十八 欠陥
岸和田に操られてしまった桃と前島は、依然として自らの首元にナイフを突きつけている。
二人はナイフを手にしたまま、生気のない瞳で何もないところを見つめていた。
十字架に磔にされた状態の美波は気を失ったままだ。おそらくちょっとやそっとでは目を覚ますことはないだろう。岸和田がどんな手を使って美波を捕えたのかはわからないが、怪我をしている様子ではなかったので、私は少しだけ安堵した。
「さぁ、早くこの女の息の根を止めるのだ」
岸和田は私に美波を殺せと催促してくる。もちろんそれに従う気はない。
だが、このままでは桃と前島が首にナイフを刺して死んでしまう。
私は選択を迫られていた。美波を助けるために桃と前島を見殺しにするか、あるいは二人を助けるために私の手で美波を殺すか……。
「あなたは間違っているわ。こんな真似をしてでも、神に従わなきゃいけない理由なんてあるの?」
岸和田に考えを改めるように私は説得を始めた。
「貴様にはわからん。私は神のおかげで生きていられるのだ。命令には逆らえない!」
目に涙を浮かべながら岸和田は言った。たとえ愛する存在を危険な目に遭わせることになったとしても、神の言うことに従い続ける。彼女はあくまでその姿勢を崩さないつもりのようだ。
こんなのは間違っている。一人の人間から自由を奪い去り、命令に従わせる神など、本物の神とは呼べない。岸和田を動かしているのは偽りの神だ。
以前、山之内は神の座をかけて闘ったと言っていた。そして、彼はその戦いに敗れたとも言っていた。
本当は他の者が勝つべきだった。他の候補者が神になるべきだったのだ。
今の神は私や美波を消そうとしている。それを阻止しなければ、私たちに未来はない。
だから私は神に抗い続けることを決意した。この間違った偽物の神の思惑通りにはさせない……。
岸和田は神に囚われている。彼女もまた、救い出されるべき人間なのだ。神の束縛から彼女を解放し、正しい道を歩ませることが必要だ。
そのためには、今ここで何としてでも、岸和田の心を変えなくてはならない。
私は考える。何をすべきか。効果的な一手はないだろうか。岸和田にこの危険な状況を解除させるためには、どうすればいいだろう。
「さぁ、このナイフを使え。これで大野美波を刺すのだ」
岸和田が私の足下に果物ナイフを投げた。ナイフは「カラン」と音を立てて転がった。
私はそれを手に取った。
とはいえ、私はこのナイフで美波を刺すわけではない。私のするべきことはただ一つだ。
岸和田との……一騎打ち……!
「覚悟!」
私はナイフを持ったまま、岸和田に向かって走り出した。
ナイフで彼女を差してしまえば、それで決着は付く。だが、さすがに誰かを傷つけるような真似はしたくない。だから、あくまでこのナイフは威嚇用に過ぎない。
すると予想通り、岸和田に操られた人たちが私を抑え込んできた。岸和田に手出しはさせまいと、彼らは私の腕を強くつかんで離さない。そして、私はナイフを取り上げられてしまった。
この状況では圧倒的に私が不利だ。だが、ここまでは私の計画通りなのである。
私の狙いは時間稼ぎであった。
私は岸和田の能力の欠陥に気づいていた。彼女は同時に大勢の人を操ることができる能力を持っている。彼女はその力を使って、学園祭に来ている大勢の人を操ってみせた。
しかし、岸和田は操られた人々に対して、同時に複数の命令を出すことはできないのだ。
さっき岸和田が桃や前島にナイフを首元に近づけさせた瞬間、他の操られていた人たちは動きを止めたのである。つまり、桃や前島に「ナイフを動かせ」と命令している間は、他の命令を出すことができない状態だったのだ。
したがって、今こうやって複数の人々が私を抑え込んでいる状況では、岸和田が「柊春華を抑えろ」という命令を出していることになる。そのため、桃や前島に「ナイフを動かせ」と同時に命令することはできないのである。
岸和田が私の動きを封じることに必死になっている間は、桃と前島の手を動かすことはできない。だから彼女たち二人に危険が及ぶことはない。
あとは時が過ぎるのを待つしかない。さっきからずっと能力を使い続けている岸和田は、明らかに疲弊していた。彼女が力尽きれば、桃や前島は操られた状態から解放されるだろう。その他大勢の人も目を覚ますはず。
「柊春華……。貴様……」
息が乱れ始める岸和田。足がふらついている。
彼女の集中力が切れた時。その時こそが、形勢逆転の大チャンスだ。
「そろそろ疲れてきたでしょう? もうこんなことはやめにしましょう。あなたがやろうとしていることは間違いよ。過ちを犯す前に正気に戻るべきだわ」
私はひたすら交渉を続ける。
相手は弱ってきている。このまま話を続けて時間を延ばすしかない。
待ってて、美波、桃、前島さん。
絶対に私は三人全員を助け出してみせるから……。
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