十四 異変
感想をお待ちしております
まもなく時刻は午後一時である。岸和田が言っていた漫才師の出番が回ってくる頃だ。
漫才はライブステージで行われることになっている。私はその光景を岸和田から渡されたこのカメラで記録しなくてはならない。
私が渡されたのは、いわゆるホームビデオを撮影するためのビデオカメラだった。コンパクトで片手でも持ちやすいサイズとなっている。子供の運動会や学芸会も、これ一つでバッチリだ。
「ごめん、私ちょっと用事あるから。しばらく三人で楽しんでて」
そう言って私はグループから離脱することにした。三人を岸和田の依頼に付き合わせるのは悪い気がしたからだ。彼女たちには祭りを楽しんでほしい。
私はステージ前にやってきた。ちょうど正面にステージのマイクが見える位置だった。ここからだと、漫才の様子もカメラにしっかりと納められるだろう。
ステージ上には進行役の女子学生が現れた。彼女は実行委員の腕章を右腕に装着している。
そして、「では、次参りましょう! 我が校が誇る新生漫才師、ドラゴン谷岡さんです!」とコールした。
合図を受けて、「どもどもー」と言いながら一人の男がステージ裏より出てきた。彼が岸和田の言っていた漫才師、「ドラゴン谷岡」である。変な芸名だ。
私はカメラの録画ボタンを押す。録画の赤いマークが画面上に表示されたので、これで録画が開始されたことがわかる。あとはしっかりと映すだけだ。
ドラゴン谷岡はトークを始めた。すると、ところどころの場面で観衆からの笑い声が聞こえてくる。
「この前ね、自転車に乗ってたら後輪のタイヤがパンクしたんですよ。なぜか知らんけど、タイヤに画鋲が刺さってたんです」
私は黙ってカメラを谷岡に向け続ける。あまり漫才の内容は面白いとは思わなかった。
「なんで画鋲があんねん! 誰や刺したヤツ! って思いましたわ。でもね、よくよく考えたら刺したのは僕でしたわ」
谷岡の話は切れが悪かった。素人感丸出しだった。こんなのが芸人をやっているのかと思えるくらいだった。
岸和田もアドバイスに困るだろう。どこからツッコめばいいのやら。
「何で画鋲なんて刺したんやっけ……? なんでや……?」
うーん、とステージ上で考える素振りをみせる谷岡。首を捻りながら唸り続けている。
だが、これはフリにしては長すぎる。考え込む演出は必要かもしれないが、あまりにも長すぎる。これでは場の空気がシラケてしまう。
私は「もうそのへんにしておけ」と言いたくなった。しかし、それでも谷岡は唸ることをやめない。時間稼ぎでもしているかのようだ。
まさか、続きのネタを忘れてしまったのか……?
これは漫才師としては致命的なミスだ。ネタをステージ上で忘れるなんて。
「アカン……思い出せへん……」
頭を抱え始める谷岡。これも演出なのか、それとも素なのか。もし演出ではなく、本気で困っているのだとしたら、もう収集がつかない。
観衆からはどよめきが起こり始めている。
「何だあれ?」
「さぁ、よくわかんねぇな」
「ネタ忘れてるんじゃないの?」
ちらほらと不満の声が聞こえ始めてきた。
ああ、もう見ていられない。こんな退屈なショーは初めてだ。そして何より、ドラゴン谷岡が痛ましく思える。私だったら、こんな空気耐えられない。今すぐステージから逃げ出したくなってしまう。
何かアドリブで誤魔化せはしないだろうか。場の空気を変えるためのきっかけがほしいところだ。
相変わらず谷岡という漫才師は、頭を抱えて唸るだけだ。観衆は「おい、何してんだよ!」「はよ、続き言え」「頑張れー」など、さまざまな声を投げかける。もうやめて! とっくにドラゴン谷岡のライフはゼロよ!
「うー、ううー」
徐々に唸り声が大きくなる谷岡。とうとう狂ってしまったか。
明らかに様子がおかしい。誰もが彼の異変に気付き始めていることだろう。
ステージに膝をつき、頭を両手で抑えたまま俯く谷岡は、とても苦しそうだった。何かに取り憑かれているようにも見えた。
徐々に観衆は恐怖し始めた。何か恐ろしい物でも見ているような気分になってきたのだ。
これは異常だ。今すぐライブを中断するべきだろう。
「あああ! ああああああ!」
大声で叫ぶ谷岡。もはや正常な思考を失っている。
私はビクッとした。おぞましい光景を目にしている。
「忘れた! 忘れた! 忘れたぁあああ!」
悲痛な叫び声がこだまする。
もうめちゃくちゃだ。
悪魔のような声で谷岡は叫ぶ。
「誰の…せいだ……」
とうとう意味の分からないことを言い始めた。
誰のせいって、それはアンタだろう。アンタがしっかりネタを覚えてこなかったのが悪いのだ。
「誰のせいだ…。誰の……」
ざわつく会場。凍り付く空気。
「誰のせい……。お前のせい……」
ぼそぼそと谷岡は言う。気色悪かった。
これは本当に谷岡なのか? 本当に彼の意志で話しているのか?
「そうだ……。お前のせいだ……。お前のせいだっ!」
谷岡は立ち上がり、再び叫んだ。
とうとう責任転嫁を始めた。
谷岡はギャラリーに向かって指を差していた。
その指先は、まるで彼の正面にいる私に向けられているかのようだった。
カメラの画面を注視する私だったが、画面から視線をそらし、谷岡の顔を見た。
すると。
谷岡は私の目を見ていたのだった。
いや、まさかそんなわけが……。
「オマエノセイダ」
谷岡は機械のような口調で言った。
「オマエノセイダ。オマエノセイダ。オマエガ、ワル、イ……」
何を言っているんだ、この男は……。
気味が悪い。誰かに操られているみたいだ。
「オマエノセイダ、ヒイラギハルカ」
私は今の言葉を聞き流すところだった。
「わ、私……?」
今、谷岡は私の名を口にした。
確かにそう言った。聞き間違いではない。
「オマエガワルイ、ヒイラギハルカ! オマエガイキカエッタセイダ! オマエガシナナカッタセイダ!」
もはや何が起こっているのかわからなかった。私は急に目の前が真っ暗になり始めた。
これはどういうことなのか……?
お読みいただきありがとうございます。
感想をお待ちしております。