十五 強制
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私を名指ししながら喚くドラゴン谷岡。その口調はロボットのようで、何かに操られているように思える。完全に自我を失っているといえるだろう。
彼の身に何が起こったというのだろうか。どうして彼は私の名を口にするのか。
「オマエガ、シヲ、ウケイレナイカラ、ワルインダ!」
この男は私の正体に気付いているのか? 私が一度死んで生き返ったことをどうして知っているのだろう。
谷岡だけでなく、漫才のギャラリーも皆、私を見ていた。一斉に視線がこちらへ集まってくるのだった。
おかしい。谷岡だけじゃない。皆の様子が変だ。
目に魂が宿っていない。瞳孔が開いてしまっている。心ここにあらず、というような感じだ。
谷岡の「人格喪失」が、まわりの人間にも伝染してしまったように思える。
「ソウダ、オマエダ……」
「オマエノセイ……」
「ユルセナイ……」
恨み節のようにブツブツと呟くまわりのギャラリーたち。死んだ魚のような目で私を見つめている。
気持ち悪い。もうやめてほしい。一体どうなってしまったというのか。
「うっ……!」
私は頭が痛くなった。まわりの人間の声が脳に突き刺さるような気分に襲われた。
耐え切れずにその場にしゃがみこんでしまう。両耳をふさいでも、声は聞こえてくる。
何の嫌がらせだ。
どうしてこんなことになってしまったのか。
もう一歩も動けない。恐怖で体の震えが止まらない。自分はこの場にいる人間から呪われてしまったのだろうか。
どうして私だけがこんなに苦しめられるのだろう。なぜ私以外の人間は、急に様子がおかしくなってしまったのだろう。
谷岡を起点として、まわりの人間が一瞬で気の抜けたロボットになってしまったのだった。
これは何かの悪い夢かもしれない……。
私は夢なら早く覚めてくれと祈った。だが、何も起こりはしない。
幻覚を見せられているのだろうか。でも、誰に? 誰が何のために?
「どうした? もう降参か、柊春華よ……」
しゃがみこんでいると、頭上から聞き覚えのある声がした。
私は見上げた。
なんとその先に立っていたのは、岸和田由希子だった。
相変わらずの美人っぷりだった。艶のある髪と白く透き通るような肌。まるで作り物かと思うような、整った容姿。
いつもと変わらない様子の彼女だったが、どうしてこんな状況で平然としていられるのか。これを見て何とも思わないのだろうか。
「ど、どうして、あなたがここに……?」
今日はバイトがあったはずだ。学園祭には来られないと言っていた。だから代わりに私がドラゴン谷岡の漫才を見ることになったのだ。
それなのに、なぜ岸和田はここにいる……? なぜこんな状況で落ち着いていられる……?
「あー、バイトというのは嘘だ。あれはここに貴様を連れてくるための口実に過ぎない。私は貴様にこの光景を見せてやるためにカメラを預けたのだよ」
岸和田は笑みを浮かべた。上手くいった、と得意げな様子だった。
私をここへ連れてくるための口実……?
彼女は何を言っているのだろう。
この光景を私に見せるため、とはどういうことなのか。
「今、ここで何が起こっているの……?」
私は岸和田に問う。
「私には他人の思考や行動を乗っ取る能力がある。ここにいる人間は私の意のままに操られているのさ」
「あ、操られている……?」
「そうだ。よし、ならば面白いものを見せてやろう」
そう言って岸和田は、左手を高く上げた。
すると、私の真横に立っていた男性が急に私の首を絞め始めたのである。
「ぐっ! うぐ……」
苦しい。かなり強い力だ。手をほどこうとしても敵わない。
「この者は私の命令で貴様の首を絞めているのだよ。どうだ、苦しいだろう? だが、私が命令しない限り、彼がこれをやめることはない」
や、やばい……。息が全然できない。
このままじゃ、死ぬ……。
「そこで貴様には選択肢を与えよう。今すぐ開放してほしければ、私との交渉に応じることだ」
「あ……。あがっ……」
意識が朦朧としてきた。本当にマズい。
私は死んでも生き返ることができる。再び肉体を創造すればいいだけのことだ。
だが、今のこの状況が苦しいことには変わりない。
死の苦しみというものは、どんな者に対しても平等に訪れる。
「ここに貴様の大切な友人がいる。しかし、彼女は我々にとって非常に邪魔な存在だ」
「……!」
岸和田の後ろには、十字架に磔にされた美波がいた。目は閉じており、意識を失っているものと思われる。
「彼女を捕まえるのには大変苦労したものだ。少々手荒な真似をしてな」
なんて……ことを……!
私は怒りが湧き始めていた。はらわたが煮えくり返りそうだった。
「こいつは貴様が生き返らせた、十年前に死んだはずの少女。死を欺いた罪深き女……。そんな者の存在を許すわけにはいかない。神はそう仰せられた」
神……?
まさか、この女は……。
私は気を失う寸前で、男から首を解放された。
これでやっと呼吸ができる。
慌てて空気を吸ったが、呼吸が上手くできずに咳き込んでしまった。
ああ、もう少しで本当に死んでしまうところだった。
私が死んでは交渉ができないと判断したのだろう。岸和田が男に「手を離せ」と命令したものと思われる。
「はぁ……! はぁ……!」
空気を目いっぱい吸い込んで吐く。その繰り返しだった。喉元を空気が通り抜けていくのを実感する。長らく酸素を絶たれていた身体が息を吹き返した。
「どうしてそんなことを! 今すぐ美波を放しなさい!」
そして私は叫ぶ。
「言っただろう。この者は死を欺いた存在。そして貴様は死に抗い、神に刃向った。そんな貴様によって生き返らされた女など、このまま生きてていいわけがないのだ。だから我々は神の意志に従い、この者を始末する。だが、どうせ殺したところで貴様は再びこいつを生き返らせるだろう。ならば、二度とそれができないようにするまでだ……」
そう言って岸和田はニヤリと笑う。
「そ、そんなこと……どうやって……」
「簡単なことだ。貴様がこの女を殺すのだ」
「何ですって……!」
「貴様は自分のことを、どんなものでも創造できると神だと思い込んでいるようだな。だがそれは間違いだ。貴様は自らが破壊したモノは二度と復元できないのだ」
それは初耳だった。そんな制約があっただなんて。
私が美波を殺めれば、彼女は二度と生き返らなくなる。彼女の肉体を蘇らせることはできなくなるらしい。
「……で、それがどうしたっていうのかしら? 私が美波を殺すわけないでしょう」
「ふ……。ならば、これでも貴様はそんな口を利けるかな……?」
パチンと指を慣らす岸和田。
すると、桃と前島がフラフラとこちらに向かって歩いてきた。
「桃! 前島さん!」
私の声には反応しない。二人とも自分の意志を失っている。谷岡やその他のギャラリーたちと同様、瞳孔が開いていた。この二人も岸和田の操り人形になってしまったようだ。
岸和田め、彼女たちにまで手を出すなんて……。
「さ、これを持ちたまえ」
そう言って岸和田は果物ナイフを二本、腰に巻いたポーチから取り出した。
桃と前島は無言のままそれを受け取った。
一体何をさせるつもりだ。
なんと桃と前島はナイフを自分の喉元に向かって突きつけ始めたのである。
「や、やめなさい! 何をしてるの!」
私は今すぐ危険な行為をやめさせるため、彼女たちのもとに駆け寄ろうとした。
しかし、岸和田に操られている他の人間たち数人によって取り押さえられてしまった。そして、体を地面に押さえつけられた。がっちりと腕や脚を固定されてしまい、身動きが取れなくなった。
「は、離しなさいよ……!」
必死に抵抗するが無駄だった。ピクリともしない。
なんて力だ……。
「さぁ、今すぐ宣言するのだ。大野美波を貴様の手で葬ることを。でないと、この二人が自らの首を斬って死ぬぞ?」
なんて卑怯な真似を……。
無表情のまま桃と前島はナイフを首に近づけている。あと数ミリでも動かせば、喉に刃が刺さってしまう状態だった。
岸和田の命令一つで、他人を自殺させることも可能なのであった。
このままでは、桃と前島は自身の意志によらず、自ら命を絶つことになる。自殺するつもりのない彼女たちが、第三者の手によって自殺を強制されるのだ。
「……あなたはそれでいいの?」
私は岸和田に向かって叫んだ。
「何がだ……?」
岸和田は冷めた目をしていた。
「桃は……。桃はあなたの大切な、妹的存在じゃなかったの?」
岸和田は「桃たん、桃たん」といって桃のことを可愛がっていた。彼女は桃と仲が良い私に嫉妬していた。敵意を剥き出していた。あれはただの演技だったのか? とてもそうとは思えない。
岸和田は桃に学園祭のお小遣いを渡したり、メイド服を作ってやったりもした。桃にとても甘い人だった。
あんなに可愛がっていたというのに。キモいくらい溺愛していたのに。あれもこれも演技だったというのか……。
「桃はあなたにとって、どうでもいい存在だったの?」
「ぐ……! 黙れ! 黙るのだ! これも神の命令だ。神と私の契約だ。貴様にとやかく言われる筋合いはない。神の命令とあらば、私は何だってする……!」
岸和田からは無念と悲しみの感情が伝わってきた。どうやら桃を殺すのは不本意のようだった。
「さぁ、早く大野美波を殺せ! そうすれば私は桃を殺さずに済む! 貴様の選択次第で桃の運命が決まるのだ! 桃を殺してこの女を生かすのか? そうなのか? もしそうならば、貴様にとって桃の価値はこの女よりも低かったというわけだな! はっ、貴様の桃たんへの愛はその程度だったというわけだ。桃たんへの愛は私の方がずっと大きかったのだ! あはははは!」
岸和田は正気を失っている。目にはうっすらと涙が浮かんでいる。
彼女は人の行動を操ることができる。人を自分の操り人形に変えてしまうことができる。
だが、本当の操り人形は岸和田自身だったのだ。彼女は神によって操られている。愛する者を危険に晒してでも、神の命令に従うしかないのだ。
なんて悲しい人なんだろう。
私は岸和田に対して、怒りや憎しみではなく憐れみを抱き始めていた。
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