二十 友情
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首を絞められて呼吸ができないままの私は、意識を失おうとしていた。
目の前の景色がだんだんと暗くなってゆく……。
私が敗北を覚悟したその時だった。
「あれ? 春ちゃん? ゆっこ……? 皆で何やってるの?」
岸和田の能力から桃が解放されたのであった。ついに時間切れのようだ。
きょろきょろと見回し、自分が置かれている状況を確認し始める桃。
「も、桃たん……!」
目を見開く岸和田。突然の事態に驚いた彼女は、とうとう集中力を切らせてしまった。
それと同時に、他の大勢の人たちも洗脳から解放され、自我を取り戻すのだった。
私の首を絞めていた男性も、慌てて私の首から手を離した。
またしても気を失う寸前に解放された私であった。
ああ、息ができる。でもまだ苦しい。空気が欲しくてたまらない。
私は深呼吸を繰り返した。
顔に血が一気にのぼってくるのがわかる。私の顔は真っ青な状態から血の気を取り戻しているところだろう。
私の足下の地面は濡れていた。失禁の跡ができてしまった。
今日はお気に入りのデニムホットパンツと黒のニーソックスという格好をしてきたのだが、それらもぐっしょりと濡れてしまっている。最悪だ。
「うわぁ! これ何? 桃はどうしてこんなの持ってるの?」
桃は自身の手に握られている果物ナイフを見て驚いている。
「あれ? 何してたんだっけ……? 私、ナイフなんて何に使うつもりだったっけ?」
前島も意識を取り戻した。
まわりの人々は十字架に縛られている美波を見て「これって何かの催し?」「えー、なんか趣味悪くない?」などと言っている。
場は混乱し始めた。皆が一定時間の記憶を喪失してしまっているからだ。
「美波!」
呼吸が整った私は、磔にされた美波のもとへ駆け寄り、縄を解いた。
まだ美波は目を覚まさない。私は眠ったままの彼女をお姫様抱っこした。
だが、さすがにこのままずっと抱えているのは辛い。かといって、地べたに寝かせるわけにもいかないし……。
力を切らせた岸和田は茫然としている。脱力感に襲われているようだった。
「もしかして、バイト終わったの? ゆっこ!」
桃が岸和田に声をかける。
「桃っち、この人と知り合いなの?」
前島が言った。
「うん! 幼馴染のおねーちゃん」
桃は答える。
「桃たん……」
岸和田は桃の顔を見つめていた。
そして、彼女の瞳からはポロポロと涙がこぼれ出した。
「ふええ?! ど、どうして泣いてるの?」
桃が岸和田の様子を心配する。さっきまで何が起こっていたのか一切知らない桃には、岸和田の涙の理由なんて到底わからないだろう。
「な、何でもない……。何でもないんだ、桃たん……」
慌てて涙を拭う岸和田。
桃はハンカチを彼女に差し出した。
「いい子いい子。よしよーし」
岸和田の頭をそっと撫でる桃。岸和田はハンカチで目頭を押さえている。
「ゆっこ、昔はよくこうやって桃の頭を撫でてくれてたよね。だから今度は、桃がゆっこをよしよししてあげる番なの」
「うーん、いい話だねぇ。感動!」
桃と岸和田の隣でしみじみとする前島。
なぜ岸和田が泣くのか。それを問い詰めようとはしない桃。そこに彼女なりの優しさを感じた。
ずっと幼い頃から一緒だった二人。彼女たちは何も理由を聞かなくとも、そばにいるだけで慰め合える関係なのだ。
私にはそれが少し羨ましく感じられた。
「春香……さん……?」
私の腕に抱きかかえられた美波が目を覚ました。
「美波……! 怪我はない? どこか痛むところとかない?」
「は、はい……。特に何もないですけど……」
美波はキョトンとしている。
「よかった……」
安堵のため息をつく私。平気そうで本当によかった。
「私、どうしちゃってたんですか? もしかして、気を失ってたんですか?」
「え、ええ。まぁ、そうね……。貧血気味だったんじゃないかしら?」
私は適当なことをいってごまかす。
「そうですか……。ところで、あの……」
美波は恥ずかしそうな顔をする。私から視線を逸らしている。
「何?」
私は聞き返す。
「この状態は一体……」
「あ。これは……」
美波は自分が私にお姫様抱っこされている状況を不思議に思っているようだった。恥ずかしがるのも無理はない。
「ご、ごめん。すぐに下ろすわ。自分で立てる?」
「いえ、もうしばらくだけ……」
「え?」
「もうしばらく、このままがいい……です……」
ええええ?
いや、しかしね? もうこれ以上は私の腕が限界っていうか……。
まさかの返答に私はタジタジした。この子、ちょっぴり甘えん坊さんなのね。
「桃たん……! 桃たーん! うえええええ!」
人目を気にせずに号泣する岸和田は、桃に抱きついたのだった。桃はニコニコと笑ってそれを抱きしめた。
「これが女の友情というヤツなんだねぇ」
その光景を微笑まし気に見つめる前島。彼女がこの状況に対して何も突っ込まない性格で助かった。
私は美波を抱えたまま、泣きじゃくる岸和田の姿をしばらく見ていた。
◆ ◆ ◆ ◆
「私は間違っていた……」
岸和田がうなだれながら言う。
学園祭が行われているキャンパスの片隅で、私と岸和田は二人きりの状態だった。
意識を取り戻した美波たちは、岸和田も仲間に加えて学園祭を回ることを提案した。その前にちょっと話があると言って、私と岸和田はその場を離れたのだった。事後処理というやつだ。
「考えを改める気になったんですね?」
と、私は問う。
「そうだ。貴様が言っていた通り、桃たんを傷つける未来など……私には……」
「もう神の命令には従わないことを約束してくれますか?」
「ああ……。私は自由に生きる。何者にも縛られたりはしないのだ……」
その言葉に偽りはなさそうだった。
「それならよかったです。じゃあ、今度こそ仲直りですね。岸和田先輩」
そう言って私は岸和田に手を差し伸べた。
これは仲直りの握手だ。講和のしるしだ。
「そ、そんな汚い手を差し出すな!」
「失礼な。別に汚くありません」
私はムッとした。美少女であるこの私の手が汚いだなんて。どう見ても白くて綺麗な手じゃないか。握手会とか開いてもいいレベルでしょ。
「よくそんなことが言えるものだな。さっき漏らしていたくせに!」
「ん、んなっ! あれはそもそも、あなたのせいで……!」
見られていたのか……! 一生の不覚……。
首を絞められ、身体の力が抜けたせいだ。あれは事故だ。私は悪くない!
「私は貴様と握手などしない! 私たちはこれからも敵同士なのだ。桃たんをかけた戦いはまだ終わっていないのだ!」
そう言って照れくさそうな顔をしながら、岸和田は美波や桃がいる所へ走っていった。
やれやれ。まだ勝負は続くのね。桃はあげるから、もう私の負けでいいと言ってるのに……。
「いやぁ、お見事でしたね」
後ろから声がした。山之内が拍手をしながらやって来た。
「何? 冷やかしに来たの?」
私は不機嫌になる。
「いえいえ、そんなまさか。私はあなたを心から祝福しているのですよ? あなたは見事に神の手先を退けてみせました。今回はあなたの勝利です」
山之内は微笑みながら言った。
「私の勝ち……? どうかしらね。私は何もしてないし。ただ首絞められたり殴られたりしただけ。創造の力って、ああいう時は何の役にも立たないのね」
まったくだ。思考を操る能力なんて、どうやって対処すればいいというのだ。
「そういえば、どうして私は操られなかったの?」
岸和田は私に美波を殺させようとした。私を操ってしまえば、簡単にそれが可能だったのに。
「それはあなたが特別な存在だからですよ。神の能力を持つ者は他の神の力を無効化することができるのです。したがって、岸和田さんの能力はあなたには通用しないのです」
山之内が丁寧に解説してくれた。こういう解説キャラはアニメや漫画に一人はいるものだ。戦闘中に相手の能力についてペラペラと解説を始めちゃうキャラクターもいる。
「私、何もできなかったわ。桃がタイミングよく目覚めてくれたおかげで助かったのよ」
「そうですね。上田桃さんには感謝しなくてはいけませんね。ですが、時間を稼いだのはあなた自身ですよ、柊さん。あなたの粘り強さが、桃さんの目覚めを呼び起こしたのです」
そう言って山之内は私を慰めた。
「たまたまでしょ、そんなの……」
そう、今回は運が良かっただけなのだ。運良く勝てたのだ。運が悪ければ、私は死んでいた。
「たまたまだとしても、勝ちは勝ちです」
「そうかもしれないけど……」
なんだか煮え切らないのよねぇ。スッキリしない勝ち方というか……。
私は足元の石ころを蹴った。
「いいですか。これだけは覚えていてください。あなたが神に対抗するための武器は創造の力だけではないということを」
「どういう意味? 他に何があるというの?」
「友情です。あなたには素晴らしいお友達がいます。彼女たちこそが、あなたにとって最大の味方になってくれます。今日あなたが勝てたのも友情のおかげなのです」
山之内は優しくほほ笑んだ。
友情か……。
そんなの私には無縁なものだと思っていたのに。この前までぼっちだった私には、全然相応しくない言葉だった。
でもまぁ、無いよりはマシかもね。
「春ちゃーん! そろそろ行くよー」
遠くで桃がこちらに向かって手を振っている。
「こ、今度はたこ焼きをあーんしてくださぁい!」
美波が叫ぶ。よくもまぁ、そんな恥ずかしいことを大声で……。
「さぁ、早く行ってあげてください。お友達が待ってますよ」
山之内が催促してくる。
「はいはい、今行くから」
私は皆がいる方へ走った。
濡れた衣服を着替えたいのだが、今は残念ながら着替えを持っていない。まぁ、服の色合い的にもシミは目立たないから大丈夫よね? ホットパンツはそのうち乾くでしょ。今日はいい天気だし……。
学園祭最終日はとんでもない騒動が起こった。絶体絶命のピンチに追い込まれてしまった。
それでも私は乗り越えてみせた。そして、友情という新たな武器の存在に気付かされたのだった。
さて、今日は少し奮発してたくさん食べようかしら。
普段は食べ過ぎないように注意しているけど、たまにはいいわよね?
第二章、完