四 不通
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今日も一限目から講義がある。私は毎朝、美波と同じ電車に乗って大学へ向かう約束をしている。今日もいつも通り、駅のホームで美波を待った。しかし、定刻の電車が来る頃になっても、彼女は姿を見せなかった。
美波は寝坊でもしたのだろうか。連絡がないということは、まだ寝ている可能性もある。体調を崩しているのかもしれない。
だが、私も講義に遅れるわけにはいかないので、今日は美波を待たずに先に行くしかない。彼女には『起きてる? 悪いけど先行くね』という言葉をメッセージアプリで送っておいた。
電車内では無料漫画アプリで暇を潰すことにした。こうやって一人で誰ともお喋りをせずに通学するのは久々だ。ここ最近は美波とずっと一緒だったので、この空虚な時間がとても懐かしく思える。
漫画を一話読み終えたところで、メッセージアプリをもう一度開く。しかし、まだ「既読」の文字は付いていなかった。美波はまだメッセージを見ていないようだ。
電話を入れるべきだったかもしれない。今は電車に乗っているので通話はできないが、電車を降りても彼女から連絡がなければワンコールしたいと思う。
早く起きないと、一限目が丸ごと潰れてしまう。三十分以上遅刻すれば、欠席扱いとなってしまうのだ。
美波は今日の一限目は中国語だった。出欠を確認する講義だ。一定数欠席すると、定期試験の受験資格を失い、単位を落とすことになってしまう。
彼女はあれだけ中国語を張り切っているのだから、試験すら受けられないという事態は避けたところだ。
私は美波が間に合ってくれることを祈った。
◆ ◆ ◆ ◆
大学の最寄り駅に到着した。改めて美波がメッセージを読んだのかを確認してみる。
だが、彼女はまだ見ていないようだった。本格的に寝過ごしているパターンだ。
こうなれば電話をして起こそう。このままじゃ欠席扱いになってしまうぞ、と。
私は美波の携帯に電話をかけた。
すると、電話の向こうからは信じられないような言葉が返ってきたのだった。
『おかけになった電話番号は、現在使われておりません』
そんなまさか。どうして……。
美波はいつの間にか電話番号を変更していたのだろうか。普段、彼女とはメッセージアプリで連絡を取り合っているので、電話をする機会は少ない。彼女は番号の変更を私に伝え忘れていたのかもしれない。
こうなれば、美波の自宅に電話するしかない……。
しかし。
「しまった。私、美波の家の電話番号知らない……」
万事休す。万策尽きた。
私は美波との連絡手段を失ってしまったのだった。
これ以上はどうすることもできないので、ひとまず大学へ向かうことにした。美波もそのうち目を覚ますことだろう。きっと一限目が終わる頃には彼女の方から連絡をしてくるはずだ。
私は楽観的に考えていた。優等生の美波だって、たまには寝坊することだってある。そういうことで納得していた。
「あ! おはよう、春ちゃん。こっちこっち」
講義室に入ると、桃が先に来ていた。ツインテールのロリ娘は私の姿を見つけると、手を振って自身の存在を知らせるのだった。
「おはよう。今日は早いのね」
「うん、なんだか目が早く覚めちゃって」
桃はいつも遅刻ギリギリの時間にやって来る。彼女は大学付近のアパートに住んでおり、通学のために電車に乗る必要がない。だから朝起きる時間もゆっくりなのだそうだ。怠惰な彼女が、今日は珍しく私よりも早く席に着いている。このことは美波が寝坊することよりも驚きだった。
「早起きはいいことだわ。これからも毎日、今日と同じくらい早く来なさい」
「そうだね。でも、それはちょっと難しいかも」
「どうして?」
「だって、春ちゃんのこと考えてたら夜眠れないんだもん。気持ちを静めるのに時間がかかっちゃって、夜更かしになっちゃうの。桃の中の春ちゃんが、全然寝かせてくれない!」
「どんな理由よ、それ……。朝起きられないのは、私のせいだと言いたいわけ?」
コイツの妄想の世界での私は、一体何をしているのだろうか。いくらフィクションとはいえ、こいつの妄想に利用されるのは不名誉である。勝手に変なことをしてんじゃないわよ、と言いたい気分になる。
「悪いのは春ちゃんじゃないよ。春ちゃんの愛に上手く答えられない桃が悪いの! ごめんね、春ちゃん。桃、キスとかしたことないから……」
「桃、今夜からその妄想はやめなさい。あんたの中の私は、たった今、豆腐の角に頭をぶつけて死んだわ」
何やってんのよ、妄想の私!
どうやら桃の中に住んでいる私は、想像以上のアホであるらしい。気が狂っているようだ。
「そうそう。ちょっと聞きたいんだけど……」
私は話を切り出した。
「何?」
「美波が携帯の番号を変えたとか言ってなかった? さっき電話したんだけど、繋がらなくて」
美波は私に新しい番号を伝え忘れているだけで、桃にはちゃんと教えているかもしれない。その可能性に望みをかけることにした。
すると…。
「ミナミ……? 誰それ?」
桃はきょとんとした。
「いやいや、とぼけても無駄だから。そういうの全然面白くないし」
いきなりど忘れするギャグ? うん、つまんない。
「とぼけてないよ? そんな名前の知り合い、いないもん」
「アンタねぇ……。いくらなんでもそれは……」
あれだけ仲良かった彼女のことを忘れるなんて、随分と薄情だ。
「あ! もしかして!」
桃は何か思いついたようだ。
「うんうん」
私は相槌を打つ。もしかして、何?
「もしかして、そのミナミって子……春ちゃんの空想の恋人なんでしょ! ヒドイよ! 桃というものがありながら、浮気するなんてぇ!」
「はぁ? そんなわけないでしょ!」
浮気って、そもそも私はいつから桃と恋人になったんだ?
「ホントに浮気じゃないの?」
「だから違うって……」
「よかったぁ」
いや、よくない。問題は何も解決していないのだ。
どうして桃は、美波のことを忘れたフリをするのか。
ひょっとすると、美波と私が仲良くしていることに、嫉妬しているのだろうか。
私は平等に接してきたつもりなんだけどなぁ。
「大丈夫よ、桃。別に私はあなたを蔑ろにしたりなんかしないわ」
「春ちゃん……」
桃は半泣きだった。
正直言って、泣き顔も可愛い。けど、その嫉妬深さにはちょっと引いてます……。はっきり言ってキモい。
「で、ミナミって誰なの?」
まだ言うか……。
桃は相当美波を嫌っていたのだろうか。全く気づかなかった。彼女たちの関係は良好に見えていたのに。やはり、所詮は「友達の友達」どうしの関係だったか……。
私はもの寂しい気持ちになった。それと同時に、今まで桃の本音に気付いてあげられなかったことに申し訳なさを感じた。
「ごめん、やっぱり何でもないわ。そうだ。今日のお昼、デザートにプリン買ってあげる」
「ホント?! やったぁ。春ちゃん愛してる!」
桃は私に抱き付いてくる。
やめなさい。他の人が見てるから……。
私は桃を引き剥がすのだった。
仕方ない。美波の件については、一回生組の城田さんや林さんに聞くことにしよう。
メガネをかけた男性の教授が教室に入ってきた。これから一限目の講義が始まる。
私はノートを開き、シャープペンシルを右手に握った。
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