのですから。働かなくてもずっと生きていくことができますわ。この部屋にいる限り、永遠に……」
「いい加減にして。私は働かないと生きていけないの。今月は財布がピンチなの。そのへんをわかってくれないかしら?」
所持金は七百円足らずだ。これじゃあラノベを一冊くらいしか買えない。
私はまた今度、後輩たちに奢る約束をしている。だからキチンと貯金をしておかなければならないのだ。
「いいから早く家に帰して。あなたとは今度ゆっくり相手してあげるから」
「うふふ。もうあなたに帰る場所なんて残されていませんわ。もう誰もあなたのことなど覚えていないのですから……」
「はぁ? さっきから意味不明なことばっかり言わないでよ」
「あなたの存在は忘れ去られたのですわ。人間界にあなたの痕跡は残っていませんの」
人間界……? もう末期だわ、この中二病患者は。
じゃあここはどんな世界なのよ?
「あなたはわたくしと、ずっとこの空間で過ごしますのよ」
「嫌よ。私には友達がいるの。バイトがあるの。観たいアニメがあるの。だから帰る」
「おかしいですわね……。あなたは以前、こう思っていたのではないですこと? 働かずに暮らしたい、友達なんて別にいらない、人付き合いは面倒……と。ここではそれが全て実現できるのですわ。あなたが好きなアニメとやらも、このわたくしがご用意致しますの」
「いや、それは……」
その通りだった。私は金持ちの男を捕まえて、専業主婦になって、働かずにアニメ三昧の生活を送りたいと思っている。友達なんていなくても、趣味が充実していればそれでいいと思っていた。人付き合いも、正直言って面倒な部分もある。
だけど……。
「あなたがここから出ることは永遠にないのですわ。あなたは鳥籠に囚われた美しい小鳥……」
「誰が小鳥よ。あなたに飼い殺しされるつもりはないわ」
私は窓から出ることにした。
馬鹿馬鹿しい。もう付き合ってられない。
「無意味なことを……」
「え?」
私が窓を開けようとした時だった。
魔女が私の肩を抱き寄せた。
そして、そのまま強く身体を抱きしめる。
変だ……。抵抗したいのに、全然できない。
私はそのまま、魔女にベッドへ連れ込まれた。そして、そっと優しく寝かされる。
なぜ私は何もできないのか。身体に全く力が入らない。
ベッドで仰向けになる私の上に、魔女が覆いかぶさってくる。そして、息がかかるくらいの距離にまで顔を近づけてきた。
「この鳥籠で、わたくしと永遠の愛を育みましょう……。そして、わたくしがきっと咲かせてみせますわ。あなたの心の中にある百合の華を……」
そう言って、魔女を名乗るアンネリーゼという女は私の頬にキスをするのだった。
甘い香りが漂ってきた。私の目はトロンとなる。
百合……?
まさか、この女も……。
「愛していますわ、春華……」
私は女に好かれる運命から逃れることができないようだ。
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