六 記憶
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学食を飛び出した私は、キャンパス内のベンチに一人で腰掛けていた。両手で頭を抱えるようにしながら。
美波が忘れ去られてしまった。いつもの仲良しグループの中で、彼女のことを覚えているのは私だけだった。大野美波という人間の存在を私以外の全ての人間が忘れてしまったのだろうか。
それとも私がおかしいだけなのだろうか。最初から大野美波という人物はこの世に存在せず、私だけが幻覚を見ていたのかもしれない。彼女は私の妄想が生み出した、架空のお友達だったのかもしれない。
いや、そんなはずはない。私は彼女に出会ってから今日まで、ずっと幻を見てきたというのか。だとすれば、どうして今日いきなり幻が見えなくなってしまったのだろう。何か目を覚ますような出来事があったとも思えない。心当たりが全くない。自分が幻覚を見ていたとは到底思えない。私の記憶は確かなはずだ。
昨日まではちゃんと、美波は私の前にいたのだ。昨日も彼女と一緒に電車で帰ったはずだ。喫茶店でお茶をしたはずだ。
コスプレをさせられた彼女を見て、ついうっかり萌えてしまったではないか。
そうだ、コスプレだ……。川口さんに『魔法少女ユリカ』の衣装を着せられた美波は、写真を撮られていたはずだ。
ならば、川口さんが撮影した写真を見ればいいではないか。そこに美波が写っているはずだ。
写真は何枚も撮られていた。川口さんは連写しまくっていた。その中に、必ず美波の写真も含まれているはず。
昼休み明けの三限目は英語の時間だ。川口さんも同じ講義に出席している。彼女に昨日の写真を見せてもらおう。その写真こそが、美波の存在を証明してくれるはずだ。
これは最大のチャンスだ。美波が私の幻想ではなかったことをはっきりさせるための……。
私は駆け足で、英語の講義が行われる少人数教室へ向かった。
どうか川口さんも出席してくれることを祈ろう。そして、昨日撮ったコスプレ画像を見せてもらうのだ。
美波は必ず、そこに写っている。
◆ ◆ ◆ ◆
英語の教室に着いた。昼休みは終わっていない。講義が始まるまで時間がある。さすがに川口さんはまだ来ていなかった。
しばらく待っていると、他の学生も教室にちらほらと姿を見せ始めた。そろそろ昼休みが終わる。いつものように、川口さんがオタクっぽい笑みを浮かべながら教室に入ってくるはずだ。
やがて彼女は現れた。それはいつも通りの川口さんだった。首からは昨日の一眼レフカメラをぶら下げている。これが彼女の通常スタイルなのだ。
「川口さん!」
「おぉ、柊氏。おはようであります」
昼なのに「おはよう」という挨拶はいかがなものか。
近頃の若者は時間帯に関わらず、その日に初めて顔を合わせた友人に対して「おはよう」と声をかける傾向がある。午後のくせに何が早いのか、私にはさっぱりである。私も近頃の若者だけど。
なんてことは今はどうでもいい。私には確認すべきことがある。
美波の存在についてである。
「昨日の写真、ちょっと見せてくれないかしら」
「おや? ついに柊氏もコスプレに興味が湧いてきたとか?」
「いや、そういうわけでもないんだけど……。とにかく見せてもらえない?」
私は川口さんの一眼レフカメラを指差しながら言った。
「いいでござるよ。まだ現像はしておらぬので、画像だけなら……」
そう言って川口さんはカメラの液晶画面に、撮影した画像を表示してくれた。
「そうですな。昨日のヤツはここからでござる」
「ありがとう」
私はカメラを手渡された。
昨日のコスプレ写真……。美波と城田さんと林さんの三人が写っているはずの写真……。
「ウソ……。こんなのはウソだわ!」
私は絶望した。
「何がウソでござる? 柊氏的には、昨日のコスプレはナシってことでござるか?」
「そうじゃないわ。昨日のアレはすっごく良かったわ。でも、どうしてどの写真にも、ユリカ役の美波が写っていないの?」
データに残っていたのは、城田さんと林さんの二人だけしか映っていない写真だった。どの写真も美波がいたはずのスペースだけがぽっかりと空いているという、奇妙な構図だった。
まさか川口さんが美波だけを消すという画像編集をわざわざ行ったとは思えない。彼女は美波を良い素材であると褒めていたのだ。
「何おかしなことを言ってるでござる。昨日はユリカとその仲間たちが三人揃った絵を撮影したはず……ファッ?!」
川口さんは目を見開いた。
「ど、どういうことでござる! ユリカ役が写ってないではないか! なぜ? ぬぅあずぅえぇええ!」
「そうよね? やっぱりおかしいわよね? ここには美波が写ってるはずよね?」
私は話がわかる人物がようやく現れたことに喜びを感じ始めた。
しかし、その喜びも束の間だった。
「はて……? ところで私は、一体誰にユリカ役をお願いしたでござる? おかしいですぞ。全く思い出せないでござるよ」
「何で? どうしてよ? 美波よ、美波。私といつも一緒にいる後輩の。あなたが彼女をユリカ役に抜擢したじゃない」
「そうだったでござるか? うーん、そういえばそのような気がしないこともないでござるが……。やはり、そのミナミという人物のことは記憶にないでござるな」
川口さんもまた、城田さんたちと同じような反応をするのであった。
彼女もふざけている様子ではなかった。真剣に悩み、何かを思い出そうとしているように見えた。
ここもダメだったか……。
「おかしいですなぁ。これは一種のミステリーでござるぞ。ユリカ役にまつわる記憶だけが、すっぽりと抜けているのでござる」
美波のことは、もう誰も覚えていないのかもしれない。
本当に彼女が存在していたのかすら怪しくなってきた。彼女は私が見ていた幻覚で、川口さんもユリカ役を撮影する幻覚を見ていたのかもしれない。きっと私たちオタクは、現実と妄想の区別がつかなくなているのかも。
それでも私はまだ諦めきれない。美波の存在を証明する手掛かりは、まだ他にもきっと残されているはずだ。これは恐らく、神の仕業なのだろう。山之内が言っていた「神隠し」とは、きっと美波の姿と存在が消えてしまうことを意味していたのだ。
だとすると、もう一つの「魔女」という言葉は何なのだろう。魔女は私に何をするつもりなのだろうか。
もうこれ以上の災難なんて、降りかかってこなくていいのに。
謎と不安はますます深まるばかりだった。
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